かくれんぼ ほうがHIDE

第1話 ほうがHIDE:1

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 当たり前だった日常が、突然姿をくらました。


 僕はたくさん泣いて、ただただ神様に懇願する。


 「元に戻して」。


 ここにあったはずの「日常」が、どこにも見当たらない。


 どこだ、どこだ、どこなんだ……。


 大事に抱き締めていたはずだった。


 なくさないように抱き締めていたはずだった。


 「返して」。


 僕は、神様に懇願する。


 神様からの返事はない。



 そのうち僕は、疲れて泣くのをやめた。


 そのうち僕は、神様に懇願するのをやめた。



 元に戻ることはない。


 返してもらえるものはない。



 でも、僕は宝物を諦めたくなかった。


 今まで抱き締めていた「ソレ」はもう手に入らないけれど。


 まだ、ここには「家族」という宝物があるのだから――。


 だから、まだ頑張らないといけないのだと思った。


 でも、


 人は簡単には頑張れないのだ。


 疲れたんだ。


 僕はそのうち、この現状と戦う術を忘れてしまった。

 

 ねぇ、


 人は本当に辛いとき、どうやって乗り越えられるんだろう。 

 

1:稗圃宝雅


 朝7時。


 窓の外から車の通る音が聞こえた。


 僕はカーテンも開けずに、ソファに体育座りをしながらリビングに置かれたテレビを眺めている。特に見たい番組があるわけでもないが、音がない空間にいるのが居たたまれないため、ついついテレビを点けてしまうのだった。


 父も妹も寝ているようだ。病院にいる弟も、きっとまだ寝ているだろう。誰もいない空間が、何だかとても寒く感じる。


 「次のニュースです」


 画面の中の中年の男性が、聞きやすいはっきりした声で話題を変える。先程までのニュースの内容は総理大臣が映っていたが、さて、何を言っていたのやら……。


 「昨日、北沢市でトラックと軽自動車が衝突する事故が……」


 交通事故……。


 わずかに自分の鼓動が速まるのがわかる。未だに、どうしても交通事故の話題には敏感になっていた。もう……3か月経ったのに。


 事故現場が画面に映ったところで、突然テレビの画面は真っ黒になり、僕の間抜け面を映した。そしてもう1人、僕の後ろに誰かがいるのが写り出される。


 「父さん……」


 どうやら、父さんが寝室から出てきたみたいだった。振り返って父さんを見ると、もうポロシャツに着替えていて、手には仕事用の鞄があった。


 「宝雅、少し休んだらどうだ。また寝てないだろ」


 「うん……」


 父さんはそう言って、僕の頭を優しく撫でてくれた。


 「大丈夫だ。父さんが宝雅も疾風も、吉穂も幸せにしてやるから。母さんの分もな」


 「うん……」


 父さんの大きな手が僕の頭から離れる。


 父さんの無理に作った優しさが、ただ痛かった。



今から2か月前の7月、母さんが死んだ。


 母さんと弟の疾風が乗っていた車に、信号を無視した車が衝突したのだ。


 その事故で疾風は後遺症で対麻痺になってしまった。でも、生きていてくれたことが、不幸中の幸いだったと思う。


 一緒にいた母さんは死んだ。即死だったらしい。


 恨む相手はいるのだけど、恨んだって母さんは帰って来ない。弟の足も戻らない。


この事故から僕ら一家から笑顔が消えた。幼い妹は毎晩のように泣き、父は母の分も頑張らなければと仕事と家事育児に躍起した。弟はまだ病院で動かない足を見て顔を曇らせているようだ。


  返してほしい。笑顔でいっぱいだった僕たちの日常を。宝石のように輝いていた、当たり前の日々を……。


 でも。


 事故を起こした人間を責めても、運命を決めた神様を責めても、僕たちの日常は、戻りはしないのだ。

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