追放された転生聖女は女神の力を宿す者。チート付与で英雄たちを導き祖国へと凱旋する!

トウガ・シズハ

第1話【天宮結花】

「待って! リアナさん。私の名前は、天宮結花あまみやゆかです」


 天へ昇る魂に――この体の持ち主だった少女に、私の声は届いただろうか。


 じっと、新しい自分の体を見つめる。

 小さな両手は泥にまみれ、素足の裏からは血が滲んでいた。


 “聖衣せいい”と呼ばれる聖女用の神官衣しんかんいは、おびただしい返り血を浴びてこわばり、もはや元の生地が何色であったかすら判別できない。


 視界の端で揺れるのは、血と泥にまみれた金色の髪。“神の細工”と謳われた美貌も、今や見る影もない。


 自らの姿も無惨な有様だが、それでもこの焦土において、唯一の“命”ある存在だった。


 見渡せば、き出しの火山岩を覆うように、溶けて固まった金属と、炭と化した“人だったもの”が散らばっている。


 もはや遺体と呼ぶことすら躊躇われる、人の形と尊厳を失った、おびただしい数のむくろの山――“彼女”の記憶によれば、その数はゆうに二千を超える。


 私が……いや、この体の持ち主であった“彼女”が、彼らの中でただ一人の生き残りだった。


「うっ……!」


 びしゃり、とほとんど空っぽの胃の中身を地面にぶちまける。


 どうして、こんなことに……。


 本来の私――天宮結花あまみやゆかは、病院のベッドの上で、静かに死を迎えるはずだったのに。


 脳裏に響くのは、この体の本来の主――リアナ・アウリス・ローデリアがのこした、たった一つの言葉。


――この国を……この世界を……そこで生きる人々を、どうか救ってください。


 “彼女”がどんな境遇に生まれ、どんな人生をたどって、この地で命を落とすことになったのか。私はその記憶を、この体と一緒に受け継いでいる。


 そんな“彼女”の記憶と、退屈な病室で読みふけった、数多の物語の展開が結びつく。


 どうやら私は、“異世界転生”をしてしまったらしい。

 それも、他人の体を乗っ取る“憑依”という、私が知る限り最悪の形で。


 事の起こりは、今から六時間ほど前のことだった――。


***


 私は、都内にある大学病院のベッドに横たわっていた。


「……非常に厳しい状態です。今後の方針について、あらためてご相談を……」


 意識の彼方で、かすみがかった医師の声が響く。


 もう、痛みはない。

 呼吸の苦しさも、とうに感覚から消え失せていた。


 光も、音も、匂いも、ぬくもりも。

 そのすべてが、私という存在からがれ落ちていく。


 もうすぐ、私は死ぬのだろう。

 まだ、十八歳になったばかりなのに。


 中学と高校、その六年間の大半を病室で過ごした。友達と笑い合う時間も、何かに夢中になる青春も、私にはなかった。


 両親に心配をかけ、先生や看護師の方々にも、迷惑ばかりかけて。


 ただ施されるばかりで、何も成せず、何も返せないまま死ぬのなら……私は、何のために生まれてきたのだろう。


 嫌だ。

 誰か、助けて――。



「……もし、たった一つだけ願いを叶えられるとしたら、あなたは何を望みますか?」


 突然、透き通るような美しい女性の声が、どこからともなく聞こえてきた。

 その声は、優しく穏やかな響きでありながら、自然とひざまずきたくなるような神性を帯びていた。


 失ったはずの視界に浮かび上がる、無数の光の粒。

 白銀に煌めき、揺らめきながら、私の周りを漂っている。


「私はエルセリア。調和を司る神の一柱。あなたのような“ᚲᛁᛃᛟᚱᚨᚲᚨᚾᚨ”な魂を求め、この世界へ降り立ちました」


「えっ? 今、どんな魂とおっしゃいましたか? それに、世界って……?」


 返事はない。


「あなたが私の願いを聞き入れてくれるのなら、あなたの望みを一つだけ叶えましょう」


 どうやら、質問に答えてくれる気はないらしい。話の内容も唐突で、あまりにも現実離れしている。

 けれど、消えゆく意識に抗って、抑えきれない期待が膨らんでいく。


 私の願い――。


 迷うことなど、あり得なかった。


「……生きたい」


 それは、私の人生でいちばん強く、いちばん真っ直ぐな、魂の叫びだった。


***


 まぶたを開くと、そこは見慣れた病室ではなく、吸い込まれそうなほどに高く広がる青空だった。


 頬を撫でる風の香り。背中に触れる草の感触。体に感じる、確かな重みとぬくもり。

 そして何より――。


「えっ? うそ、何これ……体が、小さくなってる!?」


 跳ね起きると視線がやけに低く、自分の声も驚くほどに幼い。けれど、華奢な手足は――自由に動く。


 戸惑いと歓喜が入り混じる中、せきを切ったように、膨大な情報が頭の中に流れ込んできた。

 リアナ・アウリス・ローデリアという名前。十四歳という年齢。家族。街の風景。そして“彼女”の――人生の記憶。


 その瞬間、私はすべてを悟った。


 “彼女”が――この体の元の主が、どれほどの想いを抱き、いかなる絶望の果てに“禁忌の術”を行使したのかを。


「……そうか。私は、“もらった”んだ」


 この子の命も、願いも、背負うべき運命も――そのすべてを、託されたのだ。


(この国を……この世界を……そこで生きる人々を、どうか救ってください)


 不意に、脳裏に声が響く。病室で聞いた神の、エルセリアの声ではない。もっと幼く、可憐で、そして儚い――これは、“彼女”自身の声だ。


「――待って、リアナさん。私の名前は天宮結花あまみやゆかです」


 せめて名前だけでも伝えたかった。だが、その声が届いたのか、もう確かめる術はない。

 私の“生”は、この子の“死”の上に成り立っているのだから。


 胸が締め付けられるような思いに駆られ、足は吸い寄せられるように火山へと向かった。

 “彼女”が、少し前までいたところ――惨劇の現場へ。


 最初はゆっくりと、やがて、何かに急かされるように駆け足で――。


 “彼女”は“私”にあの光景を見せまいと、わざわざ離れた場所に移ってから術を使ってくれたのに。

 そんな彼女の配慮を、私は今から踏みにじることになる。


 それでも、見ないまま進むことはできなかった。


 “彼女”の記憶として、あの惨状は知っている。だから、辛くとも耐えられるはずだと思った。


 だが、実際に目の当たりにした現実は、そんな甘い想像を容赦なく打ち砕いた。


 胃液を最後の一滴まで吐き出した。涙はとうに、“彼女”が流し尽くしている。


……それでも、私が出した答えは、やはり“生きたい”だった。


 だから、立ち上がる。

 泥にまみれた素足が、鋭い火山岩で傷つき、ふたたび血を滲ませる。


 袖で口元を乱暴に拭い、まっすぐに前を見据えた。

 転がるように山を降り、ふもとの草原を抜け、街道を目指す。


「……帰らなきゃ。どんな運命が待っていても。“彼女”が命を投げ出してでも、守ろうとした国なのだから――」


 きっとこれは、最悪の始まり。


 それでも私の世界に、光が、音が、匂いが、ぬくもりが――“命”の輝きが、戻ってきたのだから。

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