第10話
途中、例のギルドの者らしき追っ手が数名来たが、ユランは涼しい顔で地面を陥没させただけだった。追手達が足を取られて藻掻くのを尻目に、ポーチカはユランの後について森の奥へと進む。
月明かりも届かない深いところまで来て、ポーチカはランプに火を灯した。また少し歩き、崖の麓に出た。
「この辺りでいいか」
剥き出しになった地層の面にユランが触れる。あっという間に崖の側面に洞穴が出来上がった。
ポーチカが洞穴の中にランプを差し入れると、人間2人が寝泊まりできるくらいの大きさになっていた。
──本当に便利な力だ。
嘆息しつつ、ポーチカは荷物を中に置く。
穴の中は静かで土の香りが満ちていて、仄かに暖かい。
いつも持ち歩いているユランと自分の分の敷物を広げて、ポーチカはその上にぐったりと寝転がった。
「つ、疲れましたぁ……」
「じゃあ先に寝てろ。見張りは先にやる」
ぶっきらぼうにユランが言う。
「虫が出たら起こす」
「はは……」
力無く笑い、ポーチカは重たい瞼を閉じた。木々のざわめきや魔物の遠吠えが、霞むように聞こえる。
何を考える間もなく、すぐに眠りについた。
§
淡い明るさにそっと触れられたような、そんな気がしてポーチカは薄目を開けた。
洞穴の出入り口、アーチ型に切り取られた外では、木々の緑が輝いていた。既に日が昇っている時間帯のようだ。
どうやら見張りも交代せず、朝まで眠りこけてしまったらしい。
焦って飛び起き辺りを見回すが、洞穴の中にユランの姿はない。
「ゆ、ユランさん……?」
迷子の子どものような声が、洞穴の中に情けなく反響する。
「──ユランさん!」
「なんだポチ」
穴の外から、ユランが怪訝そうに覗き込む。
「あまりでかい声を出すな。……なんだ、その顔」
「あ……いえ」
思わず両手で顔をこすった。
洞穴の外に出ると、木々の隙間から差す日が眩しい。
ユランは外で鉈の手入れをしていたらしい。 砥石で研いだ刃を日に当てて確認している。疲れた様子には見えない。適当に仮眠はしていたのだろう。
「あの……すみません、ずっと寝てしまったみたいで」
「それはよかったな」
鉈を鞘に丁寧に納め、ユランは無愛想に言う。
「朝飯は」
「あ、すぐ準備します」
洞穴の中に戻る。
クラッカータイプの簡易食料とゲルダからもらったパンを紙袋から取り出すと、赤い小瓶も転がり出てきた。ルクの実のジャムも入れてくれたらしい。
ユランは軽く手を拭き、黙って簡易食料に齧り付いた。
ポーチカはパンを口にする。昨日よりは硬くなっているが、それでも美味しい。
誰かが作ってくれたものは、美味しい。
「……」
ウェストポーチから小さいナイフを出す。瓶のジャムをすくい、パンにつけて食べた。
予想を裏切るようなことはなく、何の香りも味もなくなっている。
「……どうした」
「いえ、再確認していただけです」
ポーチカは味のしなくなったパンを一口大にちぎって笑った。
「どんなに美味しいパンでも、ぼくが手を加えればあら不思議。無味無臭になっちゃいます」
その笑顔を無表情に見つめていたユランは、ポーチカの手からジャムのついたパンを奪い取る。
自分の口に押し込み、咀嚼し、ごくりと飲み込んだ。
「……おれには誰のどんな料理でも無味無臭だが」
「……」
「食べて、腹が膨れればいいんだよ」
それはユランなりの気遣いなのかもしれなかった。
嬉しくはあったが、しかし。
「そんなことないですよ」
ポーチカは穏やかに否定した。
「食べるって……そういうことじゃないんです」
その声は小さすぎて、ユランには聞こえなかったらしい。
手早く朝食を終え、片付ける。
ユランは洞穴の跡を隠すように埋め戻した。
「昨日の町では物資の補給もできなかったからな。別の町を探しつつ、南に向かうか」
地図を広げ、ユランは言う。
「ていうか、そろそろ色んなギルドに目をつけられている気がするんですが」
「時間はないんだ。邪魔するやつがいたら、埋める」
「あはは……そうですね」
苦笑いで答え、ポーチカは「よいしょ」と重たい荷物を背負う。
そんなポーチカを、僅かに目を細めてユランが見ていた。
「……なんです?」
「いや」 と口元にほんの少しの笑みらしきものを浮かべる。
「すぐに音を上げると思っていたんだ。あんたが、家を出ておれに付いてくると言ったとき」
「……」
「案外、しぶといんだな」
一時の沈黙が流れ、どこかで遠い鳥の鳴き声と、葉擦れの音だけがしていた。
「──浅ましいやつだと思いますか?」
ポーチカが訊くと、ユランは微かに眉を上げた。
世の中には、不治の病に侵され死の影に怯える者、耐え難い痛みに苦しむ者、そんな救いようのない者達が数え切れないほどいる。
──ユランさんが助けようとしている親友のように。
彼らを差し置いて、命の危機に迫るでもない呪いを解きたいと願い、果てのない旅に身を投じる自分は。
味はなくとも栄養のある料理を作ること、魔物の解体、虫払い、荷物持ち……あらゆる雑務を申し出て、果ては「女と二人旅は嫌だ」というユランにうんと言わせるために、身なりや口調を男のように整えてまで同行を懇願した自分は──ユランの目には一体どう映っているのだろうか。
「
コートの裾を払いながら、本当に何でもないことのようにユランは答えた。
それを聞いたポーチカは、自分の口端が自然と引き上がるのを感じた。
「ですよね」といたずらっぽく笑ってみせた。
「それにユランさんだって、ぼくがいないとだめですもんね」
ユランは「何?」と眉間に皺を寄せる。
にっこりと微笑み、ポーチカはユランの白いコートの裾についているものを摘み上げ──目の前にぶら下げた。
青い体に渦巻き模様の蜘蛛。
「──ひぎゃああぁあああっ!」
「ぼくがいないとユランさん、虫だらけの南の大森林に行くなんて、到底無理でしょう?」
「おま、それ、捨てろっ」
「こいつ、宿からぼく達についてきたんですかね」
「絶対違うだろ!いや連れてくなよおおぉおっ!?」
ポーチカは笑う。
こんなに騒いでいたら、魔物が寄ってくるかもしれない。
でもこの人となら、きっとどんな困難でも大丈夫だと、そう思えるから不思議だ。
この旅に、命をかける価値などないと笑う者もいるだろう。それでも構わない。
欠けたものを満たす。
それだけのために、先へ続く道を、この人とともに行く。
ポーチカから解放された渦巻蜘蛛は慌てたようにその場を離れ、ねじくれた木の幹を長い脚で忙しなく登る。
一際高い枝に到達した瞬間──鳥型の魔物がそれを食った。
魔物は大きな翼を広げ、森の木々よりも遥かに高く、白んだ朝の空を飛行する。
森の先には広大な川が、町が、山々が──世界が広がっていた。
完
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