第9話


 大鍋の中で煮えたぎる湯に、黒い奇晶をどぼんといれる。

 ゲルダから大きめの匙も借りて、ポーチカは奇晶を煮込み始めた。

「えっ、そうやって煮るものなの……?」

 ポーチカの背後では明日の仕込みなのか、ゲルダは野菜を切ったりしていたが、時々興味深そうに奇晶の作業を覗き込んできた。

「そうですよ。それにこれを入れて……」

 用意した褐色の小瓶から液を一滴、鍋に入れた。ニカゲ聖草の汁である。

「そうすると、外側の結晶が溶けるんです」

 匙の先で続くと、奇晶の表面は既にぶよぶよと柔らかくなりつつあった。

 しばらくして鍋の湯が真っ黒になった頃、ザルに上げると、琥珀色をした、胡桃ほどの大きさの塊が残った。 

「え……それだけ?」

「はい、これだけなんです。これが奇晶の核で、この部分を集めるんですよ」

 匙ですくって冷まし、ポーチカは核を指で摘んだ。奇晶の核はそれ自体が僅かに発光しており、神秘的なものを感じる。しかし、危険度等級上位の魔物の核で、この程度の大きさだ。精霊の求める量を思えば本当に途方もない道のりである。

 ポーチカは別の瓶にその核を入れて固く蓋を閉め、ウエストポーチにしまった。

「お仕事の邪魔しちゃってすみませんでした」

「いえ、いいのよ。町の恩人さんだもの」

 ゲルダは顔の前で手を振る。

「亡くなった人のご家族も感謝していたわ。遺品まで持って帰ってきてもらったって。ギルドの人はあまり……そういうことはしてくれないのよねえ」


──ギルド。

 『青嵐』という狩人ギルドがこの町の魔物からの護衛を請け負っているという。

 グレィム討伐を引き受けた時に、ユランは町側から当然その話を聞いているはずだろうが……。


 ──うん、あの人はきっと何も気にせず押し切ったんだろう。


 狩人ギルドと町との契約に横槍を入れてしまったような形になったが、上級魔物の相手は一刻を争うものだ。

 あの場にギルドの狩人はいなかったのだ。義はこちらにあるといえるだろう。 

 そう、ポーチカは結論づけた。


 ──とはいえ、ギルドが黙って上級魔物の奇晶を渡してくれるものだろうか。


「──ポチくん」

「はいっ?」

 流しで鍋を洗いながら考えに耽っていたポーチカは、弾かれたように顔を上げた。

「ちょっと悪いんだけど、そのお鍋、適当にかき混ぜてくれないかしら」

 ゲルダはまな板の上で大きな肉を切り分けていた。

 ポーチカが大鍋をどかした後の火元にはいつの間にか別の鍋が置かれ、野菜が煮込まれている。

「え、かき混ぜる、ですか……」

 ポーチカは強く狼狽えた。

 ゲルダが不思議そうな顔をするが、ポーチカは軽く唇を噛んで俯く。

「すみません、それは……できません」

「あ、ごめんなさいね、お客さんなのについ頼んじゃって。気にしないでいいのよ」

 申し訳なさそうにゲルダは微笑む。

 手を拭いて、大きな匙で鍋の中身をゆっくりと掻き回した。

「何だかね、子どもと台所に立ったら……こんな感じなのかなって思っちゃって」

 ふと、ゲルダが呟く。

「え」

「もし私に子どもがいたら、あなたくらいの歳かもって思うわ」

「……」

 ゲルダが既婚者であることは、つけている指輪からもわかっていた。しかし彼女の家族の影はこの宿にはない。

「ああ、本当に、さっきから変なこと言ってごめんなさいね」

「その、手伝うのが嫌とかではなくて」

 話を切り上げようとするゲルダにポーチカは言っていた。

「ただ……ぼくが作ると、ぼくが手を加えると、その料理は」

 自分の両手に視線を落とす。

「……味が、なくなってしまうので」

「味が?」

 ゲルダは僅かに首を傾げた。

「──くだらない呪いですよ」

 両手の拳を握り締め、ポーチカは呟くように、しかし確信を込めて言う。

「でも、だからぼくは、精霊の秘薬が欲しいんです」

 ゲルダが何か言う前に、急に外からどよめきが聞こえた。


「町長の家が崩れたらしいぞ!」

「何? また魔物?」

「おい、避難したほうがいいのか?」

 

 ──町長の家が崩れた。


 ユランが関わっているのは明らかだった。

「あっ、あのゲルダさん、色々ありがとうございました!」

 ポーチカは慌てて濡れた手を拭い、ゲルダに告げる。

「たぶん避難はしなくて大丈夫ですよ、でももしかしたらぼく達はもう──出発するかもしれません」

 ぽかんとするゲルダを置いて、ポーチカは宿の2階の部屋へと駆け上がる。

 手早く荷物をまとめた。

 ようやくまともなベッドで休めると思ったのに、それが、心残りである。


「──ポチ!」


 外からユランの声がした。

 窓から身を乗り出すと、騒然とする夜の道の中、白いコート姿のユランがこちらを見上げていた。

 よく見れば、ユランの足元には、体の半分くらいが道の土に埋まって動かない男が3人ほど見える。

 

「行くぞ! さっさと来い!」

「はいはいっ」


 急だし人使いが荒すぎる。

 ポーチカは舌打ち混じりに重たいリュックに肩掛け鞄、ユランの鉈2本という大荷物を抱え、今度は階段を駆け下りる。


「あっ、ポチくん──」

「やっぱり出発になっちゃいました! ばたばたしてすみません! さようなら!」

「ポチくんこれ」

 ゲルダが紙袋に包まれた何かを放る。

 受け取ると、少し小麦の香りがした。

「パンよ。これくらいしかすぐ渡せないけど。よくわからないけれど私、あなた達の旅が良い結果をもたらすことを祈ってるわ」

 急な出立にも動揺せず微笑んで見送るゲルダを見ると、母とはこういうものなのかもしれない、とポーチカは心の隅で思った。

「──ありがとうございます!」

 町長宅での異変に怯えているのか、行き惑う住人達の間を縫い、道の向こうで待つユランの元へと走る。

 白いコートは夜でも目立つ。


 腕を組んで待つユランは、

「奇晶の核はちゃんと持ってるか」

 開口一番それである。

「ありますよ!ていうか、何してきたんですか。ていうかそこに埋まってる人たちは」

「ギルドの連中だ」

 ユランはポーチカから鉈とリュックを取り上げて自分で持ち、駆け出した。

「町長宅でも絡まれた。だからちょっと、埋めてきた」

「……」

「死んではない──たぶんな」

 あっさりと言うユランに呆れつつ、まあいつものことだとポーチカは思い直す。

   

 この町に入って来たときとは別の、南の道から町の外に出ると、こちら側にも夜闇に沈む黒い森が広がっていた。

 

 こんなふうに町から逃げ出すのは何度目だ、とポーチカは溜息をついた。

 

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