第4話 運の終点、人生の始点

玄関のビニール袋には、以前はストロング缶や第3のビールが詰まっていた。

今は、ビールと、あの缶ジュースの空き缶が並んでいる。


かなり使ってしまったが、まだ二〜三百万円は残っていた。

当分、生活に困ることはない。


生活に余裕が生まれると、心にも余裕が生まれる。

小さな会社だが再就職も決まった。

出社は一ヶ月後。会社の都合らしい。


金はある。まだ遊べる。

次は何に使おうか――そんなことばかり考えていた。


Aは三十五歳。まだ若い。

そういえば、もう何年も彼女がいない。

仕事も決まったし、そろそろ結婚もしたい。


Aは婚活サイトに登録した。

複数の女性とマッチングし、その中でも一番気の合った女性――Bと付き合うことになった。


歳も近く、出身地も同じ。

共通の知り合いまでいた。

これほど運命的な出会いはなかった。


Aは飽きっぽく、短気で、面倒くさがり。

Bもまた、同じような性格だった。

だからこそ、気が合ったのかもしれない。


仕事が始まるまでの間、AとBは怠惰な生活を送った。

それが、Aには幸せだった。


蒸し暑い夜。

喉が渇いて目を覚ましたAは、冷蔵庫を開ける。

最近ではすっかり忘れていた、あの缶ジュースが一本残っていた。


缶を開け、一気に飲み干す。

これで最後か――そう思って缶を眺めると、注意書きが目に入った。


※警告!!!

残りの運をすべて使い切りました。

困難を乗り越えてください。


一気に目が覚めた。

「運を使い切った?」

バカバカしい。根拠もない。


確かにこの一ヶ月は、運が良すぎた。

缶ジュースのおかげかとも思ったが、冷静に考えれば、そんなことはありえない。

調子に乗って警告文なんて載せるから、量販店では扱えなくなったのだろう。


――だが、それはただの警告ではなかった。


翌朝、Bは消えていた。

財布、キャッシュカード、腕時計――すべて持ち去られていた。


連絡は取れない。

婚活サイトを開こうとするが、すでに閉鎖されていた。

運営元が倒産したらしい。


Aは茫然自失で項垂れた。

あのBとの日々。結婚も考えていた。


スマホに目をやると、知らない番号からの着信。

まさか、Bから――そう思って電話を取ると、就職先の人事だった。


「人員選考にミスがあり、採用は取り消しになりました」


金さえあれば、と思ったが、すでにBによって引き出された後だった。


一気に、奈落へ突き落とされた。


車を売却した。

だが、一度人手に渡れば中古扱い。

新車購入時より、ずっと安い値での買取だった。


その金で家賃を払い、少しだけ余った。

だが、心に余裕はなかった。


後にわかったことだが、Bはロマンス詐欺の常習犯だった。

複数の男性から金を奪い、その金で海外に男と逃亡。

結局捕まったが、すでに無一文だったらしい。


また、以前の生活に逆戻りだ。


車を売った金は尽き、家賃は滞納。

スマホも再び止まった。

何もかも元通り――いや、それ以下だった。


酷い目に遭ったのに、Bが忘れられない。

あの豪遊の日々が忘れられない。

車も腕時計もない。

持ち出せなかった家電だけが、部屋に残っていた。


結局、運がなかった。

金も仕事もない。

残ったのは、空虚な心だけ。


Aは思った。

「運がなかった。結局、ついてなかった。周りの環境が悪すぎた」


怒りが沸々と湧いてくる。


積んである段ボールを殴り、蹴り、叫んだ。

気づけば、買ったテレビすら蹴り飛ばし、液晶が割れていた。


潰れた段ボールの隙間から、あの母の手紙がのぞいていた。


便箋には、こう書かれていた。


運が無いなんて、お父さんもよく言っていたけれど、

運なんて無くても関係ない。

運は、自分で呼び込めるもの。

周りのせいにしても、しょうがない。

転んでも、起き上がれば、必ず運はやってくる。

あなたの人生、後悔せずに、切り開いてほしい。母より。


Aは手紙を読んで、声をあげて泣いた。


数日後、Aは実家に帰ることを決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

運、借りられますか? an @an0324

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ