第37話

「赤き獅子」傭兵団の残骸と、彼らが残した大量の「資産」の回収作業が完了してから、五日が経過した。 ヴァルケン領は、まるで巨大な蟻塚のように、百十五名の領民たちが休むことなく動き続けていた。


新しき民たちは、ティモのように、過去の「技術」をブルンデルに認められ、高い「鉄札」を得るために工房で銃床を磨く者。あるいは、ブルックの指揮下に入り、石炭の安定供給を担う「鉱山部隊」として汗を流す者。マルクスの下で「第二猟兵部隊」として厳しい訓練を受け、初めて武器を持つ誇りに目覚める者。 彼らは、アレクシスという絶対的な支配者がもたらす「安全」と「対価」という契約の下、恐るべき効率で「労働力」から「国民」へと変貌しつつあった。


地下工房では、ブルンデルの指揮の下、「規格化」された鉄砲の製造ラインがフル稼働していた。傭兵団から得た高品質な鋼を「ヴァルケン鋼」の触媒と合わせて精錬し、治具を使って部品化していく。 その生産速度は、ブルンデルの予測通り、一日二十丁に達しようとしていた。


その日、アレクシスは、工房で完成したばかりの鉄砲十丁を、厳重に梱包させていた。


「ブルンデル殿。約束通り、あんたの故郷へ行く」 「ふん。俺の故郷は、もはやこの『炉』の前だ。だが、長老たちに、本物の『鋼』を見せてやるのも一興か」 ブルンデルは、自らが鍛え上げたヴァルケン鋼製の道具と、岩皮の熊の骨と皮のサンプルを荷馬車に積み込んだ。


「マルクス、ブルック。留守を頼む」 アレクシスは、最強の戦力である猟兵部隊の精鋭十名を護衛につけ、ドワーフの里「深岩の氏族」へと、再び馬を進めた。 今度は、哀れな亡命者としてではない。対等な「取引」を行う、新興国家の元首として。


灰色山脈の奥深く、谷底に隠されたドワーフの里。 アレクシスたちが到着すると、前回とは比較にならないほどの厳戒態勢が敷かれていた。 岩壁の上の見張り台には、クロスボウを持ったドワーフがずらりと並び、里の入り口には、重装鎧に身を固めた衛兵たちが立ちはだかった。


「止まれ! 人間!」


だが、その緊張は、アレクシスの隣にいる人物によって、すぐに驚愕に変わった。


「……ブルンデル!?」 衛兵の一人が、目を見開いた。 「生きていたのか! しかも、その装備は……」


ブルンデルは、ヴァルケン鋼で作らせた、黒光りする新型の胸当てと、肩にかけた真新しい鉄砲を誇らしげに見せた。 「長老ドワーリンに取り次げ。ヴァルケン領の領主アレクシス様が、『取引』に来られた。……俺の『主君』だ」


その「主君」という言葉は、ドワーフたちに衝撃を与えた。誇り高き深岩の氏族が、人間に仕えるだと? 衛兵は、慌てて里の奥へと駆け戻っていった。


すぐに、長老ドワーリンが、里の鍛冶師たちを引き連れて現れた。 彼らの視線は、アレクシスではなく、ブルンデルの装備と、彼が背負う鉄砲に釘付けになっていた。


「ブルンデルよ。その鋼……まさか」 「ああ、長老。アレクシス殿の知識と、岩皮の熊の素材、そして我が氏族の技術が融合した、新たな『鋼』。ヴァルケン鋼だ」


ドワーリンは、アレクシスに向き直った。その目には、前回の警戒に加え、技術者としての強烈な「嫉妬」と「好奇心」が渦巻いていた。 「……人間よ。いや、アレクシス殿。『赤き獅子』を壊滅させたというのは、真か」


「真だ」 アレクシスは、動じなかった。 「そして、今日は、あなた方に『戦争』ではなく、『商談』をしに来た」


アレクシスは、マルクスたちに命じ、荷馬車から十丁の鉄砲を降ろし、ドワーフたちの前に並べた。


「なっ……!?」 ドワーフの鍛冶師たちが、その光景に息を呑んだ。 ブルンデルが持っているものと「寸分違わぬ」、完璧に「規格化」された鋼鉄の武器が、十も並んでいる。 彼らにとって、武器とは、一本一本、職人が魂を込めて作る「一点物」だった。 この「工業製品」の山は、彼らの価値観を根底から揺るがした。


「試してみるか?」 アレクシスは、射撃場を指した。


ドワーフの里が誇る、地下大射撃場。 的として置かれたのは、ドワーフが作った最高傑作の「鋼鉄の盾」だった。


「ブルンデル、やれ」 「御意」


ブルンデルは、鉄砲を構え、正確に狙いを定め、引き金を引いた。


パン!


乾いた銃声が、地下空間に反響する。 硝煙が晴れると、ドワーフたちは、信じられない光景を目の当たりにした。


ドワーフが誇る「鋼鉄の盾」の、ど真ん中が、綺麗に貫通されていた。


「……馬鹿な」 「我が氏族の盾が……」 「あの威力……。ヴァルケン鋼の弾丸か!」


「いや」 アレクシスは、静かに訂正した。 「弾は、ただの『鉛』だ。コービンに安く仕入れさせた、ありふれた鉛だ」


鉛が、鋼を貫く。 それは、彼らの物理法則を超えていた。 「火薬の『爆発力』が、柔らかい鉛を、鋼を貫く『力』に変えたのだ」とブルンデルが解説した。


「そして」アレクシスは続けた。「この武器は、我が領地では、今、一日に二十のペースで『量産』されている」


ドワーリンの長い白髭が、わなわなと震えた。 彼は、アレクシスの真の恐ろしさを悟った。 技術ではない。この人間は、「技術を生み出す『システム』」そのものを作り上げたのだ。 そして、そのシステムは、王国最強の傭兵団を、一瞬で消し飛ばした。


「……人間よ」 ドワーリンは、アレクシスの目をまっすぐに見つめた。 「……取引の内容を、聞こう」


アレクシスの交渉は、ここからが本番だった。


「まず、この『鉄砲』十丁と、ブルンデル殿から聞いた『岩皮の熊の生体情報』。これを、あなた方に『無償で提供する』」 「……なに?」 ドワーフたちが、ざわめいた。


「我々は、この山脈で、あなた方と共存する『隣人』だ。良き隣人の証として、これを受け取ってほしい」 「……」


「その上で、対等な『貿易協定』を結びたい」 アレクシスは、地図を広げた。 「我々は、石炭と食糧(ジャガイモ)、そして『ヴァルケン鋼製品』(鉄砲や道具)を、あなた方に安定的に供給する」


「……見返りは?」


「『鉄鉱石』だ」 アレクシスは、地図の東側、未だ王国の手が及ばない地域を指した。 「あなた方ドワーフが知る、最高品質の『鉄鉱石』の鉱脈の情報と、そこに至るまでの『安全な道』。そして、我々がそこで採掘する『権利』を、認めていただきたい」


ドワーリンは、長い間、目を閉じていた。 アレクシスの提案は、あまりにも「美味しい」話だった。 ドワーフたちは、鉄鉱石を掘るより、鍛えることを専門とする。使われていない鉱脈の情報と引き換えに、この悪魔的な武器と、その製造技術の片鱗が手に入る。 何より、この恐るべき「隣人」を、敵ではなく「友」にできる。


「……良かろう」 ドワーリンは、目を開けた。 「アレクシス・フォン・ヴァルケン殿。貴殿の申し出、深岩の氏族の名において、受け入れよう」


ドワーリンは、地図の東、「赤錆の谷」と呼ばれる場所を指した。 「ここに、大陸で最も純度の高い『赤鉄鉱』が眠っている。道は、我が氏族が保証しよう」


アレクシスは、静かに頭を垂れた。 ヴァルケン領は、ついに「製鉄」という、国家の背骨となる産業の、最後のピースを手に入れた。 悪役貴族の領地経営は、最強の技術者集団を「貿易パートナー」に加え、次の次元へと進む。

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