005 - オオカミ狩り
こちらへと逃げてくる馬車。
そしてそれを追うオオカミの群れ。
正式な名前は知らないが、地元ではマンブルウルフと呼ばれている魔物だ。
普通のオオカミと比べて一回り大きく、また顎の部分がくちばしのように長く発達しているためか、ぶるぶると不気味な鳴き方をする。肉食かつ獰猛な魔物だ。
レヴィ姉妹はびくりと硬直し、最初に動き出せたのは俺だった。長旅で凝り固まった五指をぱきりと鳴らし、インクの瓶をゆるめる。
まあこの場合、まず優先するのは──
「馬を守らないとな」
馬車の側面、馬を狙うように駆けるオオカミの前に躍り出る。
それと同時に、俺の手のひらの中ではインクが渦巻いた。空中に黒い魔法陣を描き出し、そして姿を変える。
「
手のひらの上に浮かんだインクは円盤の形を成し、そして高速回転をはじめた。
さて、ここで解説しておこう。
インクの変形プロセスは主に三段階だ。
まずは魔法陣の形成。決まった合図を出すことで、記憶させた魔法陣をインク自身に描かせる。
この合図は日常動作に自然と織り交ぜることのできるものになっていて、今回の場合は左手中指の骨を二度鳴らすことがトリガーとなっている。
次にインクが魔術「
そもそも魔術の成立には「思考」「儀式」「魔力の捻出」の三つが必要だ。
今回の場合、思考は俺の脳から引用し、儀式のほうは本来であれば詠唱で済むところを、スライムは発話ができないため魔法陣で代用している。魔力は魔術の使用者であるインクが支払う。
最後に変形。
「
──キュルキュルと甲高い音を立て、高速回転する刃である。
刃は大顎を開けたオオカミの口内にぶち込まれた。あたりに響く轟音、それは到底 "刃" とは思えぬ音だった。
まさに工事現場さながらの騒音──と言って伝わるのは俺だけだろうが、とにかく円盤刃は、オオカミの顎の繋ぎ目を削るように突き進む。頭蓋骨さえ撫でるように斬り裂いて、脳みその半ばまで進んだところで勢い任せに引き抜いた。
血飛沫を上げて倒れるオオカミに、悲鳴をあげる御者。チェーンソーの音にビビった馬が、途端にスピードを増す。
「ひ、ひいいいっ!?」
「ああ、悪い。馬はなんとか落ち着かせてくれ」
馬には悪いことをしたが、オオカミとの距離が離れたのは悪くない。
「ハロ!? なっ、なんだそれーっ!?」
「原理はあとで説明するよ」
まあ、言ってしまえばウォータージェットカッターそのものなんだけど……円盤外周の水圧と回転速度を限界まで高め、さらには宝石を砕いて砂状にした研磨剤まで添加した代物だ。
粒子サイズの鋭利な結晶片が水流に乗ることで、斬撃のクオリティが格段に増すのである。研磨剤は鎖状に繋げ、円盤外周に集中してサイクルさせることで、宝石の消費量を節約している。
さあ、次々行こう。
こちらを敵と認識し、襲いかかってくるオオカミたちを八つ裂きにして回る。
左手を薙ぐように振り回せば、
「ブロロロロッ!」
「おっと、魔術を使える個体か」
唸り声と共に口の中で魔力の大球を形成し、こちらへと放つ大型個体。
中にはこういう賢い個体がいる。人間ほどスマートではないが、魔力を物質化して武器を作る──つまり魔術を行使する相手だ。
問題ない。
「逆巻け」
途端、円盤上に凝縮していたインクがぶわりと蜘蛛の巣状に広がる。
回転力をそのままにした
インクが再び円盤状に収縮する。
渦の中に巻き込まれた魔力球はそのままインクの中に閉じ込められ、再収縮の過程で押し潰されるようにして消滅する。
そして魔術を放った直後、ぽかんと口を開けたオオカミへとカウンターの
上出来。これほどの集団戦はあまり経験がなかったが、なかなか動ける。
それに戦っているのは俺だけじゃない。
「浮かべ」
ノーチェがそう唱えれば、空中に浮かぶのは無数の魔力刃。深い闇色のそれはオオカミへと切っ先を向け、そして放たれた。
弧を描くように円曲し、けれど最後にはターゲットへと収束していく弾丸──その刃は分厚い毛皮をも容易に貫き、喉や目玉といった急所に致命傷を負わせていく。
「こちらもシンプルな魔力の具現化……だが精度が段違いだな」
いわゆる "魔弾" と呼ばれる基礎魔術。
しかしこうも精密に狙い撃てる使い手はそう多くない。さらに──
「ノーチェ、交代!」
「うん。ザリア、お願い」
──弾幕が途切れた一瞬をカバーするように、ノーチェとザリアは位置を入れ替えた。
「浮上する
ザリアの詠唱と共に、その手の中に魔力の刀剣が生成される。明け方、ふと夜空に射したような紫混じりの薔薇色の刃だ。
普段のはつらつな気性に対して、ザリアの足取りは落ち着いていた。一歩の間合いを丁寧に踏み込み、素早く振り抜いた刀がオオカミの首筋を撫で斬りにする。
交互に放たれるザリアとノーチェの魔術は、前方から襲い来る魔物を次々に斬り殺していく。
俺はといえば、二人を無視して馬車を追おうとする一部のオオカミたちを駆除して回りながら、彼女たちの戦いぶりを眺めていた。
「ああ、綺麗だ」
美しい。
いいなあ、羨ましい。
それから戦線はあっという間に制圧された。
数を半分以上に減らしたオオカミたちは慌てたように逃げ出していき、俺たちもそれを追うことはない。
「はああ、あっぶねえ〜……マジいきなりすぎて心臓止まるかと思ったあ……」
「私はハロの魔術のほうにびっくりした」
「本ッ当にね! まだ耳の奥がキンキンする!」
ごめんって。
「でもすごかった! 回転力で斬る……いや削る? 新しすぎるよ!」
「うん。風の魔術ならともかく、水属性であんな応用は見たことがない」
……やっぱり観察力あるよなあ、と俺は感心した。あれを「回転の摩擦で削り斬っている」とひと目で見抜けるのは相当目がいいし、何より冷静だ。
そんなザリアたちを横目に、俺はオオカミの死体を観察する。
「ハロ、何見てんの?」
「痩せ細ってるな、と思って」
「ふうん?」
オオカミたちは痩せていた。
そもそも夜行性である彼らが日のある夕方から活動していること、こんな平地に降りてきていることまで含めて不自然な点が多い。なんたってこいつらの本来の生息地は──
「山だよなあ」
──開けた平地の少し先、故郷近くの青々とした小山だ。
やつらはあそこから降りてきた。原因は飢えか、あるいはもっと直接的な脅威に棲家を追い出されてしまったのか。
ふと、脳裏にはあのトロールがよぎった。
たしかにここしばらく、普段は滅多に見かけない魔物が降りてくることが多かった。町に張られた魔物避けの結界さえ無視して、山から降りてくるのだ。
「……異変が起こってるってこと?」
「ああ、そんな気がする」
ノーチェの言葉に頷きながら、俺たちはほんの少しの間、じっと山を見ていた。
ザリアもノーチェも、目の当たりにした違和感に対してそれぞれ何かを考え込んでいるようだった。
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