茶番劇

 由佳は一瞬ためらったものの、タナトスが居ようが関係ないと腹をくくり、ぐっと橋の欄干に足をかけた。


「近づかないで! 結婚を許していただけないのなら、私は今すぐ身を投げます!」


 その叫びに、その場の全員が息を呑む。

 由佳はもう後には引けない。ステファンとケイオスが和解を示す台詞を放つまで。

 ステファンは青ざめた顔で手を差し伸べた。


「お、落ち着いて……話し合おう、可愛いパシテア」


 その声に、由佳はさらに声を張り上げる。


「お願い、お父様……! どうか二人の結婚を許して……!」


「しかし……」


「カリテス伯爵、僕からもお願いします。僕らの結婚を認めてください……!」


 時生の声が響く。由佳は内心で小さくガッツポーズをした。


 ──ナイス、時生くん! なかなかやるじゃん。


「パシテア……意地を張らないで、わかっておくれ」


「意地を張っているのはお父様でしょう!」


「それは、その……」


 由佳は胸の奥で高鳴る鼓動を感じながら、さらに身を乗り出した。

 もう一押しだ。由佳は、自分の迫真の演技に心の中で賞賛の拍手を送った。時生と目を合わせる。彼も、小さく頷いた。


「とにかく、私はこの“真実の愛”に、命をかけます!」


 高らかな声が橋の上に響く。


 その瞬間。

 ふいに腰を掴まれ、由佳の身体はふわりと持ち上げられた。


「えっ……」


 由佳が驚くのもお構いなしに、タナトスがパシテアの華奢な身体を抱き上げる。

 そしてゆっくりと、橋の欄干から離した。


 足が地面に着くより早く、タナトスは低く囁いた。


「そんなことを言わないでください、パシテア嬢……君がいなくなると思うと……まるで心臓が握り潰されるようだ」


 冷徹と噂されるタナトスなのに、切なげに表情を歪ませながら、目の前で胸の奥を吐露している。彼の声はひどく鮮烈に響いた。


「出会ったばかりの令嬢に、こんなことを申し上げる無礼をお許しください……俺は貴女に、惹かれています」


 驚愕の告白が、静まり返った橋に落ちた。

 全員が状況を飲み込めず、数秒間、時が止まったように固まる。


 最初に恐る恐る声を発したのは、ステファンだった。


「……パシテアが結婚したいのは、タナトスの方だったのか……?」


「えっ、違っ……!」


「もうやめにしないか、ステファン……」


 慌てて否定する由佳の声をかき消すように、それまで静観していたモルス前侯爵──ケイオスの声が、橋の上に重く落ちた。

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