1960年代から70年代にかけての時代。
日本のテレビ番組の1日のタイムテーブルを繙くことから始まり、日本の大衆娯楽文化や世相の変遷を眺める。そんなエッセイです。
60年前から現在まで。
いわゆるテレビの地上波で視聴出来る番組は、大きく様変わりしたようです。
昭和の頃に〝巨人、大鵬、玉子焼き〟と囃されたように一様だった大衆の嗜好は様々に分かれることとなりました。
現代はインターネットの発達に伴う、多様なオンデマンドサービスの普及と、個人各々が、複数のディスプレイを持つ時代です。
当然ながら一家に一台であったテレビとお茶の間の生んだ文化は消えました。
「私たちは、バックミラーを通して現在を見ている。私たちは後ろ向きに進んでいる」
そう表現したマクルーハンの言葉のように。
私たちは現在を過去との関連でしか捉えられません。
なぜなら私たちが知り得るのは、過去と現在だけだからです。
現在のあり様を理解する基準は過去にしかない。
だから、過去を知ることは楽しい。
そう思えるのです。
先人の夢見た未来から眺める、在りし日の世界。やがて過去になる現在。
絶え間ない世相の移ろいを実感出来る作品です。
過去の日本は、楽しいですよ。
五十年前は、さすがに産まれてないわけでございますが、
ワタシとて昭和と平成を生き抜いてきた男にございます。
思うところはたくさんありますけれど、
そういえば思い出しますな。
私が通っていた小学校は、奥多摩という山の中の、人口の半分が熊でもう半分が杉の木という町だったのですが、
転校生がやってくると、まずみんな聞くのが「好きな野球チームは!?」でございました。
今では、転校生に何を最初に聞くのでしょうな。
何せ、この多様化の時代にございます。
……好きな球種は?
こんなこと聞く小学生いるかな 笑 私だったら友達になりたいけれど。
「ナックルカーブ」って答えます 笑
……なんだろう。好きなYouTuberは? ←これも多分古いなー。
好きなポケモンは? これかな!!
……そう考えると、ポケモンってすごくないですか!? 私が小学生の時には確かいましたよ! 奴ら!!
それと思うのは、自動販売機。これでございますよ……。
昔は百円だったって、信じてくれる人はいるのでしょうか!?
いつの間にか、缶コーヒーが百五十円。
ああ、それと!! 大きい変化は下着にございますよ!
私は、ブリーフをギリギリ経験した年代にございます。
あれの!! 蒸れ方は!! 地獄だった!!
トランクスが初めて出てきた時は感動しましたものなあ。
今では、多様化の時代にございます。
己が、何を目指そうとも、それが個のアイデンティティーとして受け入れられる時代にございます。
人間はどうも、広げた風呂敷を畳むのが苦手なように思えますので、須くこの多様性という風呂敷も広がるのでしょうなあ。
三十年、四十年先の未来。
私は……ギリギリ生きてるのかな。
その時には、果たして人類はどうなっているのか。
考えずにはいられないのです。
同じ気分をたくさんの方に共有したく。
ご一読を!!
今、私がレビューに使っているスマートフォン。
空を飛ぶ車が出る前に、この万能物体が登場し、世界中で利用されることを誰が予測できただろうか。
ポンコツロボットが出来る前に、ハーバード大並みの人工知能が出来ることを誰が予測できただろうか。
当たり前は崩れ、革新的な何かか絶え間なく押し寄せる世界。
昔の流れを振り返りつつ、このエキサイトな動きの先を眺めてみる。
・
「世界五分前仮説」なんて言葉がある。
世界は常に五分前に出来上がる。
そして、今までの記憶は辻褄が合うように移植されたものではないか、という思考実験だ。
もちろん、荒唐無稽な話である。
AIの素となるパーセプトロンは1950年代には発表されていた。
スマートフォンにしたって、技術的に可能になるまでに多くの要素が積み重なっている。
もちろん「すべての事実」は上記2つ以外にも膨大な数ある。
その連鎖を辻褄の合うように作ることは実質的に不可能だろう。
不確定なことがあまりに多すぎる。
とはいえ、そんな荒唐無稽な発想すらも信じたくなるほどに、今の時代はハイパーになっている。
自分はこの作品の想定読者より、一回り二回りは若いが、それでもかなりのショックに揺さぶられている。
文字通り「想定の範囲外」だ。その先が喜劇か悲劇かも、当然分からない。
しかし、時代の色はおそらく残る。1990年代後期〜2000年代前期に「世紀末」、美しい破滅を描いたアニメが多数存在したように、
おそらく私たちは、結果的にどうなろうとも「アフター〇〇」という言葉とともに、その色を、世界を振り返るのだろうと思う。