第5話


 ユランを連れ、勝手に部屋の鍵を拝借した宿屋に戻ると、フロントには見覚えのある女性がいた。

「──あら、ポチくん」

「あっ」

 魔物の情報収集のために教会まで案内してくれたふくよかな女性、ゲルダである。

「あー、ここの方、だったんですね……」

「ええ、本当に魔物を狩ってくれたみたいね。助かったわぁ」

 嬉しそうな宿の女将に、ポーチカは何とも決まり悪い気分になる。

「それで、ここに来たってことはうちに泊まってくれるのかしら?」

「あ、そうなんですけど、ええと……」

 ポーチカは申し訳なさそうに、ポケットから宿の部屋鍵を取り出した。

「あの……勝手に借りちゃいまして」

「え?」

「お、お金は払いましたよ。そのカウンターに」

「確かに置いてあったわ。何かと思ったけど……」

 ゲルダは首を傾げ、やや疑わしそうにポーチカを見る。

「よく鍵の場所がわかったわね」

「……前に、別の宿で働いてたことがありまして、大体どこも似たようなものですから」

 正直に答えると、険しい顔をしていたゲルダはふっと笑った。

「いえ、無人で開けてたうちが悪いわね」

「──何でもいいが、早く休ませてもらえるか?」

 痺れを切らしたようにユランが口を挟んだ。

「ああすみません。どうぞお部屋へ。ではお夕食できたらお呼びしますね」

「夕食、楽しみです!」

「あらあら、こんな騒ぎだから有り合わせのものだからそんなに期待しないで」

 ゲルダは少し困ったように微笑む。

「味はどうでもいい。腹が減ってるんだ。早くしてくれ」

 言い捨てるようにして、ユランはポーチカから部屋の鍵をひったくると、さっさと階段を上っていった。

 ぽかんとしているゲルダに、ポーチカは慌てて頭を下げた。

「すみません。いつもああなんです、あの人」

 ユランのフォローも大変である。

 しかしゲルダは笑って首を振った。

「ちょっと怖い感じだけど、すごく美形よね、彼。目の保養でありがたいわぁ」

「はは……」

 乾いた笑いが漏れた。

 初めの頃は自分もそう思っていたのだが。


「──ぎゃあああぁあっ」


 上から素っ頓狂な悲鳴が聞こえ、ゲルダが「何!?」と顔を強張らせた。

「何でもないです、たぶん部屋に蜘蛛かなんかが出ただけでしょう。驚かせてすみません」

 なるべく怪しく思われないように笑顔で柔らかく言ったつもりだが、ゲルダは不可解な表情を浮かべていた。

 話題を変えよう。

「ああそれから、あとで台所お借りできますか?」

「──え?」

「今日狩った魔物の奇晶の処理をしたいんです。大鍋が使いたいので」

「奇晶を、自分で?」

「はい」

 ゲルダはさらに不審そうな顔をしながらも、「別に構わないけれど」と頷いた。

 

§


 部屋に入ると、ユランは隅の方で蹲り、両手で顔を覆っていた。

 毛足の短い絨毯の上を、林檎ほどの大きさの青い蜘蛛が闊歩している。

「あ、渦巻蜘蛛ですね」

 名前の通り、青い体の背には橙の渦巻き模様がある。見た目はどぎついが、毒はない。

「はははやく、それを、どっかへ」

「はいはい」

 ポーチカは静かに蜘蛛に近づき、素早くその体を掴む。大きさの割には軽く、脚をじたばたさせているのも可愛いものである。

 上級魔物を軽々と仕留めるユランがなぜ虫なんかをここまで嫌悪するのか、ポーチカは知らない。

 けれども、ユランの虫除けも自分の仕事の1つ。それがユランとの約束なのだと自分を納得させる。

 白木の枠の窓を開けて夜の外に放つと、渦巻蜘蛛は音もなく壁を伝って闇に消えた。

「もう大丈夫ですよ」

 笑顔でユランに振り返ると、まるでその言葉を信じていないかのように細目で部屋の様子を伺う。

 そして本当に危険が取り去られたことを確認したらしく──平然とした顔で立ち上がった。


「──ふぅ」

「だから、ふぅ、じゃありませんて。ほら、荷物片付けましょうよ」

「その手、拭けよ、ちゃんと」

「わかってますよ。ユランさんもそのコートの汚れ、払っといてくださいよ。臭いますから」

 適当に服の裾で手のひらを拭いながらポーチカは言った。

 


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