第3話
ユランは鉈を短く構え、森の中を颯爽と進んでいく。
ポーチカもウエストポーチから小ぶりな料理用ナイフを取り出して、握りしめていた。
「おい、虫には──気をつけてくれよ」
「言われずとも」
深刻な口調のユランに、ポーチカはやや呆れて返事をする。
ここは草木の生い茂る森だ。一体どうやって無数に生息する虫に気をつけろというのか。しかし文句を言うと数倍で返ってくるので、ポーチカは言わない。
「引きずった跡があるな。それと、血痕」
地面を注意深く見ながらユランが呟く。
「確かに」とポーチカは、何かを引きずったような跡の先を目で追ったが、途中で消えていた。
湿気を含む冷たい風が吹き、森全体がざわめいたような音を立てる。
ユランは屈んで地面の土に触れ、じっと目を閉じている。そして顔を上げると、「あっちだ」と引きずった跡とは違う方向を向いた。
「今日は教えてくれたんですね」
「ああ、今日は機嫌がよさそうだな」
少し満足そうにユランは立ち上がり、さらに先へと進んでいく。
途中、小型の魔物、ホウと遭遇した。二足歩行で人間の子供くらいの大きさの蜥蜴である。
ユランは何も言わずに鉈で叩き斬り、何事もなかったかのように通り過ぎた。
時間があれば解体したいところである。しかし、特別珍しい魔物というわけでもない。
もったいないという気持ちを抑えるようにして、ポーチカも死体はそのまま放置した。
大きな利益のためには、目先の小さな利益に囚われるべきではない。
木の根や蔦に足を取られないよう注意を払って足を運ぶ。
やがて鼻につく──魔物の匂い。
ホウのような小さな魔物ではなく、大きく、何度も人を食った魔物が纏う血の匂いだ。
「ユランさん」
「──ああ」
少し先、濃い茂みの向こうから重たげな足音がする。
ポーチカはユランとともに茂みに身を潜め、その先を見る。
──グレィムだ。
毛のない、薄い灰色の肌。体長は、大人の男性の3倍ほど。
長い4本の腕をだらりとたらし、腕に比べて短く太い足で、鼻息荒く歩き回っている。その腕は血に塗れており、グレィムの周りには同じく血に汚れた衣服などが散らばっていた。
体格の割につぶらな2つの黒い瞳がかえって不気味で、さすが危険度等級上級と思わせる異様な雰囲気を纏っている。
「あんたは見てろ」
「そうしたいです。お願いします」
ユランは落ち着き払った様子でグレィムを観察している。
あの魔物を前にして力まないでいられるのはやはりすごい、とポーチカが思ったその時。
ユランの白いコートの肩に──ぼとりと何かが落ちた。
「あ」
毒々しいまでに鮮やかな、拳大の毛虫である。
「──ぎゃあああぁあぁぁあああっ」
目を剥いて悲鳴を上げたのはユランだった。
「取れ! おいこれ取ってくれぇえええっ」
「そ、そんな暴れたら取れませんよ! うわ鉈が! 鉈が危ないですって! 自分で払ってください!」
「無理に決まってるだろおおぉ!」
猛然と近づいてくる足音。
「やば、グレィムが」
こんなに騒げば気づかれて当然である。
「ポチ!ポチぃ!何とかしろぉ!」
涙目のユランの腕を強く押さえ、ポーチカはその肩の毛虫を素手で掴み取ると、遠くにぶん投げた。
「──ふぅ」
「ふぅ、じゃありませんよ。グレィム来てますから」
「わかってる」
一瞬で冷静さを取り戻したユランは鉈を構え、4本の腕を振り上げて迫るグレィムの方を、冷めた目で見据える。
──ほんとにこの人は。
呆れつつ、ポーチカは巻き込まれないように距離を取り、茂みに隠れた。
ウエストポーチに入れていた小型魔物図鑑を開き、ポーチカは改めてグレィムを観察する。
危険度等級4級という上位に位置する魔物、グレィム。
凶暴な性格。骨のない4本の腕を自在に操り、攻防を柔軟にこなす。
発生原因は不明で、希少性が高い。
これは……奇晶の大きさも期待ができる、とポーチカは内心でほくそ笑む。
グレィムは4本の腕を振り回す。
ユランが難なく躱し、近くの木々が薙ぎ倒された。
皮膚も相当に硬いらしい。が、ユランに焦る様子は見られない
ユランが軽く片手を振ると、グレィムの足元から沸き立つように土がせり上がり、その動きを止める。
グレィムは何が起きているのかわからない様子で腕を振って藻掻くが、その上半身、腕までもが土に覆われていく。
首から上だけを残し、土人形のようになったグレィム。
鋭い牙の生えそろった口を開けてやかましく喚いていたが、跳び上がったユランの振り下ろした鉈で、頭が両断された。
血が噴き出し、辺りに雨のように降ってくる。
──やっぱり、反則級だ。
今や使える者はほとんどいないと言われている精霊魔法。
その中の、土の精霊の力を借りることができるユラン。
土が無限にある森の環境は、彼にとっては有利としかいえない。
事切れたグレィムを覆っていた土がぼろぼろと崩れ落ち、その巨体は、低い音を立てて地に伏す。
美しい銀髪や真っ白なコートが血に汚れることなど気にも留めず、ユランは涼しげな顔で鉈を振り、刃についた血を払った。
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