第35話
ヴァルケン領を見下ろす、小高い丘の上。 大陸最強と謳われる「赤き獅子」の傭兵団は、完璧な包囲網を敷き終え、余裕すら漂わせていた。 団長、「紅のレオン」は、集落からの反撃が一切ないことを確認し、兜の面頬を上げた。
「クネヒト。言った通りだ。所詮はハッタリだったようだな」 「はっ。農民どもは壁の内側で震えている模様。火矢に対する消火活動も見られません。……『悪魔の力』とやらも、山賊相手に打ち止めだったか」
レオンは、眼下の貧しい集落を一瞥した。 「包囲を続行する。明日の朝には、白旗を上げて泣きついてくるだろう。……火を熾せ。兵士たちに休息と食事を与えよ。今夜は宴だ」
彼らの本陣――アレクシスが「ポイント・アルファ」と名付けた丘――では、兵士たちが組んだ薪に火がつけられ、暖を取り始めていた。 それは、彼らにとって、これから始まる退屈な包囲戦の始まりの合図だった。
館の屋根の上。 アレクシスは、その炎を、冷たい目で見つめていた。 敵の弓兵が放つ矢が、時折ヒュッ、と音を立てて館の壁に突き刺さる。 マルクスやブルックたちは、アレクシスの厳命を守り、盾の下で息を殺し、無抵抗を貫いていた。
「……ブルンデル殿」 アレクシスは、隣に控えるドワーフの技術者に、静かに言った。 「敵の本陣、火を囲む者たち、団長レオンを含め、およそ三十。完璧だ」
ブルンデルは、黙って頷いた。 彼の手には、巨大なボルタ電池から伸びる、二本のヴァルケン鋼の『針金』の端末が握られていた。 この二本が触れ合えば、三百メートル先の地下に眠る、十の鋼鉄の筒に詰め込まれた火薬が、同時に点火する。
「レオン。貴様は、優秀な指揮官だ。貴様の戦術は、何一つ間違っていない」 アレクシスは、真紅の旗を睨みつけた。 「だが、貴様の戦場に、『電気』は存在しなかった」
「……『雷』を、落とせ」
ブルンデルは、無言で、二本の針金の端末を接触させた。 バチッ! 微弱な火花が、彼の手元で散った。
三百メートル先の、丘の上。 「紅のレオン」は、部下が差し出したエールの杯に、手を伸ばした瞬間だった。
何の前触れもなかった。 音も、光も、匂いも、何も。
突如、彼が立っていた「大地」そのものが、牙を剥いた。
BOOOOOOOOOOOOM!!!
それは、木砲の一発とは比較にならない、天変地異だった。 地下に埋められた十の「ヴァルケン鋼製地雷」が、電気信号によってコンマ一秒の狂いもなく、同時に炸裂した。
レオンの本陣が置かれた丘そのものが、凄まじい轟音と共に、内側から「噴火」した。
十の火柱が、土砂と岩と、そして「鉄クズ」を巻き込みながら、垂直に吹き上がった。 レオンも、副団長クネヒトも、彼らの精鋭である重装騎兵たちも、その炎と衝撃波の「中心」にいた。
「「「―――――!?」」」
声は、なかった。 爆風そのものが、彼らの声帯と肺を、内側から破壊した。 真紅の鎧は、鋼鉄の筒から散弾のように飛び散った鉄クズによって、紙のように引き裂かれた。 馬も、人間も、肉片と化し、灼熱の土砂と共に、黒い雨となって周囲に降り注いだ。
丘の上に立っていたはずの「本陣」が、消えた。 そこには、巨大なクレーターが、地獄の口のように開いているだけだった。
「……」 「……あ……あ……」
包囲網を敷いていた、残りの二百数十の傭兵たちは、何が起きたのかを理解できなかった。 自分たちの「団長」と「指揮官」が、一瞬にして、文字通り「消滅」した。 山賊の噂にあった「悪魔の力」は、ハッタリではなかった。 それは、彼らの常識や経験を、遥かに超越した、「神」か「悪魔」の所業だった。
彼らは、百戦錬磨のプロフェッショナルだった。 だからこそ、理解した。 これは「戦争」ではない。「駆除」だ。
「……だ、団長が……」 「……消えた……」 「……だめだ、勝てるわけがない……!」
「――逃げろォォォ!!」
誰かが叫んだのをきっかけに、大陸最強の傭兵団は、たった一発の「雷」によって、完全に崩壊した。 彼らは、統制も何も無く、武器も盾も放り出し、我先にと峠道へと逃げ惑った。
館の屋根の上。 アレクシスたちは、その凄まじい光景を、地響きと爆風に耐えながら、見つめていた。
「……」 マルクスは、腰を抜かしていた。 「……これが、領主様の……『雷』……」 彼は、自分が相対していた敵が、いかに圧倒的な力で蹂躙されたかを理解し、恐怖で震えていた。 もし、自分が、アレクシスに逆らっていたら。
ブルックも、ガレスも、地下から出てきた新しき民たちも、全員が、その「噴火」した丘と、屋根の上に立つアレクシスを、交互に見比べ、ひれ伏していた。 彼らにとって、アレクシスはもはや「領主」や「経営者」ではない。 人の力を超えた、「何か」だった。
「……ブルンデル殿」 アレクシスは、爆心地から立ちのぼる黒煙を見つめながら、静かに言った。 「不発は、なしか」 「当然だ。俺の鋼と、貴様の電気だ。失敗などありえん」 ブルンデルもまた、自らが加担した「力」の恐ろしさに、わずかに顔を引き攣らせていた。
アレクシスは、逃げ惑う傭兵団の残党に、冷たい視線を向けた。 「マルクス!」 「は、はいっ!」 「猟兵部隊、全十名を招集! 馬に乗れ! あの丘を占拠し、生存者を掃討しろ!」
「は、掃討……ですか?」
「そうだ。王国への『報告書』は、俺が書く」 アレクシスは、銃を肩にかけた。 「『赤き獅子は、悪魔の領地に踏み入り、神の雷に触れて消滅した』。……そう伝えさせる。ハンス、ブルックも来い!」
五分後。 猟兵部隊が、地獄と化した丘に到着すると、そこには、息のある者は一人もいなかった。 真紅の鎧は、ズタズタの鉄クズと化していた。
「……マルクス」 アレクシスは、無残な死体の山を前に、淡々と命じた。 「新しい『労働力』の出番だ。彼らの最初の仕事は、この『戦利品』の回収だ」 「……鉄が、また手に入りますな」 「ああ。鉄と、馬と、金だ。そして何より――」
アレクシスは、峠の向こう、王都のある方角を睨みつけた。
「――我が国の『独立』だ」
ヴァルケン領は、建国と同時に勃発した「独立戦争」に、たった一撃で、人的被害ゼロのまま、完全勝利を収めた。 この日、辺境に、誰も手を出すことのできない、恐るべき「技術国家」が誕生した。
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