007 - 狂人は魔術にしか興味がない


 ノーチェ・レヴィ──

 レヴィ姉妹の。彼女にとって、研究者とは尊敬の対象だ。


 レヴィ家の天文魔術は先祖たちによって研究され尽くされており、もはや追究の余地はわずか。

 必要な知識はすべて家の中にあり、さらにノーチェはセンスも抜群だった。大した苦労もなく一流の魔術師へと到達してしまった彼女からすれば、「何ひとつ自分で生み出すことをしていない」という負い目はある種のコンプレックスとも言える。

 あるいはそれはレヴィ姉妹の──ザリア・レヴィの死に物狂いの研鑽を一番近くで見ていたからこその思いだったかもしれない。


 そんなノーチェの前に、新たな尊敬の対象が現れた。それがハロ・モスカネイラである。



 鬱蒼とした山の中を少年は行く。

 山を調べたいとは言ったものの、こうした山歩きの経験はハロのほうが上。


 少年が先頭を歩き、そこに姉妹がついていく形で、ノーチェはハロの白い髪をぼんやりと目で追っていた。


 不思議な少年だ、とまず安直に思う。

 最初こそ公爵家という権威に萎縮していた彼だが、気にしないでいいと言えば本当に気にしなくなった。身分にも、そして容姿にも反応しない。レヴィ姉妹を前に大抵の男は様子をおかしくするのだが──


「……本当に魔術にしか興味ないんだ」

「うん? 何か言った?」


 その独り言に振り返ることもなく尋ねたハロに対して、ノーチェは「なんでもない」と答えた。

 彼の兄や父親のような粘着質な感じは嫌いだが、こうも見向きされないのはやや面白くない。


 そんなとき、前方から足音。

 ゆるやかな傾斜を下って迫ってくる。


「魔物が来てる。獣っぽい足音」

「ハロ! また頼んでいいの?」

「ああ、俺でいいよ。魔物避けにもなる」


 そう言ってハロはインクを展開した。

 鎖の王冠チェーンソーとかいう未知の魔術は、見ているとかなり使い勝手がよさそうだ。凄まじい威力に小回りも利く、さらには利き手を塞がない。

 唯一欠点があるとすれば強烈な摩擦音が発生してしまうことだが……今回はそれが魔物避けにもなっている。


 木々の向こうから現れたイノシシのような姿の魔物は、聞き慣れない音を響かせる鎖の王冠チェーンソーを前にビビったように足を止め──

 その隙にハロが攻撃を叩き込んだ。


「──ブギャッ!?」

「シシ肉か……勿体ないけど、血抜きする時間がないから今回はパスかな」


 脳天をかち割る一撃。

 倒れていくイノシシを前に残念そうに言うハロを見て、ザリアは呆れながら「あとでおいしいお肉食べさせたげるから!」と肩を叩いていた。


 すべての魔物が好戦的なわけではない。多くの魔物はただの動物と同じように臆病だ。

 だからこうしてたまに高い音を鳴らしておけば、近寄ってくる魔物は減る。足取りは好調だった。


鎖の王冠チェーンソー使いっぱなしだけどさあ、インクって魔力切れしないの?」

「一応限界はあるよ。ただスライムみたいな魔法生物は魔力の回復が早いから、元の魔力量もあって間に合ってるだけ。まずいときは薬を呑ませる」

「あー、ポーションとか?」

「粉薬かな。あまり薄めたくないから」


 ザリアと言葉を交わしながら、ハロは左手で腰の袋を漁る。彼が取り出したのは粉薬──ではなく乾燥させたフルーツだった。ふわりと甘い匂いが香る。


「インク、ご褒美」


 黒いスライムはドライフルーツの一切れを呑み、飼い主の手のひらにひと撫でされると、満足したかのようにガラス瓶の中に戻っていく。


 ……こういうところも不思議だ。

 "インク" なんて安直すぎる名前で呼ぶものだから、てっきり彼はあのスライムをただの実験動物としてしか見ていないのかと思っていたのだが……意外と情はあるらしい。


 それと気になったことがもうひとつ。


「……ハロ、右手は使わないの?」

「ああ、気付いた? さすが」


 ノーチェの指摘──

 ハロが頑なに右腕を使おうとしないことに疑問を抱けば、少年はふっと笑って答えた。


「あんまり酷使できないんだ。ぴりぴりして」

「ぴりぴり……?」

「麻痺。ミスってどっかの神経傷つけちゃった」


 ハロのを知らないノーチェでは「神経」という概念も知りようがない。

 けれど「脳神経まで繋げる」などといったセリフを彼の口から聞いたことがあるような気がして、それが何らかの自傷行為──いや、医療事故であることくらいは察しがついた。


 ぞっとする。

 そんなリスクのある実験を、この年齢の少年がたったひとりで執り行っていたという事実に。


「つ、次は私たちが戦うから!」

「ハロ! お前ちょっと休んでろ!」

「え? いや、別に大丈夫なんだけど……」


 焦ったように声を揃えるノーチェとザリアに、ハロは困惑しながらも頷いた。

 まったく、なぜそんな大事なことを黙っていたのか。


「眠れうさぎ、揺り籠、来たれ夜の静寂よ」


 夜の静けさを借り受ける隠密術。

 ノーチェが好んで用いるレヴィ家の天文魔術は、自らの魔術を天体に見立て、夜空の在り方、信仰、星の配置などを術式内に引用する「自然神秘に依存した魔術」であり「なぞらえの魔術」だ。その性質上、日が高いうちは効果が落ちるが、やらないよりはマシだろう。


「ごめんノーチェ、今日も任せちゃうね」

「うん、いいよ」


 ノーチェの魔術が働いている間、双子のザリアは魔術を使えない。仕方ないのだ、そういう呪いだ。

 


 また山を歩く。 

 気配を殺していても魔物との鉢合わせを避けられるわけではない。そういうときはノーチェが不意打ちで魔物を仕留め、強引に進んだ。


「浮かべ」


 ただ魔力を物質化しただけの弾丸──

 これを弧を描くように無数に撃ち出し、時間差をつけた連弾を叩き込む。いわゆる魔弾という基本の技術だが、ノーチェはこれが好きだ。


 少ない魔力コストで敵の急所を射抜く、これがとても効率がいい。ノーチェの並外れた精密制御のおかげで、そこらの中位魔術では及ばないような威力が出るのだ。


「ハロ、ノーチェの魔術見てなんかない?」

「なんかって……?」

「アドバイス!」


 後ろで勝手に盛り上がっているザリアたち。

 けれどたしかに、ハロの視点で何が見えるのかは興味がある。


「……魔弾を弧を描く形で撃ち出してるのは、星の動きを倣ってのこと?」

「そう! ウチらみたいな "なぞらえの魔術" は、魔術と現実を重ね合わせるほど効力が上がるから」

「なるほど」


 ハロは頷いて「それなら」と続けた。


「もっと精密に倣うといい。ただ弧を描くだけが星の動きじゃない」

「どういうこと?」


 ザリアの疑問にハロは少し悩んで……説明が難しいと思ったのか、懐から小さな黒い石板を取り出した。

 これはハロが「黒板」と呼んでいる薄板で、石灰を練って固めた画材で線を描くという、なかなか画期的な代物だ。


 さすがのノーチェも気になって、彼の手元を覗いた。

 ハロは黒板に円を描いている。ある一点を中央にして、幾重にも円を重ねるこの形は──


「──北の空?」

「うん、北向きの空の星の動き方。星の軌道を模倣するなら、これが一番真似しやすいと思う」


 北極星を中心に、円を描くように星が廻る。たしかに北向きの星空はそのように動くと勉強したことがある。

 知識としても知っていたはずなのに、そういえば魔術に取り入れようと考えたことはなかった。


「まあ星の動きって、頭で理解してても実感ないよな」


 カメラの倍速機能なんてこの世界にはないし──というハロの独り言に姉妹は首を傾げながらも、ノーチェはそれを自分の魔術にどういう形で取り入れるか考える。


「中心点を固定して、真円を描く……ちょっと難しい」

「魔弾ひとつひとつに動きを仕込むんじゃなく、設置した中心点に魔弾の軌道を紐づけるほうが簡単だと思う」

「なるほど、たしかに……」


 まずは空間の一点に北極星を定義──

 その北極星に、ノーチェの生み出す魔弾の軌道を制御させる。これまで一段階でやってきた魔術を二段階にするということだが、これはそう難しくはない……というか魔弾の制御が楽になる分、前よりも簡略化されている。


 ふと、ノーチェとザリアの目が合う。

 考えていることはきっと同じだろう。ハロ・モスカネイラ、この少年は一体何者なのか。


 知識、発想、いずれも並外れている。

 本人は魔術を使うことさえ出来ないくせに。


 けれどこれを "天才" と呼んで片付けるのは、きっと失礼にあたる。

 自分たちでは想像もできないような狂気と痛みの末に、少年はここに到達したのだろうから。


「ハロ、今は右手平気か?」

「え? ああ、うん。だから普通にしてる分には大丈夫だって」

「そうかそうか」


 実験の結果、軽く麻痺してしまったという少年の右腕を、ザリアは丁重に扱った。

 


 山登りは順調に進んでいた。

 ハロが立ち止まったのは、それから少し経った頃だった。


「……枯れてる」


 ふとした場所でしゃがみ込んだ少年は、何か異変に気付いたようだった。

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