第43話 深紅色の魔法使い

 永遠に近い1分が過ぎた。


——あれからどのくらい経ったのだろう。璃乃は傷ついてないか?

 

 彼は自分が何を見ているのかも分からない。

 生きているかも分からない。


「瑞穂!!」

 

 背中から聞こえる声に胸が落ち着き、肩越しに彼女を見る。

 

「本当に世話がかかる相棒だ」

「瑞穂!血が……」

 

 彼のために涙を流す綺麗な瞳。

 夜空のような星屑が煌めき、朝のようなスカイブルーが広がるその瞳。

 瑞穂は少し安心をしたあと、悲しんだ。

 

——神様がいるなら随分冷たい奴なんだと思う。

 どこかのお嬢様にはずるいと言われて無理矢理起こされるし、どこかの我儘な魔法使いには泣かれて休ませてももらえない。

 死なせてくれないし、休ませてもくれない。

 だったら、俺にも一つ我儘を言わせてくれ。

 

「俺にお前を守られてくれ」

 

 少女は首を振り、涙が四方へ飛び散る。

 地面のパレットはあまりにも赤色に染まり過ぎて色をなさない。


「私は瑞穂に助けてもらってばっかりで、何もお返しできてないのに……!」

 

 震える足を叩き立ち上がろうとするも、少女の足は小鹿のように震えるすぐに崩れ、座り込んでしまう。

 

「バーカ。俺はお前から大切なものを貰ったんだ。一生かけても返しきれない、世界で一番大切なものを」

 

 膝が折れ、草に着きそうになりながらも前へ——よろめき半歩、よろめき半歩。

 彼女を心配させてくなくないと、彼は振り返った。

 自然と満面の笑みが浮かび、心から溢れる熱いものを頬へ流した。


「俺にとって璃乃は世界一の魔法使いだ」

 

 そして暁瑞穂は、傷を引きずり足跡を刻み続けた。


 激痛が走り、新たな傷から血が流れる。

 でも、倒れない。

 ふと、また軌道が見えた。それは先ほどより太く、禍々しく見える。

 その線は真っすぐと璃乃へ向かう気がした。

 

 踵を返すが、膝が折れ、地面に着く。

 見えない線が彼女を貫こうとする。

 彼の瞳の先にいる璃乃の姿が、母の最期と重なった。


 母が死に際に託してくれた想いが、闇の中へと消えていく。

 また、あの夜が彼の足を、腕を、頭を、心臓を覆い始める。

 闇から出ようと、両腕を無様なまでに振り払うと、薄っすらと今が開けた。

 そこには、一人の少女がいる。

 少女の瞳から大粒の涙が零れ、小さく開いた口元に明日を見た。

 

 「みずほ」

 

 と言っているように見えた。

 

 「うおぉぉぉ!!」

 

 唸りを上げて、千切れそうになる足と心を引きずり走り出す。

 血の海を越えるために、水面を踏みつけた。

 弾かれ、空へ舞い、雨となった。


——それは溶けるような熱い血潮のようだった。

 

 月明かりの最中、少女を助けるために切った怪物の血。

 病院内で切った怪物の血。屋上で嘆き、喰われた錬金術師の血。

 野犬に襲われた人々の血。血統におぼれた血。殺すことだけに呪った血。

 

 残酷な血潮が雨となり、瑞穂の髪を身体を濡らす。


 彼は以前から、雨に打たれていたのだ。

 ずっと。

 

 それでも彼は見てきた。

 

 主人を守る血。親友を想い決意をした血。助けられたことに親愛を注ぎ続ける血。

 そして、息子のために愛し流した血。夢を叶えるために歩み続ける血。

 

 全てが信じた結果の命であった。

 

——俺には何ができる?母さんを助けらず、復讐だけを糧として生きてきた。

 

 振り返れば空っぽな人生だった。

 俺を慕ってくれる人もいる。その人のために俺はどれだけ答えてこられた?

 そう、まだ何も答えられていない。

 その答えすらまだ分からないのに——

 

 今ここで大切な人を失うことなんてできない!!

 

 雨は止み、帳が上がり、暁が見える。

 

 「俺に力を——大切な人を守れる力を。もう、誰も死なせない力をくれ!!」

 

 心の奥を始点として、身体中に力が噴き出す。

 目の前が、全てが赤く——

 

 “深紅色“に染まる。

 

 体の痛みは全身に刻まれているが、遠く感じる。

 彼は多幸感と絶望感の狭間で、刀を抜いた。


 血の糸は交差状に張られ、その線は恨みの種に変えられた者を確かに映した。

 

 息を飲むより早く、空が鳴るよりも早く、振るった刃は野犬の核を切った。

 嘆きの血を被る覚悟はできている。

 

 なぜならば——

 

 彼は魔法使いなのだから。

 

 

「瑞穂……?」

 

 彼女の視界には何も映らなかったようだ。

 涙を溜めている璃乃がちょこんと座り、ヒナを抱えていた。

 

「ヒナが——」

 

 瑞穂がそっとヒナに触れるともうそれは冷たくなっていた。

 

 絶命していた。

 

「璃乃ちゃん!瑞穂君!」

 

 明日香が1階の窓から2人へ駆け寄る。

 背後からサイレンの音が膨らみ、近づいてくるのが分かる。

 

「恭平は他の執事たちが正門の方へ移動させてくれから大丈夫」

 

 明日香はすぐにヒナの異変に気が付く。

 

「もしかしてヒナちゃん……」

 

 言葉を失う明日香。

 

「お願い!ヒナ!死なないで!」

 

 璃乃が掠れた声で叫ぶ。

 すると、ヒナの身体が青白く発光し始め、ふわりと浮く。


「なに!?」

 

 璃乃は空へ浮かぶヒナに手繰り寄せようと腕を伸ばすが、瑞穂がそれを止めた。

 

「何か起こる」

 

 3人が宙へ浮かぶヒナを見つめると、光が強くなり、強烈に拡散した。

 

「眩しっ!」

 

 思わず3人は手を翳し、目を伏せた。

 光は一点に集約し、徐々弱くなり始める。

 3人が青白い光の点を再び見た時には、新たなシルエットが浮かんでいた。

 

「随分危なかったよ。死んじゃうかと思った」

 

「「「えっ?」」」

 

 3人の声が重なるのも仕方なかった。

 宙にはふわふわと浮かぶ白い毛並みの猫。

 背中には一冊の本が突き刺さり、羽のようにパタパタと表紙と背表紙を羽ばたかせているのだから。

 

「ヒ、ヒ、ヒナ!?ど、どうなってるの!?」

 

 璃乃は開いた口を閉じることができない。

 

「璃乃が心配過ぎて妖精になっちゃった!」

 

 意味不明だった。

 

「一体……。どう……」

 

 視界がまた暗くなる。

 

「瑞穂!?」

「瑞穂君!?」

 

 その声を境に瑞穂の記憶は途切れた。

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