月下の一葉

紫野レイ

月下の一葉

男は何者でもなかった。



あてもなく、寝静まった世界を徘徊する。

この世界で起き上がって、活動するのは自分だけだ。そう思い込んで、自分が特別な人であると思い上がっているだけの、ただの一般人だ。





男は歩いて、歩いて、とにかく歩いた。家を出て、大通りを抜け、閑静な住宅外へ。

ここは家と家が身を寄せ合って自分を拒絶しているのだ。不幸せで、みっともない自分を。


男は幸せな人が憎かった。

自分はこんなに苦しんでいるのに、どうしてのうのうと笑って暮らしているのだ。自分の惨めさを突きつけられているようで辛くなるのだ。


歩くたび、どす黒い感情の塊が、空虚な男の身体の中をカラン、コロン、と転がった。

段々と、男の体は黒い闇に包まれていった。妬み嫉み、劣等、自己嫌悪。生きていくのも辛いほど、闇は深かった。


上を見上げる。月がでていた。丸い、満月。

なんだが月が丸い、ということにも無性に腹が立って仕方なかった。

満ちた月。欠けてるところがない月。

あぁ、宙さえも自分を嘲笑うというのか。


怒りが収まらない。男は近くにあった街路樹をえい、と蹴った。



ひらひらと一葉、月光に照らされて、舞い落ちた。

男はそれをじっと見つめた。

キラキラと輝いて地面に落ちていった一葉。

その一閃のきらめきは、男の中の闇を照らした。


「これは、宙から届いた自分への手紙だ。

命の散り際に、神々しい輝きを発したあの葉は、俺に見せたんだ。

『さぁ、見て御覧なさい。最期と云うのは美しくなくてはいけないんですよ。』

あの葉は、そう言っているようだった。

どうせ俺も死ぬんだ。最後に一度だけ、本気を出してから死のうじゃないか。」


男の足取りは軽くなった。 

男はもう、空っぽではなかった。

男の中は今では『かつての夢』で一杯になった。

忘れてた夢、過去においてきた希望。

どうせ死ぬのなら、叶えて見せようじゃないか。


男は、小説家だった。友達に蔑まれても、家族に捨てられても、物語を紡ぎ続けた。


たが、書けなくなってしまったのだ。

いくら自分の小さい脳ミソを精一杯捻って最高傑作を作っても、天才と呼ばれる人たちの作品にはどう足掻いたって敵わないのだ。

そう気づいたときにはもう、手遅れだった。

物書きをやめてみたら、何も残っていなかったのだ。友も、愛する家族も、好きな事も、全て失ってしまった後だった。

書けないくらいなら死んでしまったほうがましだ。そう思っていた。



たが、男は思い出した。なぜ自分が物を書くのか。

死んで無くなってしまう自分の、生きた証を残すのだ。

自分の散り際をできるだけ美しく描くために、苦しみながら生き続けるのだ。

それが「自分」の生きる理由なのだ。



男はもう、空っぽではなくなった。

男の姿は街灯の明かりの向こうに消えていった。

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月下の一葉 紫野レイ @v1olet-z3rogh0st

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