021 - 公爵家姉妹は寝るときに服を着ない


 全身を揉み洗われるような入浴だ。


 浴槽の中に直接石鹸を落とし溶かした湯を使い、手足の上をふたりの手のひらが這う。

 ときには恋人のように五指をぎゅうと繋ぎ合わせ、あるいは太もも同士をにゅるりと絡める。


 とても正気ではいられない。

 幾度と情けない吐息が漏れて、それをザリアとノーチェは「気持ちよさそうだねえ」とニヤニヤ笑って見下ろし、けれど手を止めることはしなかった。


「全身の刻印……改めて見ても複雑怪奇。私では読み解けない」

「マジびっしりだよね。超痛かったろ、これ」


 ふたりは余裕たっぷりだ。

 俺の身体に刻まれたインクの入れ墨を眺めて、雑談まではじめるくらい。


 この子たちに羞恥心はないのだろうか。


「なあハロ、この魔法陣はどんな内容なわけ?」

「そ、それは……タトゥー化したインクと、外のインクを同期させるための……」

「同期? あー、つまり……離れたインクにハロの思考を伝えてるってことか!」

「思考が伝わらないと魔術が発動しないんだったね。こっちの魔法陣は?」

「インクの攻撃性を……よ、抑制、して……勝手に周りを攻撃しないように……っ」

「なるほど、たしかにそれも必要」

 

 肌をなぞりながら、順々に魔術刻印の意味を確かめていくザリアとノーチェ。

 それどころではない俺に対して、姉妹は刻印のほうに興味津々である。


「あれ、背中には何も描いてないんだっけ?」


 背中側から身体を押し付けながら、ふとザリアが不思議がる。

 彼女の言う通り、全身にインクの調整用術式を刻印している俺だが、背中だけは空けたままにしている。ひとりでは筆を入れづらかったという理由ももちろんあるのだが、それ以上に──


「ひ、皮膚表面のリソースは有限だから……」

「ああ、なるほど。そりゃそうだよね」

 

 ──描き直しするのに莫大な手間のかかるこの魔術刻印は、できれば修正や拡張の余地を残しておきたい。それに尽きる。

 

 そのとき、ザリアとノーチェはぎゅうっと圧を強めた。

 不意打ちのような刺激に「ひんっ」と甲高い悲鳴が喉から上がり、ふたりはくすくすと擽るような笑みを浮かべる。


「……情けない。魔術を教えてくれるときは、あんなにかっこいいのに」

「いじめてやるなようノーチェ。ウチはセンセーの可愛いとこ、もっと見たいけどなあ」


 ……やはり彼女たちは捕食者であった。

 ヘビに睨まれたカエルのように、そのときの俺はぴくりとも動けず、彼女たちから逃げ出そうと思うことさえできなかった。


 あまりに情けないへなへな声だけを上げて、俺の身体はもうしばらくの間、好き放題もみくちゃにされるのだった。




 *



 どうやって脱出したのか、記憶はない。

 長く湯に浸かりすぎてのぼせてしまったのか、あるいは疲れと快感によって気絶してしまったのか──


 気付いた頃には、俺は知らない部屋のベッドの上にいた。


「ああ、寝具が上等すぎる」


 ふかふか、すべすべ。ありきたりな表現ではあるが、これほど上等な場所で寝たのは前世以来だ。

 心地よく寝返りを打とうとすれば、左右を温かな肉体にぎゅうと挟み込まれていることに気付く。


「…………」


 ザリアもルーチェも熟睡だった。

 絡まる手足を丁寧にほどき、俺はゆっくりと起き上がる。


 布団がほんのすこしはだけて、眠るふたりの裸体がそこに露出した。


「まあ、君らの家だから文句言わないけどさ……」


 寝るとき服を着ない派かあ。

 俺はふたりの上に布団をかけ直し、起こさないよう忍び足で寝室を出た。



 屋敷での生活には特にルールがない。

 それぞれがある程度の家事をして、一緒にいるときは食事も一緒に摂るとか、それくらいのつもりでいる。


 しばらくして起きてきたふたりと一緒に適当なパンをかじりながら、俺は本日の予定を立てる。


「ギルドにでも顔出してみようかな」

「おっ、いいんじゃない?」


 実験室となる予定の部屋は諸々整備中。

 必要な道具やサンプルも合わせてのんびり進めていくつもりなので、ひとまずは興味の出たことをやってみるのもいいだろう。


 生活を保証すると姉妹は言ってくれてはいるが、自分で使うお金はなるたけ自分で稼げるようになっておきたいし──

 あのギルド支部長しかり、鑑定士のエギーユしかり、知識人のいる場所を訪ねて損になることは絶対にない。


「いってらっしゃい」

「迷子になるなよ〜!」


 姉妹に見送られて、俺は屋敷を出た。

 慣れない貴族街を抜けて、昨日覚えた道順通りに冒険者ギルドへ。



 玄関口、相変わらず騒がしい。

 まだ早朝だというのに中はそれなりに混み合っていて、じわじわと込み上げる不快感をかき分けながら俺はカウンターのほうに進んだ。


「なあ、あのガキって……」

「白い頭のチビ、噂の竜殺しか?」

「たしか魔術師だと聞いている。だとすれば体格はあてにならん」


 ……好き勝手に言う冒険者たち。見られている。注目されている。

 昨日の今日だというのに、こうも広まっているか。噂の拡散が早いコミュニティだ。


「あ、ハロさん! おはようございます!」


 昨日も見た受付嬢が手招きするので、俺はその通りに従った。カウンターで迎えてくれたその女性は、まず俺に見覚えのあるカードを手渡す。


 ギルドカードだ。

 ようやく俺に身分が出来た。


「昨日もお話させていただいたように、ハロさんはC級からのスタートになります」


 了解です、と頷く。

 一方でカウンターでの会話に聞き耳を立てていた冒険者たちは「いきなりC級!?」とざわめいた様子だった。昨日はザリアも驚いていたし、かなり恵まれたスタートなのだろう。


「C級の場合、自分と同じランクの依頼を年に五件、あるいはD級以下の依頼を年に二十件以上こなしていただくことがノルマとなっております」

「……できなかった場合は?」

「残念ながら除名処分となります。ただし再加入は申請できます」


 なるほど、それがノルマか。

 とはいえ年に二十依頼というのは、聞いていたほど面倒だとは思わないな。同じランクの依頼なら五件で済むわけだし……ギルドカードの持つ効力のほうが圧倒的にメリットが多い。


「最後に今一度カードの内容をご確認ください。何か不備がございましたら修正いたします」


 俺は頷いて、自分のカードを確認した。

 とはいえ名前とランクが書かれただけの簡素なものだ。


 ハロ・スワンプマン・・・・・・

 申請したとおりの偽名・・が、そこには正しく記載されている。


「…………」


 俺は家を捨てた。

 今日からはこれでいい。


「え、ええと……問題なかったですか?」

「ああ、はい。大丈夫そうです。依頼ボード、見てきてもいいですか?」


 やや困惑気味に尋ねる受付嬢にそう聞き返すと、「もちろんです!」と愛想のいい返事が返ってきた。

 俺はさっそく、何か受けられるものはないか眺める。


「鍛冶師グループの護衛……報酬はかなりいいな」


 ふと目についたのは真新しい依頼書。鉱石採掘のための遠征、およびその護衛依頼ということらしい。

 ランクはD級で、他と比べると景気のいい報酬額。とはいえ時間がかかる上に予定日も少し先なので、今は見送りだ。

 

「薬草採取、こっちはいけそうだ」


 E級の依頼、街から北側に続く森での薬草採取。ランクはふたつ下になるが、慣らしにはちょうどいいかもしれない。俺がよく扱っている薬草なので、見分けるのも容易い。


 それからもうひとつ、恒常依頼というものがある。


 これは常に依頼ボードに貼り出されている魔物の討伐依頼で、わざわざ依頼書をもっていって受注申請する必要のないものだ。

 ゴブリンだとかオオカミだとか指定されている魔物を倒しておくと、その数に応じて報酬を受け取れる。要するに「他の依頼のついでに出来る小銭稼ぎ」である。年内ノルマに換算されるのかは不明。


 ここ最近では特にゴブリンの数が増えすぎており、報酬が増額されているそうだ。


「討伐証明は魔石か……」


 あの氷竜からも採取できた「魔石」と呼ばれる宝石は、あらゆる魔物が持つ魔力の伝導器官だ。

 この世界における魔物の定義は「魔石を持つか否か」であり、逆に魔石を持たない生き物はただの動物とされる。


 ちなみにそれはスライムだって例外ではないが、インクの場合、その魔石は俺のへと移植しているので外からは見えない。


「依頼の受注確認、お願いします」

「はい、お任せください!」


 依頼を受注して、そのままギルドを出た。


 薬草の生息地はドゥーラの街から北側に広がる森──ここは以前から行きたいと思っていた場所なのだ。

 ちょっとした規模の古代遺跡が残っており、石板や壁画の解読が進められているとかなんとか、本で読んだことがある。見学にいくにはちょうどいい機会だ。

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