断罪令嬢、証拠品がアレでしたわ!
舞見ぽこ
<前編>わたくし、お姉さまの復讐をしてさしあげますわ!
『わたくしアメリア・ローデリアの名において、断罪してさしあげますわ!』
わたくし、アメリア・ローデリアの凛とした声が、セレスティア王立学院の大広間に響き渡った。
煌びやかなシャンデリアが揺れ、音楽もざわめきも止む。
卒業舞踏会の華やぎが、一瞬で凍りついた。
——壇上に上がる予定など、本来なかった。
けれど、わたくしは意を決して階段を上り、学院の象徴たる赤い絨毯の中央へと進み出たのだ。
この場でこそ、正義を示すと決めたから。
わたくしが断罪する相手。それはありがちな悪役令嬢などではない。
断罪されるのは、この学院随一の才子にして、氷のように冷たいと噂される殿方——
「レオンハルト・グレイ。これからあなたの悪事の数々を証明いたしますわよ!」
ビシィッ!と、わたくしは彼を指さした。
会場中が息をのむ。
レオンハルトは黒曜石のような髪を揺らし、切れ長の瞳をこちらに向ける。
端正な顔がわずかに歪んだ。
「……はあ?」
さすがの“氷のレオン様”も、予想外すぎたのか眉をひそめる。
ふん、そんな顔をしていられるのも今のうちですわ。
「リリィ、あれをお持ちなさい!」
「お嬢さま、本当に……今ここで、ですか?」
壇の隅で控えていたリリィが、困惑の声を漏らす。
彼女はわたくし付きの侍女であり、平民出身ながら特待生としてこの学院に通う才女。
いわば、わたくしの右腕であり、時に暴走を止めるブレーキでもある。
そんなリリィが、重々しく紙袋を抱えて壇上へと進む。
その様子を見て、レオンハルトが信じられないというように口元を覆った。
「お前が……私の前をうろついていたのは……このためだったのか……」
その言葉に胸がチクリと痛む。けれど——
セレスティアお姉さまを泣かせた罪、思い知るがよろしくてよ!
リリィから火箸を受け取ったわたくしは、
紙袋の口をそっと開き、
まるでバッチイものでも掴むように火箸を差し入れて——
その中身をつまみ上げ、高々と掲げた。
「証拠はここにありますわーーー!!」
会場がどよめいた。
掲げられたのは、一枚の絹の……パンティー。
しかも、端には堂々と金糸でleonの刺繍が。
(フン。素手で掴むなどおぞましいですわ! 火箸で十分ですのよ!!)
呆然とする殿方、悲鳴をあげ、ざわつく令嬢たち。
一介の伯爵令嬢が殿方の下着を掲げて断罪する——そんな光景、冷静に考えればあまりにも滑稽。
それでもわたくしには確固たる信念があった。
たとえ自分が恥をかこうと、セレスティアお姉さまの涙はこのわたくしが晴らしてみせる!
……これが、後に「卒業舞踏会パンティー事件」と呼ばれる悪夢の一夜の幕開けであった。
—————————————————————————————————————
四か月前——。
セレスティアお姉さまとお会いしなくなって、もう三週間が経っていた。
いつもなら週に一度はお茶会を開いてくださるのに、急に招待が途絶えたのだ。
もしかして、わたくし、なにか気に障るようなことを言ってしまったのだろうか。
前回のお茶会で紅茶の銘柄を褒めたつもりが、あれはお姉さまのお好みではなかったのかもしれない——
そんな考えが頭をぐるぐると回り、落ち着かなくなった。
結局、心配が勝った。
わたくしは思い切って、お姉さまのお屋敷を訪ねた。
メイドの案内で通されたお姉さまの部屋は、薄いカーテンが引かれ、静まり返っていた。
あのいつも光に満ちていた場所とは思えないほど暗く、どこか冷たい空気が漂っている。
部屋の奥、ソファに腰を掛けていたお姉さまを見た瞬間、息が詰まった。
社交界の華と呼ばれ、誰もが振り返る美しさを持つ人。
わたくしの憧れであり、目標でもあったそのお姉さまが、
まるで色を失った花のように、静かに俯いていた。
「お姉さま……どうされたんですか?」
声をかけると、ゆっくりとこちらを振り向く。
その瞳に、いつもの強さはなかった。
「アメリア……来てくれたのね」
かすかな微笑みが浮かんで、すぐに消えた。
「最近、お姿を見ないので、心配で……」
椅子の向かいに腰を下ろすと、お姉さまは少し迷ったように指先を組んだ。
返事の代わりに、部屋の時計が小さく時を刻む音だけが響く。
沈黙が長く続き、胸の奥がざわついた。
何かを言おうとして、けれど言葉が見つからないような——そんな表情。
やがて、お姉さまは小さく息を吐き、かすかに目を伏せた。
「……レオン様に、もてあそばれたの」
その言葉があまりに突然で、思考が止まった——。
* * * * * *
お姉さまの話によると——
相手はセレスティア王立学院の侯爵家のレオン様だという。
舞踏会の夜に出会い、何度かお会いするうちに惹かれ合っていったのだそうだ。
彼は優しく、紳士的で、いつもお姉さまを気遣ってくれた。
そうして逢瀬を重ねるうちに、気づけば心だけでなく身体までも許してしまった——。
それは、愛の証だと信じて疑わなかった。
お姉さまは彼の言葉ひとつ、微笑ひとつが真実だと信じきっていたのだ。
ある夜。
お姉さまは思い切って尋ねたのだという。
『いつ婚約の申し込みをしてくださるの?』
返ってきたのは、あまりにも冷たい言葉だった。
『勘違いさせたようだね。君とは遊びで、本命は他にいる』
お姉さまはそこまで言うと両手で顔を覆い、声を詰まらせた。
「そんな……!!」
胸の奥が、ぐつぐつと煮えたぎるように熱くなる。
「なんというスケコマシのすっとこどっこいですの……!」
思わず立ち上がったわたくしの声が、部屋に響いた。
「学院にそんな悪党がいるなんて! レオンめっ!! ゆるせませんわあああ!!」
お姉さまが目を丸くされる。
それでも、止まらなかった。
「あんな“女性に興味がない”なんて孤高のヒーロー気取りで、裏ではそんな真似を!?なんてふてぶてしいのでしょう!」
わたくしは息を整え、拳を固く握りしめる。
「お姉さま、わたくし——お姉さまの復讐をしてさしあげますわ!!」
「アメリアったら……」
お姉さまは少し呆れたように微笑まれた。
「落ち着いて。なんだか淑女には相応しくない言葉が、ちらほら聞こえた気がするけれど……」
「でも、面白そうね。同じ学院のあなたなら、あの”すっとこどっこい”に目にもの言わせてやれるかもしれないわ」
お姉さまはそう言うと、いたずらっぽく目を細め、片方の口角を上げた。
そう。お姉さまはわたくしより二歳年上で、学院は既に卒業しているのだ。
「それなら、華々しい卒業パーティの場で——すっとこどっこいの鼻を思いっきりへし折ってやるのもいいかもしれないわね」
提案する声は軽やかで、けれどどこか静かな決意が混じっていた。
「お任せくださいませ! 四か月後の卒業舞踏会で、必ずアイツをギャフンと言わせてみせますわ!」
勢いあまって、椅子が後ろにガタンと鳴った。
拳を胸の前で握りしめるわたくしを見て、お姉さまはくすっと笑われる。
「ふふ……楽しみにしているわ」
お姉さまは口元に手を添え、品のある微笑みを浮かべられた。
——とはいえ、ただ突撃するわけにはいかない。
「まずは証拠を集めますわ。あとで“勘違いでしたー!”なんて言われてはたまりませんもの」
「ええ、証拠ならあるの」
お姉さまは静かに頷き、そばに控えていたメイドを呼んだ。
「——あの忘れ物を持ってきて」
ほどなくして、メイドがうやうやしく丁寧にラッピングされた包みを運んできた。
「確認してみて。彼が置いていったものよ」
わたくしは慎重に包みを開けた。
目に飛び込んできたのは、金糸で“Leon”と刺繍された布。
「……なるほど。これが証拠の品ですのね。すっとこどっこいの名前が入ったハンカチ……」
そう思ってその布を広げた瞬間、違和感を覚えた。
——おかしい。形が、平らではない。
角をつまむと、ふわりと布が垂れ下がる。
……左右に伸びる細い紐。中央には控えめなレース。
わたくしの思考が、一瞬で凍りついた。
「お、お、お、お姉さまっ!! これはっーーー!!」
これは、どう見ても——。
「パ、パ、パンティではありませんのーーー!!」
次の瞬間、わたくしは反射的にそれを床に叩きつけていた。
「お、お姉さま! 不潔ですわーーーーー!!!!」
わたくしの悲鳴は、屋敷の隅々まで響き渡った。
廊下のメイドたちが小首をかしげていたとかいなかったとか——。
「こ、これは一体っ……!!」
涙目で叫ぶわたくしの声が、部屋に響いた。
お姉さまは扇を手に取り、口元をそっと押さえられる。
「アメリア……ごめんなさいね。
わたくしもどうかしているとは思うのだけれども、証拠は……“これ”しかなくて」
その声は、いつもの優雅な調子のままなのに、どこか裏返っていた。
「そ、そんな……っ! こんなものを……証拠に……っ!?」
わたくしは顔から火が出そうだった。
お姉さまも同じように頬を染め、そっと視線を逸らされる。
「……本当に、恥ずかしいわね」
「ええ、もう、穴があったら入りたいですわ……」
ふたりして項垂れるわたくしたち。
床の上では、罪深き“証拠品”が、しゅんと静かに転がっていた。
——けれど、わたくしは涙目のまま、ぎゅっと拳を握りしめた。
「……でも、お姉さま。わたくし、諦めません。必ず真実を突き止めてみせますわ!」
お姉さまは困ったように笑い、それでも少し誇らしげに頷かれた。
* * * * * *
セレスティア王立学院——。
貴族の子弟が集う名門にして、未来の政治・社交界を担う若者たちの学び舎。
その中でもひときわ注目を集めるのが、侯爵家の嫡男、レオンハルト・グレイ様。
氷のレオン様——そう呼ばれるほど、誰も寄せつけない。
容姿端麗、頭脳明晰、剣術も魔導も学年首位。
そして、女性には一切興味を示さない。
……はず、だった。
「そんな方が、お姉さまをもてあそぶだなんて……信じられませんわ!」
わたくしは拳を握りしめ、木陰に身を潜めた。
昼下がりの中庭。
噴水のそばで静かに本を読むレオン様。
陽光を受けて艶めく黒髪、長い睫毛、琥珀色の瞳、整った横顔。
(……ああ、確かに、すっとこどっこいのくせに顔はよろしいのですわね)
心の中で毒づきながらも、視線は彼に釘付けだった。
毎日、こうして中庭で本を読んでいる。
人との会話はほとんどなく、近づく者もいない。
まさに“氷のレオン様”。けれど、その静けさの奥に、何か隠している気がしてならなかった。
(ふふっ……ええ、沈黙も今日までですわ)
わたくしはスカートの裾をきゅっと握りしめる。
——作戦その一。水難事件でございます。
わたくしは意を決した。
「いきますわよ、リリィ!」
「お嬢さま、本当にやるんですか……?」
「当然ですわ!」
ぱしゃんっ。
用意しておいた小さなバケツの水を、勢いよく頭からかぶる。
「つ、冷たいですわーーっ!! う、上からなぜか水風船がっ!!」
よろめきながら、びしょ濡れのままレオン様の前に踊り出た。
「びしょびしょ……ですわあっ!!!」
「………………………………」
レオン様は、ページをめくる手すら止めなかった。
その漆黒の睫毛が、ほんの一瞬だけこちらを見ただけで、すぐに本へと戻る。
完・全・無・視。
(う、うそでしょ!? 目の前にずぶ濡れのレディがいるのに、ハンカチどころか……)
(声すらかけてくれないなんて……!)
あの“氷のレオン様”の噂は、やはり真実だったのだ。
それでも、せめて彼の注意を引こうと、わたくしは「ガタガタ」と声に出し、震えながらレオン様の周囲をぐるりと一周してみせた。
びしゃびしゃと靴が鳴るたびに、周囲の学生たちがざわつく。
だがレオン様は、まるで存在しないものでも見るかのように、一切視線を上げなかった。
(……もう無理ですわ。これ以上は心が凍りますわ……)
耐え切れなくなったわたくしは、そっと踵を返し、校舎の影に隠れて待機していたリリィのもとへ戻った。
リリィが駆け寄り、タオルでわたくしの肩を拭きながら、心底呆れたように言った。
「……お嬢さま、さすがにこれは自作自演が過ぎますね」
「だって、これも全てお姉さまのためですもの!」
びしょ濡れのまま拳を握りしめるわたくしに、リリィは小さくため息をついた。
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