第37話 ガレイン・エリス

 薄暗い廊下を璃乃が持つ小さなライトが照らす。

 彼女の先導のもと、廊下を右へ曲がり、また長い直線を駆ける。


 そして左へ曲がると窓の先から、だだっ広い中庭が姿を現した。

 夜風に揺られる草は手入れが行き届いており、風が抜けると緑の波を立てる。

 

「ここは……」

 

 似ている。

 今見ている景色が瞬きをする合間に、瑞穂の脳内に焼きついている記憶と切り替わる。

 それは彼が走るのを躊躇ためらうほどに鮮烈のものだった。

 

「瑞穂!ここだよ!」

 

 璃乃の声でハッとする。

 彼は二人から逸れかけていた。

 名残惜しさで足が竦みかけるが、明日香の顔を見て己の覚悟を想起させた。

 

「ここか、嫌に静かだな」

 

 璃乃が持つペンライトが明かりのない階段を照らす。

 

「この先だよ」

「よく覚えてたね」

 

 ヒナを抱えている明日香は璃乃の隣へ立ち、明かりの先に目線を落とす。

 

「うん。明日香ちゃんとかくれんぼした時に何度かここに隠れたからね」

 

 二人はクスっと笑みを零すも辺りの静けさから、すぐに頬が強張る。


 配電盤の部屋はドアで仕切られている訳ではなく、奥まった場所にある秘密基地への通路のような佇まいだ。

 足元の床は大理石から灰色のコンクリートへ変わり、雰囲気が様変わりした階段を下る。

 すると、すぐに長方形の箱のような機械が複数台並んで配置されているがライトに照らせる。

 これが琴宮邸の配電盤なのだろう。


 配電盤は不自然な様子はなく、緑色や赤色の光を放ちながら、ごく僅かにウィーンと動作音を鳴らしていた。

 

「恭平さんの予想が外れたってことなのかな?」

「破壊はされてないんだろうが、よく分からん。NO.2恭平トランシーバー。多分これだな」

 

 瑞穂が右耳に着けているデバイスを適当にいじると恭平のトランシーバーへ連絡をすることができた。

 しかし、恭平が通話に出る様子はない。

 

「会場の避難が上手くいってないってことなのか?」

 

 瑞穂の危惧は璃乃に伝わるように、彼女の瞳を揺らす。

 

「1回、会場に戻ろうよ。明日香ちゃん!?」


 璃乃のただならぬ声に瑞穂は振り返る。

 

「……ハァ……ハァ……大丈夫」

 

 大量に汗を流し、息遣いも不規則で荒い。

 ヒナも心配しているように明日香の肩に乗って頬を舐める。

 だが、瑞穂と璃乃は何も変わりがない。

 

「——結界だ」

「すぐに上に上がろう!」

 

 璃乃は明日香に肩を貸して階段を上り始める。

 

「俺は結界の根源を探す」

 

 璃乃は無言で頷き、瑞穂へペンライトを投げ渡した。

 

 瑞穂と璃乃は魔法使いに覚醒しかけており、魔力干渉をある程度防げている。

 その証拠として、二人は常人としてはあり得ないほどの身体能力を有している。


 しかし、明日香は一般人。

 そのため結界の影響を強く受けた。

 そして、電波の遮断も恐らくは結界が影響している。


 どのような結界かも分からない状態。全てが後手に回っている。

 神無月町病院での戦いとはまるで逆。

 

 “見えない敵“の手のひらで躍らせているように感じ、焦りと苛立ちが瑞穂の思考を鈍らせる。

 

「俺にもっと力があれば——」

 

 刀の鍔に左手を添え、ライトを当て天井から地面へと全体を見渡す。

 何も見えない。

 配電盤を移動させることは不可能。

 周りをうろつくことしかできない。

 反響する自分の足音に鼓膜を揺るぶられる不毛な時間が過ぎる。

 

——不自然なほどに問題が見当たらない。そこがおかしい。もしかして!?

 

「インビジブル系の結界……」

 

 魔力や魔法、錬金術の痕跡を隠す魔法や錬金術の総称——インビジブル。

 それは探索系の魔法や錬金術——リヴィールを使う以外見破れない。

 

「この配電盤はフェイク!?俺たちに見えないように!?」

 

 心臓が痛む。これが璃乃の言っていた嫌な胸騒ぎの正体。

 

「初歩中の初歩だろうが!!俺はどれだけバカなんだ!」

 

 瑞穂は握った拳を持て余し、フェイクの配電盤を殴ってしまう。

 この事件で彼は何度も判断ミスをした。

 インビジブルと分かっていれば、野犬事件の被害者は減らせたかもしれない。

 璃乃には冷静になれ。と言っていた彼自身が冷静さを欠いていた。

 

——見えない野犬。偽装された配電盤。

 

 全てが繋がった。

 

「だとすると——やばい!!」

 

——ガッシャーン!!

 

「きゃー!」

 

 ガラスが割れる音と明日香の叫び声が響き渡る。

 身を翻して階段を駆け上がる。

 

 そこに広がるのは割れた窓ガラス——

 頭から血を流して気を失っている璃乃と、横たわる明日香とヒナの姿だった。


「その様子じゃあ気が付いたのね?流石ね」


 声の方へ顔を向けると、月明かりに照られた黒いローブを着た女——


 

——アクイラス・エリスが不敵な笑みを浮かべていた。


 

「アクイラスどうしてお前がここにいる!お前は璃乃に倒されて野犬に食われたはずだ!」

 

 瑞穂の叫び声にその笑みはさらに不気味さを増す。

 

「っふふふ。何か勘違いしているようだから教えてあげるわ」

「勘違いだと?」

 

 月明かりは隠れ、彼女を影が照らす。

 

「私は七錬神しちれんしん神身しんみ担当——ガレイン・エリス。母様の変わりに貴方たちを殺しに来た者よ?」

 

 痣が目立つ顔。艶のない白髪のような髪の毛。全身を包む黒いローブから覗かせる異常なまでに細い腕。その姿はアクイラス・エリスそのものだ。

 

 瑞穂の目の前にいるガレインと名乗る女はアクイラスを“母様“と言っている。

 アクイラスと名乗っていた女は“子供たち“と言っていた場面があった。

 人間を何らかの力で怪物にさせ、インビジブルの錬金術を施した——野犬。

 アクイラスが言っていた“子供たち“とは野犬を指しているのものだと思っていた。

 恐らくそれは半分正解で半分不正解。

 

 “子供たち“それは野犬——怪物だけを差しているものではない。

 こいつは——

 

「お前、ホムンクルスだな?」

 

 影は晴れ、月明かりが二人を覆う。

 

「正解!私はアクイラス・エリスを素にした実験体——ホムンクルスよ。素晴らしい洞察力ね」

 

 瑞穂は鞘へ手を置き一瞬で抜刀ができるように、左足を下げ戦闘態勢をとる。

 

「だったらお前は人間じゃねぇ。俺がバラバラにしてやるよ!!」

 

 ガレインは瑞穂の威嚇に耳を貸すことなく、歓喜を表現するように胸を広げる。

 

「正確にはあの怪物たち——いや“ドール“。貴方たちが野犬と言っているものと、アクイラス・エリスの血を媒体にした珍しく、神聖な存在で——」

 

 鍔を弾く音がガレインの言葉を遮る。

 白銀の斬光が浮かび上がると同時にガレインの右腕が吹き飛び、血が宙に円を描く。

 瑞穂は、ガレインの腕が空中で回転するのを視界の端で捉え、その空いた右脇腹へ回し蹴りを入れる。

 

「おらぁっ!」

 

 窓ガラスを割った彼女の体は、赤い尾を引きながら中庭まで蹴り飛ばされる。

 ガレインは中庭のど真ん中で転がり、徐に立ち上がった。


 その足元には血だまりが描かれ始めている。

 右腕の欠損部分からは激痛が走っているはずだが、ガレインの不気味な笑みは止まることはなかった。

 

「あああぁぁっ!この身体、風が肌に擦れる感じ——ゾクゾクしちゃう……」

「イカれてやがる」

 

 天を仰ぎながら眼球を上転させる。

 血だまりの上によだれを垂らし、胸を張りながら音もなく笑っている敵に狂気を感じ戦慄する。


「璃乃!起きろ!」

 

 気を失っている璃乃を大声で呼び起こす。

 

「痛っ——」

 

 璃乃は意識を取り戻し、体を起こす。

 

「状況を把握したら合流してくれ」

 

 瑞穂は割れた窓から中庭へ飛び出し、全てを終わらせるため、走り出す。

 しかし、ガレインの足元には錬成陣が浮かび上がっていた。

 

【——神とは抽出。秩序の揺らぎに応じて、形を変えよ。移ろえ——《血動弾波ブラッドショット》】

 

 ガレインの足元の血だまりが無数の球体に変化し、唸りを上げる。

 低い弾道で草を切り裂きながら、ギアを上げるかのように弾速は急加速をする。

 それは地を這う獣のように、対象者を穿つためだけに鋭い音を鳴らす。


 直撃したらただでは済まないと察知した瑞穂は踵を返し、1階と2階を支える柱を蹴って跳んだ。

 空中で身を返し、ガレインを眼下に納める。

 血の球体は瑞穂の遥か下方で直線的な動きを取っている。

 

「はぁっ!!」

 

 刀を天に向かわせ、全ての力を両腕に込め、落下体制に入る。

 身を小さくし、空気抵抗を最小限にスピードを上げる。

 急落下する刃が空気を裂きながら、閃光を四散させた。


——一気に叩き切る!

 

 その時——

 弾丸が瑞穂に向かってホーミングするように急激に跳ね上がった。


「何っ!?」


 瑞穂はなすすべなく、全身を無数の弾丸に貫かれる。

 一発、二発と体の中に入り込み、血液を奪い去るかのように抜け出していく。

 数発に一度は骨を穿ち、体は弾丸の先へさらわれる。

 勢いのまま2階の窓ガラスを突き破り、館内まで吹き飛ばされた。

 

「瑞穂!!」

 

 璃乃の叫び声が聞こえるが、あまりの激痛に声が喉元から上がらない。

 

 吹き飛ばされた先が絨毯が敷き詰められた部屋で衝撃は緩和された。

 しかし、腹部からの痺れるような痛みが全身を支配する。

 力が急激に抜け、目の前の窓が二重、三重にぼやける。

 

——たった一撃食らっただけでこのざまかよ。情けねぇ。


 外から大きな音が聞こえる。璃乃が戦っているのだろう。


 すぐに合流しなければ——


 絨毯に手をつき、体を無理やり持ち上げようとするも、ストンと落ちる。

 もう一度両腕に力を籠めようとするも、指先から力が抜けていき、起き上がれない。


 僅かに浮いた背中が絨毯に落ちた瞬間、じわりと生温いものが自分から滴っていることに気が付く。


 確認するまでもない。

 絨毯の色はどこまでも赤色だった。

 

「ごめん。璃乃。俺が弱くって——」

 

 意識が身体から抜けていくのを感じた。

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