研磨機と女子高生 ~初恋の卒業式~
黒羽 透矢
前編
昼下がりの陽射しが、古びたブラインドの隙間から、うっすらと差し込んでいた。
駅から歩いて二十分。郊外の住宅地を抜けた先にぽつんと残された小さな店──ビリーブ・ゲームショップ。
チェーン店でもないし、『どこよりも高く買います!』と書かれた中古買取の看板も色あせて久しい。
俺の父親が遺した、今じゃ絶滅危惧種みたいな個人ゲームショップだ。
『俺はおまえを信じてない。店を任せられる器じゃない』
生前、父が最後に言い残した言葉。
なのに、遺書には俺に『店を継げ』なんて書きやがった。あの頑固親父、最後まで面倒くさい。
鬱屈した気持ちで店番をしていると、時間が止まったような錯覚に陥る。
だが、そんな静けさを破るように、ドアベルがちりんと鳴った。
入ってきたのは、制服姿の女子高生。場違いなほどキリッとした目をしていて、まっすぐにカウンターへ歩いてくる。
「これ、直せますか?」
差し出されたのは一枚のゲームディスク。レトロ世代の古いやつ。
ケースのプラスチックは白く擦れ、ジャケットの色もあせているが、キャラの髪型がとんでもなく特徴的なデザインなので、昔に流行った恋愛シミュレーションゲームだとすぐにわかった。
ケースから円盤を取り出して、裏面を覗き込むと、思わず眉をひそめる。
無数の傷が、光を受けて蜘蛛の巣のように走っていた。
研磨機にかければ、表面を削り直すことはできる。だが、これほど無数の──しかも深い傷となれば、まともに読み込める保証はない。むしろ傷がなくなるまで研磨することで、データまで死んでしまう可能性のほうが高い。
「これは……難しいな。この傷、相当深い。研磨機で無理に削れば、割れるかもしれない。円盤って思ってるより薄いんだよ。古いやつは特に」
「お願いします。割れてもいいんです。やってください」
「いや、割れてもいいって……あんたこれ、データ消えたらどうすんの?」
「それでもいいんです。やらないで終わるのは、もっと嫌です」
「研磨機かけても無駄だって。新しいの、買った方が早い」
そう言った俺に、彼女は首を振った。
「ダメです」
彼女の声は小さかったが、不思議なほど強い響きがあった。
「ダメ……ってことはないだろ? 買い直したほうがいい。人気の作品だったから、新品同様にきれいな中古、ウチにも置いてあるよ」
「…………」
「あのさ、俺こう見えて店長だからさ。なんなら中古のやつサービスで割引してあげるよ。だからさ、悪いこと言わないから──」
「──ダメです。これじゃなきゃダメなんです」
俺を見つめる真剣な顔。まるで命がかかってるみたいな。
ゲームなんて、買い直せば同じだろ。そう思っていた。でも彼女の目は、そういう理屈を全部拒絶していた。
沈黙が流れる。窓の外で、風に吹かれたビニール袋が、電柱にひっかかってぱたぱたと鳴っていた。
俺は思わず、ため息をついた。
「理由、聞いてもいい?」
彼女は唇を噛んで、少しうつむいた。
どこか迷っているような顔をして、それからなぜか遠くを見た。
なんか急に、彼女にスポットライトが当たったような気がした。
「これは、私の“初恋の墓標”なんです」
「お、おう?」
「このゲームは……昔、ある人にもらったもので」
「ある人?」
「小学生のとき、近所にかっこいいお兄さんがいて、二十歳くらいだった。よく一緒に遊んでくれて、このゲームも一緒にやってた」
「……で?」
「ある日、私が言ったの。『大きくなったら結婚しようね!』って。そしたらお兄さん、笑いながら『じゃあこのゲーム、クリアできたらね』って!」
「フラグ立ってんな」
「なのにあいつッ! 五年後には別の女と結婚しやがった!!!」
いきなり拳を握りしめて、真上から机を殴る。
ドンッ! と大きな音に、俺はちょっとびびった。
「しかも結婚式の写真をSNSにあげて『“子ども”が大好きなので、たくさん欲しいです!』──だって! ああ、そうかよ。おまえが好きだったのは“子ども”であって、“私”じゃなかったんかい!!」
「……いやまあ、年齢的にそうなるだろ。残念だけど、異性として見られてなかったんだよ」
「でしょうね! でもじゃあ、私との結婚OKするなよ! 私、死ぬほどムカついてさ! このゲーム、棚から落として踏んづけてやったのよ!!」
「ただの逆恨みじゃねえか!」
「でもね……思ったの。このままじゃ、私ずっと子どものままだって。大人になるには、このゲームをちゃんと直して、あいつとでは辿り着けなかった真エンディングを見なきゃいけないって!」
「なにその大人の定義──」
──くだらねえ。
そう言いかけた俺は、彼女の顔を見て言葉に詰まった。
涙まではいかないけど、ちょっと鼻が赤い。
俺は頭をかいた。
「……それで、修理?」
「はい」
彼女は顔を上げ、急にまっすぐな目をして言った。
「このゲームをクリアしたら、“あの頃の私”に決着をつけられる気がするんです。もう“ガキじゃない”って、自分に言えるようになりたい……それが、私の“初恋の卒業式”なんです!!」
熱弁だった。語尾が少しかすれていたけど、眼差しは本気だった。
まるで戦場に立つ兵士みたいに、円盤を握りしめていた。
くだらねえ理由。でも、なぜか笑えなかった。くだらないほど、まっすぐで真剣な気持ちもある。
無理だとわかっていても、試さずにはいられない。
俺も、かつては──ありえない夢や恋を無理やり追いかけていた時期があった。理由なんて、今じゃ思い出せない。でも、あのときの気持ちだけは、まだ残ってる。
「……わかった。やれるだけやってみるよ」
俺はカウンターの下から、書類を取り出した。
「これ、修理同意書。研磨によって破損・データ損失が起きても、当店は責任を負いません──ってやつ」
彼女はペンを握って、名前を書いた。
文字はちょっと震えてた。
俺はその筆跡をぼんやりと見ながら、心のどこかがチクッとした。
「よし、じゃあ預かる──ちなみに、円盤が壊れてもお金はいただくよ。悪いけど、これもビジネスだ。恨まないでくれよな」
「きっと大丈夫ですよ」
彼女は穏やかな顔で、妙に自信満々だった。
俺には、訳がわからない。
「なにを根拠に?」
「私の話をちゃんと聞いてくれた……やさしい店長さんなら、きっと大丈夫。そんな気がするんです。お願いします。私──信じてますから」
「……信じる──俺を?」
俺は少しだけ目を逸らした。
まだまだガキだな……信じるだけでなんとかなるなら、この世に苦労なんてものはない。俺なんかを信じてみたところで、どうせ──、
そのとき、親父が最後に残した言葉が、脳裏にこだました。
『俺はおまえを信じてない。店を任せられる器じゃない』
……ああ、うるせぇな、親父。
俺は、やってやるよ。
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