魔法少女と元無職がラーメンを食うだけの話

@LOT164

1店目 板橋区志村坂上


『むー』


コーヒーの入ったマグカップを両手で持ち、銀髪の少女が不満そうに唸る。彼女の目の前には手製のチーズケーキが乗った皿があった。ケーキは既に半分ほど食べられている。


―—ケーキ1ピースではない。ホールケーキの半分だ。


「味に何か問題でもあったか?」


見た目小学生――大目に見て中学生の少女はふるふると首を振った。


『いいえ、全然。いつも通り美味しいわよ。抹茶入れたでしょ』


「ああ、たまにはと思ってな」


俺はケーキの器を拭きながら答える。自分の分のケーキとコーヒーは、彼女の向かいだ。


『いい感じの苦みね。本当、カフェでも出せばこの集落の新しい名物になるんじゃないかしら』


言葉とは裏腹に、彼女はやはりどこか不満げだ。また「いつもの」発作が始まったらしい。俺は苦笑しながら振り向いた。


「足りないんだろ、食いに行くか」


彼女の顔がぱぁっと明るくなる。


『さっすがトモ!!分かってるじゃない!!』


「最近こっちでの仕事が忙しくてあまり食いに行けてなかったからな。お互い久々の休みだ、遠出するか」


『うんっ!!そうと決まれば早く食べなきゃ。トモのコーヒーも冷めちゃうわよ』


俺は器をしまうと、彼女の目の前に座る。ニコニコ顔で食べる彼女の顔は、いつ見ても飽きない。


『で、どこ行くの?『鈴の木』?『濃緑』?』


「埼玉の店は大体食べたからな……せっかくの休日だ、ドライブがてら遠出するか」


『いいわね!何系?醤油?豚骨?それとも塩??』


畳みかける彼女に、俺は苦笑した。どうにもラーメンのことになると目の色が変わる。これは出会った頃から変わってない。



彼女の名前はノア・アルシエル——いや「町田ノア」。

2年前に異世界からこっちに来た魔法少女であり、俺の嫁だ。




彼女は、ひらたく言えば難民としてこの秩父市にやって来た。まあ、こっちに来てからの数カ月間は本当に色々あったし世間も大混乱したのだが、流石に2年も経てば落ち着いた。

無職だった俺も国家公務員(のようなもの)に落ち着き、とりあえず不自由なく生活はできている。ノアとも結婚し、子供はまだできていないながらも幸せな日々を送っていた。


ただ、問題がないわけではない。彼女の旺盛な——いや、旺盛すぎる食欲だ。


彼女はとにかくよく食べる。普通の成人男性の倍、いや3倍は軽く食べる。そうしないと「身体がもたない」からだ。

異世界から来た彼女にとって、この世界は「魔素」と呼ばれるものが少なすぎるらしい。魔法を使うに当たって必要不可欠な成分であるらしく、魔法を使わなくても徐々に消耗してしまうのだという。

彼女と一緒にこの世界に来た人々は、皆何らかの方法でそれを補っている。高栄養素の点滴であったり、あるいは他者からの供給であったりだ。そうやって、この世界に残った人々は何とか順応している。


ノアの場合も、彼らと同じ方法が取れないわけではない。ただ、彼女曰く『普通に食べた方が楽だし、身体が良く動く』のだそうだ。経験上、それは間違いないことではあった。

だから俺は、日々相当な量の食事を作り彼女に食べさせている。彼女も料理はできなくはないのだが、『トモが作った方が美味しい』ともっぱら食事は俺の担当だ。

幸い、食費を十分賄えるだけの給料はもらっている。そこはそれほど問題ではない。



だが、彼女の最大の好物——ラーメンばかりは家庭では作れないのだ。



有名店のスープと麺を宅配するサービスを使えば誤魔化せなくはない。しかし、彼女は店で食べることをとにかく好む。『そっちの方がスープとかが新鮮で美味しい』という主張はもっともなのだ。

そして、彼女の「飢え」を最も効率よく満たせる食べ物がラーメンなのもまた事実だった。高水準の塩分と炭水化物、そして脂肪分。それらを満たした、「魔法少女」ノアにとっての完全食——それこそがラーメンなのだ。


故に、俺は定期的に彼女をラーメン屋に連れていく。そうすることで、彼女はストレスなく健康に日々を送れるのである。



1時間半後。黒を基調とした少しゴスロリっぽいワンピースを着たノアを助手席に乗せ、俺は一路関越を南へと走っていた。


『で、どこに向かうの?』


「板橋だ。池袋の近く、といえばそこそこ分かりやすいか」


『イケブクロ……ああ、よく行くとこね。シーステイアもあの辺りに住み始めたのよねえ。『くわはら』には行かないの?』


「まああそこもいいんだが、今日は塩じゃなくて煮干しだ。多分日本で一番美味い煮干しラーメンを食おうと思う」


ノアが『ニボシ!』と手を叩いて顔を輝かせた。


『一度食べたいと思ってたのよね!!でも、これまで何で食べてなかったの?』


「いや、実は結構食べてる。醤油ラーメンの一ジャンルだからな。この世界にノアが来て最初に食べたラーメンの『まるよし』もその一つと言えるな。

ただ、『煮干し』を殊更に強調した店に行ってなかったというだけだ」


『ふうん。でもこれまで行かなかったのは意外ね。何か理由があるの?』


「……いや、特別な理由があるわけじゃないんだが……ただ、煮干しラーメンの多くは癖が結構あるんだ。煮干しから出る苦みやエグみがモロに出てる店もある。

それがいいっちゃいいんだが、嫌う人も多くてね。玉ねぎを大量に使うことでそれを消すのが常套手段なんだが、ノアに気に入ってもらえるかやや自信がなかった」


『ラーメンなら何でも美味しく食べられるのに』とノアが口を尖らせる。俺は「まあそれもそうだ」と苦笑しながら返した。


「とにかく、今から行く店は煮干し嫌いでも食える、しかも煮干しの魅力を満喫できる店だ。楽しみにしていいぞ」


『トモがそこまで言うなら間違いないわね。うふふ、楽しみ♪』


ニコニコ顔のノアを微笑ましく思いながら、俺はアウディA3のアクセルを踏み込む。新座料金所の看板が見えてきた。首都高に乗れば、目的地まではもうすぐだ。



池袋線の中台ICを降り、近くのイオンにアウディを停めて徒歩5分。開店間近のその店——「い吹」の前には、既に数人の行列ができていた。


『並んでるわねえ』


身バレしないようにサングラスをかけたノアが言う。彼女が世間に出ていたのは2年前だが、今でも彼女の知名度はそれなりにある。

そして、異世界人であるのを抜きにしても、彼女は相当な美少女だ。騒ぎになると面倒なので、大体はこうやって軽く変装をしているというわけだ。


「まあ、こんなものだろうな。記帳して待っておこうか」


『それにしても凄い香り!!これがニボシなのよね』


興奮して声のボリュームが上がるノアを、俺は「しーっ」とたしなめた。


「5年ぶりに来たが、その時のままならルールにはうるさい店なんだ。とりあえず静かに、食ったらすぱっと抜ける。出禁にされちゃかなわん」


『出禁って……ゆっくり食べさせてもくれないわけ?まあ、次郎とかではよくあることだけど』


「それを加味しても日本最高の店の一つ、ってわけだ。ま、しばらく待とうか」


待つこと15分ほど。店員に呼ばれて店に入ると強烈な煮干しの香りが鼻を突いた。店内には無造作に煮干しの箱が積まれている。そのどれもが違う産地だ。


『トモ、これどっち選べばいいのかしら』


ノアが食券機を見ながら訊く。彼女がこっちに来て2年、諸々あったのもあって日本語の読み書きは問題なくできる。普段「念話」を使ってメジア語で話すのは、『そっちの方が慣れてるし楽だから』という以上の理由はないらしい。

彼女が戸惑っているのはメニューの種類だ。「淡くち」と「濃くち」とある。


「あー……これか。どっかのラーメン漫画のアレと違って、『淡くち』だから薄くて繊細な味というわけじゃないぞ」


『そうなの?』


「作り方が違う。『淡くち』は水から煮干しの出汁を取って、一切何も足さないスープ。『濃くち』は動物系のスープも足して、もう少し力強いタイプのスープだな。

個人的には『淡くち』がお勧めだ。毎日配合を変えてて、煮干しの深淵が味わえる」


『毎日?同じ味はないってこと??』


「そういうこと。とりあえず、買っておこうか」


「淡くち」2枚と和え玉2枚、それにノア用にチャーシュー飯の食券も買って店員に渡す。店員は不愛想にガタイのいい店長に注文を告げた。


(にしても静かね……本当に皆ルール守ってるのね)


ノアから思念が飛んでくる。色々あって、俺たちはこういうテレパシーじみたことが互いにできるようになっていた。ここ最近は使う機会などなかったが、下手に喋ると出禁になるのでこいつの出番ということらしい。


俺も彼女の方を見て思念を飛ばした。


(まあな。窮屈かもしれないが、間違いなく旨いからそこは保証する)


(でもこの前来たのは5年前でしょ?トモがチチブに来る前ってことよね。味とか変わってるんじゃない?)


(多分変わってるだろうな。それもあってここに来たというのもある)


ここにおける和え玉の食べ方などを説明していると、「『淡くち』お待ち」と若い店員が丼をカウンター越しに渡してきた。

複雑でしかし香しい煮干しの香りが鼻一杯に広がる。ノアが待ち切れないとばかりに割り箸を持ち、「頂きます」と日本語で言うと麺を啜った。


たちまち目が見開かれる。


「ブイエ……あっ」


大声を上げそうになった彼女は、思わず両手で口を覆った。怪訝そうに彼女を見る店主と店員に「どうもすみません、感動したみたいで」と頭を下げる。


ノアは一心不乱に麺を口にし、レンゲでスープを飲む。これほど夢中になるのは、なかなかに久し振りのことだ。


(トモ、すっごく美味しい!!!何このスープ……微かな苦みと猛烈な旨味とコク!!少ししょっぱいけど、それがこのパツパツとした麺と物凄く合うの!!)


視線と共に思念が向けられた。俺も食べないわけにはいかない。箸で麺をリフトアップし、静かに啜る。


……旨いっ。


元々旨かったのだが、5年前と比較すると塩ベースのかえしのコクが段違いに上がっている。煮干しから出る塩分だけに頼らず、かえしの塩から見直したのか?

そしてこの味玉だ。味が実に濃い。煮干しの味を邪魔していない。分厚い一枚肉の存在感は相変わらずで、量の意味でも満足感を与えている。


……素晴らしい。こういうことがあるから、ラーメン店巡りはやめられないのだ。


ノアはというと、あっという間に完食しようとしていた。スープを飲み干そうとする彼女を、俺はすんでの所で止める。


(いや、さっきの話聞いてたか?スープは和え玉に残すんだが)


(ごめん、あまりに美味しくて……頼んでいい?)


頷くと、彼女は「和え玉お願いします!」と手を上げた。店主は無言で作業に移る。やや遅れて俺も和え玉を頼む。しばらくすると、ほぼ同時に小さめの器に入った麺が供された。

麺の上には鶏のそぼろのような肉が乗っており、醤油ベースのタレがかかっている。これだけでもいけるのだが、これを残ったスープにつけ麺のようにして食べると……


「美味しいっ!!」


今度は日本語でノアが言った。我慢していたが、遂に言葉にしてしまったらしい。


実際、この堅めの麺がスープにとても合う。タレの味が加わることで、また一風変わった味わいになるのも良い。結構な量があるのだが、箸が進んで止まらない。

結局、和え玉も2分かからずして食べ終えてしまった。ノアはいつの間にかチャーシュー飯も胃に収めている。……相変わらず、凄い食欲だな。


丼をカウンターに上げ、「ごちそうさまでした」と礼を言う。店を出る時、ノアが「うるさくしてごめんなさい、本当に美味しかったです」と頭を下げた。


店主が彼女の方を見る。


「……お客さん」


「はい?」


「……いや、何でもないです。また来てください」


ノアは首を捻りながら店を出た。


『……あれ、何だったのかしら』


信号が赤に変わり、俺たちは立ち止まる。「多分」と俺は切り出した。


「店主、お前のことに気付いてたな」


『……えっ?』


「いや、何となくな。騒ぎになるのが嫌だったから、ああ言ったんだと思う。

ノアが声を出した理由も、本当に感動してたことも多分伝わったんじゃないか」


『ふーん』とノアが少し嬉しそうな顔になった。味だけの店じゃないと分かったようだ。


『ねえ、トモ』


「ん?」


『いい店だわ……また来ようね。今度はアムルたちも連れて』


信号が青に変わると、弾むような足でノアは横断歩道への向こうへと駆け出すのだった。


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