神様のいない食卓

七海美桜

第1話 神さまとの出逢い・上

 大月おおげつひめは、この春、高校二年生になる。学園生活で楽しい時期のはずだったが、年末に祖母が足を折ってしまい、その看病で慌ただしい日々を過ごしていた。


 ひめの両親は、彼女が小学生の頃に事故で他界している。一人残ったひめを、近所に住んでいた母方の祖父母が引き取ってくれて、食堂を営みながら彼女を育ててくれた。

 祖父母のもとで過ごす日々は穏やかで、温かかった。ひめは両親を恋しがることもなく、二人を本当の親のように慕っていた。


 二人が経営する食堂の味は、若いころから二人が守り続けてきたものだ。

 素朴で、どこか懐かしい家庭の味。町で人気で、毎日たくさんの常連客や客が足を運んでくれていた。『むすび食堂』――開店当時はおにぎりが自慢の店で、その名にしたと小さな頃からひめは聞いていた。


 しかし最近は、通りの先にできた新しい店に客が流れてしまい、暖簾をくぐる人も少なくなっていた。

「うちの味は、昔から同じや。きっと、またお客さんは来てくれる」

 祖母はそう言って笑っていた。だが客足を戻そうと夜遅くまで仕込みをして、朝早くから店を開ける生活が続き、次第に体を壊していった。

 そしてある日、わき見運転の車にはねられてしまったのだ。


 幸い命に別状はなかったものの、祖母はしばらく入院することになった。そんな状態で祖父一人では店を回しきれず、ひめも学校の合間に厨房へ立つようになった。まだそんなに料理が得意ではないひめは、厨房は祖父に任せて接客や仕込みをメインに手伝っていた。


 慌ただしい毎日に、春の匂いが少しずつ町を包みはじめるころだった。


「ひめ、大変や!」

 食堂で掃除をしていたひめの元に、近所の漁師に呼ばれて行った祖父が慌てて戻ってきた。手にはビニール袋がぶら下がっている。

「どうしたの、おじいちゃん」

 手にしていた箒を元の位置に戻すと、ひめは祖父の元に歩み寄った。

「人が倒れてるんや!」

「えぇ!?」

 ひめが驚いた声を上げると、祖父の後ろに誰かが来たようで騒がしくなった。

「連れてきたで、大月さん!」

 見ると、漁師の章介しょうすけとその息子の侑吾ゆうごだった。彼らは、若い男を両脇から抱えて立っていた。

「すまんな、ありがとう」

「おじいちゃん、うちに連れてきたの!? 救急車を呼んだ方がいいんじゃないの?」

「気ぃ失ってただけみたいや。うちで様子を見ようと思ってな」

 動揺しているようなひめに、祖父は呑気にそう言って漁師の親子と二階の住居スペースに向かった。ひめも、その後に慌てて続いた。



「本当に……大丈夫かな」

 漁師の親子が帰った後、空いていた部屋に布団を敷いて、倒れていた青年をそこに寝かせた。そうして「目を覚ますかもしれへん」と、ひめに付き添うように頼んで祖父は食堂に戻った。

 少し離れた畳の上に座ったひめは、布団に寝かされた青年に再び視線を向けた。

 知っている顔ではなかった。年は、ひめより少し上――大学生くらいだろうか。少し長い髪に、端正な顔立ち。確かに、救急車を呼ぶような理由で倒れていたようには見えなかった。

「……ん」

 ひめがじっと見ていると、青年が小さな声を漏らして僅かに眉を寄せた。そして――ゆっくりと、目を開けた。

「大丈夫ですか? 痛い所とか、あります?」

 知らない男性と、自宅とはいえ二人っきりだという状況にひめは少し緊張した声でそう尋ねた。

「きみ……誰?」

 目を覚ました青年は、不思議そうに聞いてきた。聞いているのは私なんだけど……そう思いながらも、ひめは彼の問いに答えた。

「私は、大月ひめです。ここは、むすび食堂。倒れていたあなたを、祖父が連れてきたんです」

 聞き取りやすいように、ひめはゆっくりそう話した。それを聞いた青年は、ゆっくり上体を起こして額を抑えた。

「倒れていた? どうしてだろう……」

 どうやら、倒れていた時の記憶がないらしい。だが、しっかりしているようで、ひめは少し安心した。

「ねえ」

 額から手を離した青年は、真っすぐにひめを見た。目を開けると、芸能人のように格好いい見た目に、ひめは少し照れたように視線を落とした。

「はい、どうしました?」

「食堂って聞いたら……お腹すいた」

 ぽかんとして顔を上げたひめに、青年は小さく笑いかけた。

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神様のいない食卓 七海美桜 @miou_nanami

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