第一章

第1話


 その山を覆う岩は、冷たく、黒く艷やかである。

 絶えず強い風が吹き付けてくるので、油断していると足を滑らせかねない。

 ポーチカは慎重に、六つ脚の蜥蜴型の魔物──この地の岩肌に似た黒い表皮を持つ、ジヤドゥと睨み合っていた。

 両手にはそれぞれ、使い慣れた調理用のナイフを戦闘用に強化したものを握っている。


 魔物は基本的に好戦的である。

 ポーチカがほんの少し足を動かして生じた、じゃり、という小さな音に反応し、弾かれたようにジヤドゥが襲いかかってきた。

 仔山羊ほど大きさのジヤドゥ。

 動きは素早い。

 紫の舌をちらつかせ、岩を這いながらぐるりと回り込んでくる。

──ジヤドゥは魔法は使わない。近距離物理攻撃だけ。

 図鑑の知識を思い返し、ポーチカは腹に力をいれてナイフを構え直した。

 鋭い牙を見せて噛みつこうとしてくるのを僅かに後退して躱す。大きな口ががちりと閉じた瞬間、その蜥蜴の顔を思い切り蹴飛ばした。

 ジヤドゥが怯む。背後に回り、ごつごつした黒い背中に飛び乗りながら、頭に力いっぱいナイフを突き立てる。

──硬い。

 ほんの少ししか刺さらない。背筋に冷たいものが走る。

「わわっ」

 ジヤドゥが身体を強くうねらせ、ポーチカは地面に転がり落ちた。

 すぐに起き上がろうとするが──磨かれたような地面に足が滑った。

 目の前にジヤドゥが迫っていた。思わず目を瞑る。

「──っ」

 岩を叩き割るような硬く激しい音が響いた。

 痛みは……ない。

「戦闘中に目を閉じるなよ、ポチ」

 覇気のない声が上から降ってくる。

 ポーチカは恐る恐る瞼を開けた。

 目の前で、ジヤドゥの頭は鉈に叩き割られていた。

 見上げれば、ユランが冷たい視線をくれている。

「す……すみません」

 ポーチカは息を整えながらゆっくりと立ち上がり、自分に怪我がないことを確かめる。

「あんたも、1体くらいは狩ってくれてもいいと思うんだが」

 つまらなさそうに呟くユランの周りには、何体ものジヤドゥの死骸があった。

 すらりと背が高く、日の光に照らされ輝く美しい銀髪に色白の端正な横顔。

 まるで、雪の神とも呼べそうなほど神々しさを纏ったユランだが、その手には無骨な血塗れの鉈が握られていた。風になびく白いロングコートの裾にも、あちこち返り血を浴びている。

「すみませんって」

 ポーチカは少しむっとする。

「でも、狩りはぼくの仕事ではないので」

「自分の身ぐらい自分で守れた方がいい」

「それは、わかってますけど」

「やっぱり筋力の問題か……」

 別の方を眺めながらのユランの独り言に、ポーチカは焦る。

 足手まといだと思われるわけにはいかない。

「やるべきことはやりますって。解体はやりますから」と慌てて言った。

 ユランは何かを言いたそうにして口を開きかけ──しかし結局、何も言わずに閉じた。

 

§


 計7体のジヤドゥの死骸の腹を手早く割いていく。背の側と違い、腹の皮膚はそこまで硬くない。 

 やや白っぽい腹に切れ目を入れ、まだ温かい内部に手を突っ込む。しばらく探っていると硬く小さなものに触れた。

 掴んで引っ張り出すと、手のひらに収まるくらいの黒い結晶──奇晶だった。

 これらを集めることを目的として魔物を狩っているのだが、

「……小さい」

 コートの血を払いながらユランが不服そうに言う。

「仕方ないですよ、下級魔物ですから。ゼロよりはマシってことで」

 奇晶は魔物一体から1つしか取れない。ポーチカは次々と腹を割いて奇晶を取り出していく。 

 ぼろ布で適当に血を拭い去り、腰のポーチにしまう。

「売れる素材はないのか」

「まあ珍しくもないやつですからね。皮は綺麗に剥がせば、って感じですが、あまり時間もないですし。1、2体くらいやっときましょうか」

 日は傾きかけ、風の冷たさが増してきた。

 山を下ることを考えればそう長居をするべきではない。

 宣言どおり、2体の皮を剥いだところでポーチカは汗を拭いて立ち上がる。

「ガルデニアさんのところに戻りましょう」

 ユランは何も言わずにコートを羽織り、元来た道を戻り始めた。


§


 山の麓、黒い岩肌の上に立つ一軒の小屋があった。石造りに三角屋根の2階建ての建物である。

 ちょうど玄関から、がっしりとした体躯の初老の男性が出てきたところだった。

「あっ、ガルデニアさーん」

 ポーチカは手を上げて駆け寄る。再び地面に足を滑らせて転びかけ──ぎりぎりで踏み止まった。

「あー、危なかった」

「……大丈夫か」 

 無表情にガルデニアは確認する。

「せっかく治ったのにまた捻ったら困るだろう」

「あはは、すみません……」

 ポーチカは気まずい笑いを浮かべ、手に持っていた革袋を差し出した。

「ジヤドゥは何体か狩りましたよ。これジヤドゥの皮が入ってます。よければもらってください」

「そんな気は使わんでいい」

 ガルデニアは無愛想に答え、玄関脇のランプに火を灯した。

「そろそろ食事にする。手を洗ってくるんだ」

 薄闇に沈み始めた山のどこかで、鳥の魔物が鳴いている。

 その声を聞きながら、ポーチカとユランは外に汲み置かれた水で手を洗い、小屋に入った。

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