「春香（はるか）、すまない。別れて欲しい。俺の真実の愛の相手は……彼女なんだ！」

　

　久しぶりに会えたと思ったら。

　久しぶりに聞いた声が、これ。

　……誠実を演じてるつもり？

　私の前で、芝居がかったように頭を下げている。

　

　そんな彼の隣には——。

「ごめんなさい、松風（まつかぜ）先輩。私が悪いんです。」 　

　

　体を小刻みに震わせ、彼と共に私に頭を下げる一人の女性。 　

　え？泣いている？

　それとも……。

　本心の涙かどうかは、正直わからない。

　新卒の受付嬢、畠中恵美（はたなか　えみ）。 　

　華奢で可愛いと評判の、男性社員には人気の子。

　そう。

　男性社員には。 　 　

　なるほどね。 　

　私は、男を見る目がなかった。

　冷静に分析している自分が、いちばんどうかしてる。

　普通なら泣く？　

　怒鳴る？　

　取り乱す？

　どれも選ばず、ただ無表情で立っている自分が可笑しくなる。

　これって、変？

　……もう驚く気にもなれなかった。

　最近、あまり会えないからもしかしてとは、思っていたんだよね。 　

　二人が怪しいという話は、同僚や先輩たちから聞いているし。 　

　同じ受付の子が、本人がいっていたと。 　

「今、若手の中でもエリートだって言われている小暮（こぐれ）先輩と、付き合っているんだ～。」 　

　だってさ。

　嬉しそうにあちこちに自慢しまくれば、誰の耳にも嫌でも入るわけで。 　

　それにしても、この5年間。 　

　私たちが付き合っていたという事実は、会社にバレなかったのに。 　

　私も自慢げにみんなに話していれば、よかったの？

　

　好きで入ったからこそのこの会社。 　

　そして、憧れていた仕事。 　

　少々のめりすぎて、彼のことがおろそかだったかもと言われれば、否定できない。 　

　もう少し、仕事より恋を優先していれば。

　もう少し、自分を飾っていれば。

　……“もう少し”を積み上げていれば、もっと違う未来を望めたのかな。

　なんて。

　この状況から見れば、何もかもが今更なわけで。 　

　手遅れなのは、確定事項なのだけれど。 　

　少人数とはいえ、知った顔がちらほら見える中で、今のこの状況はマジでキツイ。 　

　なぜなら今私たちのいるこの場所は、会社の休憩室なのだから。 　

　仕事中、ちょっと一息入れたいときに利用されるこの部屋には、意外にも飲み物やお菓子、軽食の自動販売機が充実している。 　

　退社時間を過ぎても、休憩室には数人の社員がいた。

　そんな中で別れ話を切り出すなんて、正気とは思えない。

　……まさか、このタイミングで言ってくるなんてね。 　

　今のこの状況。 　

　傍から見ればどう転がったとしても、私はいい見世物で、そして悪役なんだよね。

　「最近流行りの“婚約破棄される悪役令嬢”って、きっと今の私みたいな気分なんだろうな。」

　まさか現実世界で、しかも私自身が同じ目に合うとは夢にも思わなかったけれど。

「分かりました。こんなにたくさんの証人がいるんだもの、問題ないと思うわ。お二人とも、どうぞお幸せに。」 　

　にっこり笑って、立ち上がる。

　何事もなかったように、平常心を装いながら。

　空気の悪い部屋を出た。

　そうするしかなかった。

　部屋を出た途端、拍手の音が響いた。

　まるで祝福の合図みたいに、次々と。　

「……なるほど。茶番の完成、ってわけね。」 　

　私は、すぐさま女子トイレへと急いだ。

　こんなに盛大にフラれたのだから、きっと泣いていると思われてる。

　それならそれで、ちょうどいい。

　――次回更新：10月25日（土）21：00予定