第4話
風は鋭く、肌が粟立つ。
魔物の狙いがユランからポーチカに移るのは当然のことだった。
だが来るとわかっていれば、腹も決まる。
ポーチカは口で開けた小瓶の蓋を吐き捨てた。ランプを持つ手に瓶も合わせて握り、闇を見据える。
依然、音はない。
しかし張り詰めた空気が間際まで圧してくるのを感じた──刹那。
ランプの灯に閃く刃物。
「──っ!」
小型のナイフで受ける。が。
──重い。
相手は両手が武器だ。もう片側から来る剣の振りを何とか横に飛んで躱し、同時に小瓶とランプをシノドに投げつけた。
シノドの攻撃は瓶とランプを割り、そしてポーチカが避けた背後の岩すらも簡単に砕く。
再び暗闇。
甘い薬草のような匂いがぶわりと漂い始めた。割れた小瓶からだ。
ポーチカは手で口を押さえ後ずさる。何も見えず踵が躓いた。
「わわっ」
後ろに転ぶ。甘い香りが強く鼻を突く。
闇に紛れたシノドが距離を詰めているのを感じた。
恐怖に飲まれるよりも早く、尻もちをついたポーチカの視界が白く染まった。
目の前で靡く、ユランのコートだ。
多分、ユランは何か言った。
もちろん聞こえない。
けれども素早く手を振り払うユランにポーチカは頷き、その場を這うようにして退いた。
再び数度、刃物をぶつけ合う火花が散る。
しかし明らかに、シノドの動きが鈍っている。ユランが押しているのはわかった。
そして──
ユランが地面に手をついたのがうっすらと見えた。瞬間、シノドが自ら砕いた黒剛石の欠片が仄かな光を放ち、魔物の足元に吸い寄せられるように集まる。
精霊魔法だ。やはり、破片であれば力を貸してくれるらしい。
シノドが避ける間などない。薄明るく輝く黒剛石の破片が、細長い体躯に巻き付いて締め付ける。
風穴が空いたように、唐突に音が戻った。
同時にシノドの不愉快な叫び声が岩山に響き渡る。
身動きが取れなくなった魔物の咆哮を浴びながら、ユランは静かに鉈を振り上げた。
§
「……ひどい臭いだ」
斬り落としたシノドの頭を片手にぶら下げたユランは顔をしかめている。
「何を使った」
「フェンの実の香辛料です」
予備のランプを準備しながらポーチカは答えた。ようやく辺りが少しだけ明るくなった。
「少量なら料理の香り付けになりますが、大量なら毒になります。毒が効く相手かどうかは賭けでしたが」
ポーチカはユランを見上げた。
「見えない聞こえないだと居場所を知るのに嗅覚が頼りになるかなって思って、きつい臭いのやつを使ってみました。役立ちましたか?」
ユランは僅かに目を細めてポーチカを見る。そして、倒れた岩柱のひとつに大儀そうに腰掛けた。
よく見れば負傷しているらしく、白いコートには何箇所か血が滲んでいる。特に痛そうにしている様子はない。
「上級に関しては、あんたは解体だけをしてくれればいい。戦いには手を出すなと前に言った」
「……」
──やるべき以外のことをやると、ユランさんは嬉しくない顔をする。
ポーチカは黙り込み、ランプの頼りない灯り下でシノドの解体に取り掛かった。
細い体。黒い表皮にナイフを滑らせると拍子抜けするほどあっさりと裂けていく。まだ生温い体内に手を突っ込み、奇晶を探った。
──あった。大きい。
引っ張り出してみると片手に収まらないほどの奇晶である。
これひとつで、下級魔物数百体分にはなるだろう。
喜びを噛み締めながら、ポーチカはぬめぬめと汚れた奇晶をぼろ布で拭った。
「おい早くしろ。“掃除屋”が来る」
ユランが不機嫌そうに急かす。
大群で押し寄せ魔物の死骸を喰らう甲虫、“掃除屋”。異常なほどの虫嫌いのユランは、それらが血の匂いを求めてやって来るのを恐れている。
しかしシノドの死骸は貴重だ。何かしら売れるだろうから、さらに切り分ける。
刃物状の腕、足を切り落とし、縄で括って大きめの袋に詰め込んで背負った。
夜の岩山にかさこそと“掃除屋”の迫る音が響いてきて、ユランは青褪めた顔で立ち上がる。
「終わったのか。終わってるよな。終わったんだろ──行くぞ」
言いながら、ポーチカの返事も聞かずに既に山を下り始めていた。
§
夜の闇、黒い山肌に溶け込んだような小屋に近づくと、窓には灯りが見えた。
ガルデニアは寝ないで帰りを待ってくれているようだ。
扉を叩くと、すぐに顔を出したガルデニアはポーチカとユランを見て、深く息をついた。
「帰ってきたな」
重々しい言葉に安堵が重なっている。
「ご心配おかけしました。でも無事に」
ポーチカは笑顔で、ユランがぶら下げているシノドの首を指差した。
ガルデニアは驚いたように上級魔物の一部を凝視し、ゆっくりとかぶりを振る。
「本当に無茶なことをする」
そして扉を大きく開けた。
「怪我をしているな。手当てをしなければ。──早く入れ」
部屋の中は暖かかった。
戦闘の興奮も冷めた体に心地よい。
ユランはコートを脱いでどっかりと椅子に座り、さらにおもむろに服を脱ぎ始めた。
「わっ、ここでいきなり脱がないでくださいよ。2階で……」
「階段を登るのが面倒だ。あんたがどっか行ってろ」
「……じゃあ奇晶茹でてます!」
慌てて台所に向かう。救急箱を持ってくるガルデニアとすれ違った。
「おい、あんたの手当は」
「ぼくのはほんのかすり傷だけなんで。台所、また借りますね」
答えも聞かずに台所に駆け込み、先程使って乾かしてあった鍋に、波なみと水を汲み入れた。
火をつけ、やがてふつふつと表面が湧いてくるが、沸騰するまではまだ時間がかかりそうだ。
鍋を覗き、立ち上る湯気を顔に当てているとポーチカは眠たくなってきた。
当然だ。深夜を越えて朝に迫っているのだから。疲労もある。
──朝の出発は無理そうだ。
台所に背をもたれるようにしてしゃがみ込むと、もう立ち上がれないような気もしてくる。
ぐつぐつと温かい鍋の音を聞きながら、ポーチカはやがて眠り始めた。
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