巡り遭いの夜(後編)
携帯の着信音が薄暗い部屋に鳴り響く。蓮次郎は布団から手を出し、サイドボードに置かれているスマホを手に取った。画面には、こんな時間に電話をかけてくる非常識な奴の名前-翔琉-が表示されている。だが、迷わずにスライドして応答する。「はい」とあからさまに不機嫌な声で。
『蓮次。夜遅くに悪いな』
「悪いと思ってないだろ。しかも、今はどちらかというと明け方だ」
『例の話受ける』
「ああ、そうか。・・・・・って、はあ?! どういう風の吹き回しだ!」
蓮次郎はここで完全に覚醒した。あり得ないと思っていたことが現実になったからだ。ベッド横の椅子に座っていた自分のアンドロイドが「朝っぱらからうるせぇな」と文句を垂れる。ってか明けてねぇじゃねぇかとも。
『公安に戻ると言った』
「それは分かったが、いきなりどうした? 今日はエイプリルフールか?」
『ただし条件がある』
自分の独り言は無視して彼は話を続ける。
「まぁ、そうだな。お前がただで戻って来るとは思えないな。して、条件は何だ」
『すぐにうちに来い』
は?なんと?心地よい眠りの中にいたのを強制的に起こされた上にうちへ来いだなんて、どこぞの国の独裁者だ、と突っ込みを入れたくなった。頼むなら「ご足労願います」とでも言えと思ったが、彼も好んで非常識なことをする人間ではないことはよく知っている。余程のことがあったに違いない。
「急を要するんだな。仕方がない。昔の馴染みだから行ってやる」
『助かる。それと、お前のアンドロイドも連れてこい』
「あ?ツバサをか?」
『二度も言わせるな』
その言葉を最後に電話はぶちっと切れた。
「相変わらず身勝手な奴だ」
蓮次郎はもう繋がっていないスマホに向かってぼやいた。だが、悠長にしている時間は無い。ベッドから身を起こし、急いでパジャマを脱ぎ捨てタンスからシャツとズボンを引っ張り出す。
「出掛けるのか」
自分のアンドロイドが椅子に座ったまま、慌ただしく準備をする自分を見ている。
「ああ。お前もな」
ちっ俺もかよ、と嫌そうな声が聞こえた。それでも渋々と充電のための電源コードを外し、身支度を済ませていく。
「蓮次が未明に呼び出されて従うなんて、余程の弱みでも握られてんのか」
「そうだな。お互い様だが」
「ほう」
彼は面白くないという表情をしている。このアンドロイドは、最も人間に近いと言われており、人間のような思考能力はもちろん、人間顔負けの感情表現を有している。故に性格に多少難があり、さらには主に対して異常な固執を見せる。
「急げ。そいつに嫉妬している場合じゃないぞ」
「は?」
「下手したらお前も惚れる」
そう、あいつはそういう奴なんだ。蓮次郎とアンドロイドは最低限の物を持って家を飛び出した。
「状況が読めん」
蓮次郎は翔琉の部屋に上がるなり言葉を失った。彼の目の前には部屋の主と馴染みのアンドロイドオタク、そして死んだ自分の部下とそっくりのアンドロイドがソファに座っている。しかも、翔琉とそのアンドロイドは手を繋いでいる。それも恋人繋ぎで。ローテーブルを挟んだ向かい側に蓮次郎と彼のアンドロイド-名はツバサという-が座ってやっと発することができたのは先程の一言だけ。あとはまだ頭の整理が追い付かない。
「そこで拾った」
翔琉が子猫や子犬を拾ったのと同じ感覚で説明する。いやいやいやいや。捨て猫や捨て犬とは訳が違う。
「まぁ、俺も驚いた。他人の空似かと思ったら、そうではないからな」
「どういうことだ」
蓮次郎が不可解だと言わんばかりに、眉間にしわを寄せる。
「北斗の脳を持ったヒューマノイドだよ」
翔琉の代わりに、鼻息を荒くした雪奈が説明を始める。ドクターなだけあって饒舌に、そしてオタクなだけに熱を込めて。
「そうか。大体の事情は飲み込めた。で、俺たちは何をすればいい」
「北斗の身の安全を保障して欲しい。それが公安に戻る条件だ」
翔琉はいつになく真剣な顔をして蓮次郎を捉える。「保障しろ」ではなく「保障して欲しい」その言い回しに蓮次郎は彼の本気度を量り知る。彼が他人に頭を下げるなど滅多にない。それ程までにあの子を護りたいのだろう。
「分かった。正式な公安ドロイドとして何とかする。ただ、上層部の何人か、まぁ山さんには確実に事情を説明することになるが構わないな」
「ああ。助かる」
翔琉が礼を言うなんて、今日は雷雨になるかもしれない。それ程あり得ないことだった。
「それで、俺がここに連れてこられたのは何でだ」
終始沈黙を続けていたツバサが口を挟んだ。先程から話に加われず、少しむっとしている。雪奈がツバサの方を振り返り、いつもの調子で話しかけた。
「それはだね、君のデータから北斗と特徴の一致するアンドロイドを探してほしいんだ」
「なるほどな」
「私も見覚えはあるんだけど、ちゃんとした確証が欲しくてさ」
「分かった」
そういうことなら機械の方が得意だ。ツバサは元々公安用に造られたアンドロイドではないが、アンドロイド製作界の異端児と言われたアジロ博士の作品で、一般的なアンドロイドよりもハイスペックを有する。
「すまねぇが、色々見させてもらうぞ」
一応断りを入れ、ツバサが北斗に触れようとした。
「馴れ馴れしく触るな」
「は?」
ツバサの手が翔琉によって制される。何故止められるのか理解できなかった。
「北斗に触るなと言っている」
「触らなきゃ分からねぇこともあるだろうが。大体、アンドロイドオタクが良くて何故俺がダメなんだ」
ツバサが苛立ちを露にする。元々、気が長い方ではない上に、蓮次郎以外の者からの上から目線を好まない。
「男だからだ」
「はぁ? おい、蓮次。こいつを何とかしろ」
「無理だ」
蓮次郎は即答した。北斗絡みのことでは翔琉は聞く耳を持たない。説得する労力が無駄だ。
「翔琉の言う通り触らずに探せ」
命令をすれば彼は確実に自分の言うことをきく。『主には絶対服従』これが彼の最大の特徴だ。
「ちっ。仕方ねぇな」
ツバサは盛大に舌打ちしながらも命令には従う。不愉快極まりないないが、じーっと穴が開くのではないかというくらい北斗を眺め、蓄積されたデータの中から合致するものを探していく。北斗の隣に座る翔琉の顔が少し険しくなっているが、そんなことは気にしないことにした。
「9か月前に捕獲した違法アンドロイドと酷似しているな。精巧な作りと、巧妙な仕掛け、そして違法アンドロイドだということ以外は何も分からないという点も。あれは確か、」
「解体中に爆発した」
雪奈が代わりに答える。まぁ、違法アンドロイドには時たまあることだけども、と彼女は続けた。
「ああ。肝心のものが天に召されて後を追えなくなり、結局お蔵入りせざるを得なかった事件か」
蓮次郎の頭にも当時のことが思い出される。妙な事件だった。公安委員と警察官の死体と共に発見され、自らは自爆して証拠諸とも隠滅。そして突然の捜査打ち切り。そのことに不満を持ったメンバーが翔琉の復帰を強く推した。死んだ公安委員は蓮次郎の部下で、翔琉の後釜だったのだ。
「それは残念だったな」
亡くなった公安委員は翔琉も知っている人物だった。優秀な人材が居なくなったことは、率直に惜しいと思う。その上、捜査すらできなかったことは疑問が残るし、悔しかったことだろう。
「今回のことと何か繋がりがありそうなら、再捜査できるかもしれないな」
「おい。俺の話はまだ終わってねぇ」
旧友同士の会話にツバサが割って入った。何故かは分からないがこの二人が親しげにするのは快く思えない。
「悪かった」
蓮次郎が片手を挙げ、眉間にしわを寄せたツバサに続きを促す。
「まぁ、データとして持っているのはそれだけだが、一つ思うところはある。自分で言うのもなんだが、・・・・俺と似ている」
ツバサが少しためらいつつも、断言をする。おそらく間違いはないのだろう。
「やっぱり!」
その一言に雪奈が大きく反応した。
「アジロ派系列のアンドロイドなんだね!?」
「そういうことはお前の方が詳しいだろ。俺はあくまで俺の主観を述べたまでだ」
ツバサはぐいぐいと迫って来る雪奈に圧倒される。いつも思うが、この熱量は一体どこからやってくるのだろう。
「アジロ派とはなんだ?」
アンドロイドに疎い翔琉が置いてけぼりを食らっている。公安時代もアンドロイドを助手とするのに難色を示してきた。人が人を十分に理解できていないのに、AIに理解できるとは思えなかったからだ。
「芸術でいう流派みたいなもんだよ。有名な製作者には何人も弟子がいて、その特徴を引き継いでいるんだ。北斗はツバサと同じアジロ派の可能性が高い」
「だからそのアジロとは何者なんだ」
「ツバサの製作者だよ。もう亡くなっているけど。アンドロイド界の異端児で、超絶技巧を駆使して、最も人に近いアンドロイドを作り上げてきたんだ。その特徴は細部にまでこだわって緻密に作られること。ぱっと見は分からないけど、中身を少し見ればすぐに分かるさ」
「ただ、あのじーさんはヒューマノイドには興味は無かったがな。『アンドロイドはメカニズムの域を出るべきでない』といつも言っていた」
ツバサが冷静に自身の見解を述べる。翔琉は聞き慣れない言葉ばかりに顔を顰めつつも、北斗のためとじっと彼らの話に聞き入る。
「アジロ博士のアンドロイドで現存しているのはツバサを含めて2体のみ。北斗はその弟子によって作られたと思われる。それも、ツバサと似ている部分が多いから、直弟子の可能性が高いね」
さすが、公安でも一目置かれるドクターだ。オタクと呼ばれてはいるが、その知識はこうしてアンドロイドを分析するのに一役買っている。
「悪ぃが、俺はじーさん以外にメンテナンスされてねぇから心当たりはねぇ。なんせじーさんの次はこのオタクだからな」
北斗は黙って雪奈とツバサの推理を聞いている。ただ一度だけ不安げな瞳で翔琉を見て、彼が小さくうんとだけ頷くと、ほっとした表情に変わった。その様子を見ていた蓮次郎は、もしかしてとある可能性に思い至る。
「雪奈、ツバサ、その辺りのことは本人が話してくれるはずだ」
「あ?」
「え?」
二人の不思議そうな声が重なる。
「ただし、翔琉と二人きりになればだ」
煩かった外野は消え去り、部屋には主と北斗だけが残された。二人はソファに並んで座ったまま、重い沈黙の時間が流れる。北斗は先程から口をきゅっと結んで自分の膝とにらめっこをしている。頃合いを見計らって、翔琉は彼女の肩に腕を回し抱き寄せた。
「話したくないなら話さなくていい。どんな奴が俺を狙いに来ても返り討ちにできる。俺は強い。だからそんな不安そうな顔をするな」
翔琉は反対の手で、彼女の顔を自分の方へと向けさせた。親指でそっとその頬骨をなでる。
「なんで、どうしてあなたはそこまで私に・・・」
「北斗が大切だから。この世で一番」
そっと触れるようなキスを一つ額に落とした。
「翔琉、君?」
彼女が初めて自分の名前を呼んだ。いや。初めてではない、かなり久しぶりにだ。
「『北斗』か」
彼女は翔琉の目を見たままこくんと力強く頷く。
「久しぶりだな。君に何があったのか話してくれるか」
「うん。でもその前に、水と金平糖が欲しい」
「口移しで?」
その問いに彼女の頬が赤く染まる。
「翔琉君のエッチ」
「はは。褒め言葉だな」
テーブルの上の置きっぱなしなっていたグラスを手に取り、翔琉は水を自分の口へ流し込む。北斗の顔に左手を添え薄く開いた唇に自分のを重ねた。水をゴクリゴクリと飲みこむ音が静かに響く。彼女が全部飲み込んだ瞬間に、舌を侵入させ深くキスをする。驚いて反射的に逃げようとした頭をがっちりと右手で固定し、舌で舌をまさぐる。やがて彼女も思い出したように素直に応えてくれるようになった。しばらく口内を堪能した後、名残惜しいが唇を離す。
「北斗」
名前を呼び、強く強く抱き締める。3年分の募りに募った想いを込めて。それは単に愛しさや懐かしさだけではない、恨めしさややるせなさも含まれている。
「温かい」
思わず口から零れた言葉。棺桶に横たわり血の気の無い顔をした彼女に触れた日を思い出す。冷たかった。驚くほど冷え切っていて、そして自分の心まで冷たくしていった。
「翔琉、君」
北斗もまたおずおずと手を伸ばし、翔琉の背中に腕を回し、そのシャツをきゅっと掴んだ。顔は翔琉の胸に埋もれていて表情は確認できないが、少し照れているのだろう。それは彼女が照れ隠しでしていたことだったから。
「ちゃんと抱き付いて」
そう言えば、彼女は掴んでいたシャツを離し背中に手を広げる。腕に力が込められ、さらに二人の体が密着した。
「何から話せばいいのかな」
「君が俺の前から姿を消した日のことから」
3年前の北斗が遺体で見つかる1週間前。彼女は公安の極秘潜入調査と言って事務所を出て行った。いつも通りドアを開ける前に自分の方を見て微笑んで。それが生きた北斗を見た最後となった。
二人は腕の力を緩め、互いの顔が見えるように体を離す。北斗の瞳がじっと不安げにこちらを見つめる。翔琉は落ち着かせるように彼女の手をぎゅっと握った。
「あの日、私は潜入調査と偽って、どこかへ行った。でもそのどこかは分からない。ごめん・・・。記憶が断片的で、役に立つかどうか・・・。」
「いいよ。そのうち思い出す」
「だといいんだけど。翔琉君のことも覚えている部分とそうでない部分があるかもしれない」
「じゃあ、初めてのセックスは?」
「・・・・」
北斗はしばし自分の記憶を探索する。するとみるみるうちにその頬が赤く染まり、翔琉から目線を逸らしてしまった。
「恥ずかしい・・・・」
「覚えているんだね」
「できれば思い出したくなかったかも」
俯き気味に物悲しいことを言うものだから、思わず声を荒らげてしまう。
「なんてことを言うんだ。一生懸命に応えようとしてくれるあの時の北斗の姿は今でも鮮明に瞼に焼き付いているというのに!」
「ちょっ、やめてよ」
それ以上言うなとばかりに、北斗は翔琉の口を自分の手で塞ぐ。その手を掴み、翔琉は指同士を絡めた。
「時間はある。後で一つずつきちんと確認しよう。それより今は話を続けて」
「あの日以降のことは、メモリーに内蔵されている情報があるから確かなはず。
アンドロイドとして起動した私は、Mラボという研究所にいた。その研究所は極秘にヒューマノイドの研究・開発をしていて、私はそこの手伝いとして、“ターゲット”と呼ばれるヒューマノイドにする生身の人間の身辺調査と身柄確保を受け持っていた」
「確保した人間はどうしてたんだ?」
「研究所の指定された場所に置くだけ。その後、どこで何が行われていたのかは分からない」
ごめんね、役に立たなくてと北斗が謝る。翔琉はそんなことはないと彼女をなだめる。
「他に研究所のことで分かっていることは?」
「私を造った人は、ドクター・マノと呼ばれていて、常にアンドロイドの助手を二体連れていた。ターゲットの捕獲を担っていたのは、実行役が一人と私を含め三体のアンドロイドだけ。しかもそのうちの1体は、さっき話題に出ていた事件で自爆している。他にも戦闘用アンドロイドとか研究者が出入りしてたけど、私が立ち入れたのはごく一部だったから、詳しい内部の事情は知らないの」
やっぱり役立たずだと項垂れる北斗を翔琉は優しく抱き締めた。
彼女が元公安だということは、Mラボ側も把握していたはず。となれば、漏洩を恐れて彼女を警戒していたことは想像に容易い。機密事項を彼女がほとんど知らないことは合点がいく。
翔琉は北斗の頭を撫でながら、予想よりも複雑な事件かもしれないと心に留め置いた。
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