第26話【武芸会】

 追試も無事に終わった数日後、安生あき。自室でスマホ片手にクローゼットを開けている深優みゆう


あおいかなで

[罰ゲームは今度相楽さがらの屋敷で開かれる武芸会にとびっきりのオシャレをして俺の応援に来ること!スカートだと嬉しい!]


深優

「…とびっきりのお洒落?どうしたらいいんだよ…」


 はぁー、と頭を抱える。クローゼットの中には似たようなパーカーが何着かとTシャツとデニムしか無かった。


深優

「…」


潔く母さんに相談するか?

いや、調子に乗ってゴテゴテにされそうな気がするからやめよう…。


買いに行くか?店員に言って適当に見繕ってもらえば…。


深優

「はぁ…」


 出掛ける準備をしてボディバッグを掴むと何度目かのため息をこぼして家を出た。


深優

(エンジョイタウンにならなんかあるだろ…)


「先輩!」


 ぼーっと歩いていると声が掛けられた気がした。しかしイヤホンしてるし、お洒落の事で頭いっぱいの深優は気のせいかとスルーした。すると今度は手を掴まれて呼ばれた。


将也まさや

「深優先輩!危ないですよ!信号赤です!」


深優

「…え?あぁ、悪い。ありがとう」


将也

「もう。しっかりしてください」


 正面の信号は赤だった。ぼーっとしていた深優は危うく車道に出るところだった。


深優

「…今日は"お兄ちゃん"なんだね」


将也

「はい。ちょっといろいろあって、咲妃さっちゃんすごく落ち込んじゃってて。よくわかりましたね」


深優

「声が違うからね。わかるよ。あと咲妃さきちゃんは僕を先輩とは呼ばないから」


将也

「ありゃ?すみません。ところで深優先輩、お出かけですか?」


深優

「あぁ、まぁ、そうなんだけど…」


将也

「なんかあったんですか?」


 深優は何となくぼそぼそと理由を説明した。聞いていた将也は「なるほど!」と言って手を打った。そして信号が変わるのと同時に深優の手を引いて歩き出した。


深優

「何?」


将也

「俺が先輩にピッタリの服探してあげますよ!ていうか俺今暇だし、付き合ってくださいよ」クスクス


深優

「…まぁ、いいけど…」


将也

「決まり!じゃあ行きましょ!」


 ノリノリの将也に手を引かれてエンジョイタウンへと向かった。


将也

「あ、手とか繋いでたら葵先輩に怒られちゃいますかね?ふふ」


深優

「さぁ?どうだろうね」


 しばらくそうして歩いてエンジョイタウンに着く。


安生ショッピングモール

【アキエンジョイタウン】


 色々見ながらぶらぶらとやって来たのはお姉さんな雰囲気の洋服を置いている店だ。早速将也が棚を探し始める。楽しそう。深優は後ろからなんとなくその姿を眺めている。すると店員が寄ってきて声を掛けられた。


店員のお姉さん

「今日はどのような服をお探しですか?」(* 'ᵕ' )


深優

「え、あぁ、彼に次会う時にとびきりのお洒落をして来てくれって言われて…その服を探してます」


店員のお姉さん

「とびきりのオシャレですか!なるほど!腕がなりますね!///」フンスッ


将也

「先輩!これなんてどうです?」


 将也が手にしているのは白いパンツだった。脚がすごく綺麗に見えそうな細身のパンツ。


店員のお姉さん

「良いですね!お客様とってもスタイルが良いですから!ピッタリだと思います!」


深優

「あー…ごめん。スカートって指定されてるんだ。履きなれてないから長い丈のだとありがたい」


将也

「そうなんですか?じゃあ、えぇと…」


店員のお姉さん

「せっかくのスタイルを活かしたスカートが良いですよね」


 真剣に悩む将也と店員のお姉さん。すると他の店員さんも寄ってきて皆であれやこれやと話し合いが始まった。


深優

(大事になってしまった…)


将也

「!あ、これなんかすごい綺麗ですよ!ちょっと着てみてくださいよ!」


深優

「え、試着…?」


将也

「試着してピッタリのお洒落服探さないと!葵先輩びっくりさせてあげましょ!ね!」


深優

「わかったよ…」


 めんどくさいなと思いながらも、集まって来た店員さん達からも試着を勧められて渋々試着室に入った。将也が選んだのはウエストの部分がコルセットのようになっている夏らしいミントグリーンのマーメイドスカートだった。慣れない服にちょっと苦戦しながらなんとか着て試着室を出る。


深優

「履いてみたけど…」


将也

「わぁ!いいじゃないですか!とっても綺麗ですよ!似合ってます!」


店員のお姉さん

「よくお似合いですよ!腰のラインが綺麗です!そのスカートに合うのは…こちらのトップスですね!ぜひこちらもご試着してみてください!」


深優

「…はい」


 手渡されたのは白いトップス。袖が無く、肩のところがふんわり大きなフリルになっている。着終わって鏡を見てみる。ふと、昔はよくこういう服着てたな、なんて思い出した。


深優

「…どう、かな」


将也

「ピッタリです!先輩、手足が長くてモデルみたいですね!」


店員のお姉さん

「あとはこのカーディガンなんかを羽織れば完璧です!この時期は温度変化があるので1枚こういうのがあるといいですよ!」


深優

「そうですか…あの、靴はどうしたらいいですか?」


店員のお姉さん

「靴はそうですね、スニーカーも合いますし、パンプスでもサンダルでも良いですね!お好きなもので大丈夫だと思いますよ!」


深優

「そうですか。とりあえずこれ3着お会計でお願いします」


店員のお姉さん

「ありがとうございます!あの、もし良ければこのまま着て行かれますか?靴を探しに行かれるのならその方が良いかと思いまして」


深優

「…そうですね。じゃあ、それでお願いします」


店員

「はい!では少々お待ちください!」


 お会計を終えて着てきた服をショッピングバッグに入れてもらったのを持って、今度は靴屋に移動をする。なんだかいつもよりじろじろと見られている気がした。


深優

「…やっぱり、変、かな…」


将也

「そんな事ないですよ。深優先輩が綺麗だからみんな振り返ってるだけです」


深優

「…そうかな…」


将也

「そうですよ!さ、靴探しましょ!」


深優

「うん」


将也

「すいませーん!先輩の今のこの服装に合う靴を探してるんですけど」


店員のお兄さん

「はい。そちらのお客様の服装に合う靴ですね…持って参りますので少々お待ちください」


 しばらくして店員のお兄さんは箱をいくつか抱えて戻って来た。


店員のお兄さん

「こちらのパンプスはいかがでしょうか?ある程度ヒールの高さがあると、より脚が綺麗に見えますよ」


深優

「ハードル高いな…」


将也

「先輩!とびっきりのお洒落ですよ!頑張って!」


深優

「…じゃあ、履いてみるけど…」


 両足履いてゆっくりと立ち上がる。まっすぐ立っているのがやっとだった。


店員のお兄さん

「普段あまりこういったものは履かれませんか?」


深優

「履かないです。いつもはスニーカーばっかりで…」


店員のお兄さん

「そうですか。では、こちらのヒール部分が太い物はいかがでしょう?」


深優

「…さっきよりラクです。こっちの方が良いな」


将也

「うん!それいいんじゃないですか?服にも合ってますよ!」


深優

「そう?んー…じゃあこれにしようかな」


店員のお兄さん

「こちらでよろしいですか?では準備しますので少々お待ちください」


 深優が決めたのは白いサンダルだ。少しヒールが高く底とヒール部分がコルクで出来ていて、足首のところに細いベルトとオレンジ色の花のチャームが付いている。慣れる為にこちらも履いて帰る事にした。


将也

「これでバッチリですね!葵先輩びっくりするかなぁ?ふふ」


深優

「ちょっとコーヒーショップ行こう。助けてもらったし、ご馳走するよ」


将也

「やったー!行きます!」


 ふたりでコーヒーショップに入って適当に注文して席に着く。


深優

「今日はありがとう。僕ひとりだったらこんなにスムーズに決められなかった」


将也

「気にしないでください。俺も暇つぶしに付き合ってもらっちゃったので。ピッタリの服が決まって良かったです」


深優

「そう。…ねぇ、咲妃ちゃんは何があったの?」


将也

「んぇ?突然ですね。ふふ。…ひとり暮らしをしたいって話をしたんです。でも、どうしてもダメだって言われて。うまく説得できる言葉も見つからなくて落ち込んじゃったんです」


深優

「ひとり暮らし?」


将也

「そうなんです。まぁ、優先輩の居るアパートでって話なんでひとりじゃないんですけどねw」


深優

「そう。お兄ちゃんは助けてあげないの?」


将也

「俺も説得する言葉が見つからなくて。助けてあげたいのは山々なんですけど」


深優

「…何とか上手くいくと良いね」


将也

「はい。なんか今日の先輩見てたら俺も頑張らなくちゃって気持ちになりました!さっちゃんの為に頑張ります!」


深優

「僕?」


将也

「そうです。葵先輩のお願いに一生懸命応えようとしてたでしょ?そういうところです」


深優

「僕は罰ゲームだし。そんなたいした事じゃないよ」


将也

「そんなことありますって!」アハハ!


 「そうかなぁ」と首を傾げ、その後も色々な話をしてふたりは別れた。深優と別れた後の将也は色んな事を考えながらぶらぶらと家へと帰った。その夜、体が眠りについて将也は咲妃に声を掛けた。


将也

「さっちゃん。もう一度お母さんと話をしよ?まだちゃんとダメな理由教えてもらってないしさ」


咲妃

「うん…」


将也

「納得いく理由がもらえないと引けないってさ」


咲妃

「うん…」


将也

「にーちゃんはいつでもさっちゃんの味方だよ。ずっと一緒に居るからね」


咲妃

「うん…ありがとう。にーちゃん」


 将也は咲妃の隣に座ると手を繋いで優しく咲妃の頭を撫でた。


―きっと大丈夫。



◈◈◈



 それから更に日は経ち、いよいよ武芸会の日がやってきた。道場では機動隊が武芸会の準備をしている。賢児けんじから一本も取れないままこの日を迎えてしまった耀脩ようすけは苦い顔をしていた。執事室は準備が終わるまでのんびりしている。自室のベッドで指にドッグタグの鎖を絡めてぼんやりとしている奏。めちゃくちゃ憂鬱だった。楽しみなのは深優のお洒落だけ。ぴこんとスマホが鳴ってメッセージが届く。


神崎かんざき深優〕

[お屋敷に着いた。どこに居る?]


「おっと、もう着いたんだ。今迎えに行くよ、と。楽しみだなぁ。ふふ」


 簡単に身支度をして玄関へと向かう。

 玄関に着くと何やら人だかりが出来ていた。なんだろうと覗くと深優が待っていた。いつもはパーカーにデニムという格好の深優がお洒落をしていて注目を集めていたのだ。


「!」


わっ…びっくりした…。

すっごい綺麗…。


深優

「!あ、奏君。…どうかな、罰ゲームになってる?」


「もっちろん!びっくりしたよ!まだ道場準備してるから俺の部屋おいでよ。あがってあがって」


深優

「うん。お邪魔します。…あ、部屋に行く前に大鷹おおたか様に挨拶したいんだけど」


「うん。どこに居るかな?ちょっと確認するから待ってね」


深優

「うん」


 スマホを取り出すと八雲やくもに電話をする。大鷹は道場に居るらしかった。ふたりは並んで道場へと向かう。中に入ると準備をする機動隊員の傍らに八雲と話している大鷹を見つけた。


深優

「大鷹様。今日はお招きしていただいてありがとうございます」


大鷹佐おおたかのすけ

「おぉ!神崎の!何、大した事では無いよ。それにしても今日はまた随分と綺麗じゃないか。奏も隅に置けないな!」カッカッカッ


深優

「ありがとうございます」


「いやですねぇ。隅に置いておいてくださいよw」


大鷹佐

「そう言うな。準備はまだ掛かるから、お茶でも飲んでたらどうだ?」


「そうさせていただきます。では失礼します」


 大鷹に礼をして道場を出たふたりはとりあえず普段食事をしている大広間へとやって来た。深優を案内すると奏は厨房にお茶を淹れに行った。ひとり残された深優がぼーっとしているとひそひそ声が届いてくる。もう慣れっこの深優は聞こえないフリをしていた。


事業部お兄さん①

「お前ちょっと声掛けてこいよ!」


事業部お兄さん②

「えぇ!?神崎の妹だろ?俺怖いよ…」


事業部お兄さん③

「ていうか、という事はだよ?神崎のお嬢様じゃん。俺らじゃ手ぇ出せないって。やめとけよ」


事業部お兄さん①

「ちょっとだけ!ちょっとだけだって!な!?」


事業部お兄さん②

「つーかさっき執事室の葵と一緒に居たじゃん。付き合ってんじゃねぇの?葵もなんか迫力あるよな。怖ぇよ…」


深優

(…すぐるの奴ここでも怖がられてるのか…奏君も…)


 「ふーん」と思って奏を待っていると、結構あちらこちらから似たようなひそひそ声が届く。鬱陶しいなとは思うが、手を出してくる訳じゃないから可愛いもんだなと思って流す。興味も無い。しかし、声を掛けてくる猛者が現れた。


機動隊のお兄さん

「こんにちは。神崎副隊長の妹さんですよね。今日は神崎副隊長の応援ですか?それにしてはオシャレな気もしますが」


深優

「優の応援?冗談。僕は奏君の応援に来たんです」


機動隊のお兄さん

「葵の?悪いけど執事室には負ける気がしませんね。練習量が違いますから」


深優

「だから何だと言うんです。どうして今回ルールが変更になったと思ってるんですか」


「深優ちゃんお待たせ。ごめんね。ここじゃ落ち着かなかったよね」


深優

「平気。こういうの慣れてるし」


「そう?なに話してたの?」


深優

「別に。たいした話してないよ」


機動隊お兄さん

「機動隊が執事室に負けるわけが無いって話してたんだよ」


 機動隊のお兄さんが少しだけ声を大きくして言う。大広間でまったりしていた事業部のお兄さん達が注目をした。それに対して奏は笑顔だった。


「そうかもしれないです。でも、それは隊長や隊長補佐役の話です」


機動隊お兄さん

「なに?」


「執事舐めてると痛い目見ますよ。そもそも準備サボってこんな所で油売ってるような人がまじめに稽古してるとは思えませんし。武芸会楽しみですね。当たるまで負けてないといいですけど。じゃ、深優ちゃんちょっと移動しようか。俺の部屋相部屋で悪いけど」


深優

「良いよ」


 奏は「こいつだけは倒そう」と心に決めた。「じゃ」と言って深優を連れて大広間を出て行く。機動隊のお兄さんはその後ろ姿をムッとしながら睨んでいた。事業部のお兄さん達が後ろでくすくすと笑っている。奏の部屋に移動して来ると運んで来たお茶を出してまったりする。


「深優ちゃん、その服すごいよく似合ってるよ。頑張って着て来てくれたんだね。ありがとう」


深優

「サンダルのヒールがちょっと高くて大変だったな」


「そっか。もしかしてわざわざ買ってくれたの?」


深優

「うん。クローゼット探したけど無くて」


「そう。ヘアスタイルも可愛いよ。あ!あとで並んで写真撮ってもらおう!記念にね?」


深優

「髪は朝一で清花さやかさんの所に行ってやってもらった。写真撮るの?」


「そうなんだ。似合ってる。写真イヤ?」


深優

「…ちょっと、恥ずかしいかな…」


「でも撮りまーす!今日1日俺の言うこと聞いてくれるんでしょ?」クスクス


深優

「…わかったよ」ハァ…


「ね、その服自分で選んだの?」


深優

「これ?いや、お兄ちゃん…将也君と店員が全員で選んでくれて…」


「えぇ?他の男が選んだのぉ?妬けちゃうなぁ。ふふ」


深優

「ごめん…」


「冗談冗談。それでも頑張ってくれたの、嬉しいよ。深優ちゃん…」


 また、素の奏だ。時々見せてくれる顔。深優は何だかそれが嬉しく感じた。そして、葵奏に深く深く沈んでゆく感覚が心地良かった。ぼーっとしていると頬に奏の手が伸びてきて指の背で撫でられる。こそばゆくて目を閉じると、触れるだけのキスをされた。


「…今度は俺が服を選んであげるから、着てくれる?」


深優

「罰ゲームは今日だけでしょ?」


「そうだね。…じゃあ…今日、俺優勝するから、そしたら着て?」


深優

「優勝?ずいぶん大きく出たね。出来るの?そんな事」


「出来るよ?深優ちゃんが俺の選んだ服着てくれるならちゃんと本気でやるよ」


 そう言って目を細めて嗤う奏。ゆっくりと喋る少し低い声。心地好い声。この奏なら本当に何でも出来てしまえる気になる。


深優

「…わかった。もし優勝出来たら、一緒に服を買いに行こう」


「約束だよ」


深優

「あぁ」


 話していると深優のスマホが鳴った。相手は優だ。何やら話があるらしい。


深優

「優だ。何か話があるって。ちょっと行ってくる」


「ん。いってらっしゃい」


 呼び出されたのは道場の外。あんまりこの格好でうろつきたくないなと思いながら行くと、何だか不機嫌な優が居た。


深優

「…話って何?」


「何だ。珍しい格好してるな」


深優

「テストで負けたからね。罰ゲーム。そんな事の為に呼んだの?」


「そんな訳ねぇだろ。お前、今日の武芸会で奏に本気出すように言えよ」


深優

「何で僕が」


「あいつ、お前が絡むとやる気出すみたいだから」


深優

「…平気だよ。さっき本気出して優勝するって言ってたから」


「優勝?まぁ、ならいい。…お前、その格好してて絡まれてねぇか?」


深優

「?いつもと変わらないよ。こそこそ遠目に話されるだけ。…そういえばひとり絡んできたな」


「何かされたのか?」


深優

「されてないし、奏君がすぐ来てくれたから。ていうか、機動隊のしつけちゃんとしなよ」


「は?何で俺が。それは耀脩さんの仕事だ」


深優

「あっそ。なんか感じ悪かったよ。わざわざ大きい声で執事室の事馬鹿にして」


「どこのどの馬鹿だ。そんな事するのは」


深優

「お宅の機動隊でしょ」


「そりゃ悪かったな」


耀脩

「優、そろそろ開会式始まるぞ」


「はい。今行きます」


深優

「僕はどこに居たら良い?」


「中にもう蝶子ちょうこさん達が居るから、そこに一緒に居ろよ」


深優

「うん」


 学校の体育館程の大きさがある道場。中に入るとぼちぼち人が集まり始めている。機動隊と執事室の正面に大鷹と耀脩と八雲が、その傍らに蝶子と紗子さえこ咲妃さきが居たのでそこに向かった。やがて大鷹が前に立って開会の挨拶をして武芸会は始まった。道場には4ヶ所畳が敷かれて、4組みずつ試合をするらしい。試合は順調に進み、今のところの成績はというと、勝ち残りは耀脩、すばる、優、八雲、賢児、奏、佑真ゆうま渚斗なぎとと何人かの機動隊のお兄さんである。貴弥たかやはというとかなり頑張ったが歳上の機動隊員に負けてしまった。


貴弥

「あークソ…ナギと当たる前に負けちまった…」


渚斗

「オレも負けた〜!賢児にーちゃん強いや」


貴弥

「え?終わったのか?でもナギの勝ちだな。オレよりも勝ち進んだもんな」


渚斗

「えへへ!運が良かったんだよ!」


紗子

「おつかれさま!貴弥!」


貴弥

「おう!すぐ負けちまったけどなw」


紗子

「それでもかっこよかったよ!///」


貴弥

「お、おう/// ありがとう///」ボソボソ…


渚斗

「いいなぁ。貴弥にーちゃん応援してくれる女の子がいるんだもんなぁ〜。うらやましい!」


貴弥

「∑な、ばっ、お前は、いないのかよ。そういう女の子」


渚斗

「好きな子はいるよ?でもねぇ、その子ほかに好きな人がいてさ、その人めちゃくちゃかっこいいんだよね」


貴弥

「そうなのか。ま、がんばれよ!オレはお前かっこいいと思うぞ!」


渚斗

「あはは!ありがと!でも壁は高いんだよねぇ」


紗子

「あ、次佑真くんの試合始まるみたいだよ!応援しよ!」


貴弥

「おう!いけー!佑真ー!」


渚斗

「がんばれー!佑真にーちゃーん!」


 応援に気付いた佑真がこちらを向いて笑って手を振る。試合が始まるとちょっと苦戦したがなんとか粘り勝った。一礼をして試合を終えた佑真が駆け足で向かって来た。


佑真

「なんとか勝てたけど、もうしんどい。やっぱり普段から稽古してる違いだよなぁ」


蝶子

「お疲れ様」


佑真

「おう」


咲妃

「あ!優も試合始まるみたい!ボク見てくる!」


紗子

「いってらっしゃい!」


 咲妃はちょっと離れた場所まで優を応援しに走って行った。


佑真

「あと何人で優さん達に当たるんだろう?」


蝶子

「もうだいぶ減っているから、すぐに当たると思うわよ?」


佑真

「そっか。つーか、結構見に来てる人居るんだな」


蝶子

「毎年手の空いてる人は見に来るわね。なんか賭けてるみたいよ。誰が優勝するかって」


佑真

「へぇ?それでさっきから喜んだり落ち込んだりしてるのか」


 更に試合は進み、ついに残りは耀脩、昴、優、八雲、賢児、奏、佑真とあとひとり、なんと大広間で深優に絡んで来た機動隊のお兄さんが残った。次は耀脩対昴、優対賢児、八雲対佑真、奏対機動隊のお兄さんである。


【耀脩 対 昴】


耀脩

「悪いけど、俺はやっちゃんから一本取るまで負けられない」


「そうですか。俺じゃあまだ耀脩さんには敵わないですけど」


耀脩

「全力でやってくれよ?」


「それはまぁ」


審判

「じゃあ始めます。いいですか?…始め!」


 合図と同時にふたりはお互いに掴みかかる。投げようとすれば抵抗され、脚を払おうとしても踏ん張られ、膠着状態が続いた。しかし昴が次の攻撃を仕掛ける瞬間に耀脩が脚を払うのと同時に掴んでいる手に目一杯力をこめて投げ飛ばした。決着。勝ち進んだのは耀脩。


「ってて…普段からそうやってやる気出せば隊長らしいのに」


耀脩

「勝ったけど泣いちゃう」


「ちゃんと優勝してくださいよ?執事室の3人は手強そうですけど」


耀脩

「もちろん全力で行く。負けっぱなしじゃいられねぇ」


【優 対 賢児】


「よろしくお願いします」


賢児

「よろしく」


(賢児さん、耀脩さんがまだ一本も取れてないって言ってたな…)


でも、奏に当たるまでは負けられねぇ。

集中しろ。


審判

「いいですか?では、始め!」


 先に動いたのは優だ。先手を打ちたかった。しかし賢児は落ち着いて冷静にしっかりと優の動きを見て上手くかわした。姿勢を立て直す一瞬の隙に足を取られ組み敷かれた。勝ちは固いと思われていた優が負けるとどよめきが起こった。


(クソっ負けた…ちくしょう…っ)


賢児

「悪いな。俺も我慢してるけど、普段機動隊の連中に下に見られてるの腹が立ってるんだ」


「…そうですか」


 苦い顔をしている優に手を差し伸べて引っ張り起こしてやると礼をして別れた。


咲妃

「優?おつかれさま」


「あぁ」


咲妃

「負けちゃったけどかっこよかったよ!///」


「そうか?…はぁ」


咲妃

「どうしたの?」


「奏と当たる前に負けちまった」


咲妃

「残念だったね…」


「執事室何でこんなに強いんだよ…自信無くすわ…」


 はぁー、と大きなため息を吐いて、髪をぐしゃぐしゃにかきながら壁際に座り込む。なんて声を掛けていいかわからない咲妃もとりあえず隣に座った。


「つまんなくないか?」


咲妃

「ううん!戦ってる優いっぱい見れて楽しかったよ!///」


「そうか」


 やっとちょっと笑って咲妃の頭を撫でるその姿にほっとする。


【八雲 対 佑真】


佑真

「よろしくお願いします!」


八雲

「すごいですね。ここまで残ったんですね」


佑真

「勉強の次にケンカが得意でしたから」


八雲

「そうでしたか。ですが、私も負けませんよ」


佑真

「頑張ります!!」


八雲

「はい。頑張ってください」ニッコリ


佑真

(笑顔が怖ぇ…;;; 絶対負ける気無いじゃん;;;)


審判

「どちらもいいですか?では、始め!」


 胸を借りるつもりで正面から掴みにかかる佑真。しかし、八雲はそれをひらりとかわして佑真の手首を掴むとくるりと簡単にひっくり返した。


八雲

「はい。私の勝ちです」


佑真

「…っすげー…全然見えなかった…」


八雲

「ありがとうございます。スマートに対処出来るように心掛けていますので」


佑真

「ありがとうございました!俺、もっと稽古頑張ります!///」


八雲

「はい。頑張ってくださいね」


 嬉しそうに礼をして蝶子の元へと戻る。その後ろ姿を八雲も嬉しそうに見つめて離れた。


八雲

(佑真君はこれからもっと強くなるでしょうね。ふふ)


 ふと気が付くと耀脩が普段は見せない真剣な顔で八雲を見ていた。


八雲

「私の顔に何か付いていますか?そんなに見つめられては穴が開いてしまいます」


耀脩

「今日こそ一本取る」


八雲

「ふふ。頑張ってください。…もう、機動隊は貴方とふたりだけになってしまいましたね?」


耀脩

「…」


 八雲の言葉に奥歯を噛み締めて拳を握る。言い返せなかった。今のこの状態はどうあっても変えられない。力自慢の集まる機動隊が執事に圧倒されている。「では」と言って八雲は耀脩の元を離れた。


耀脩

(ちくしょう…っ)ギリ…ッ


【奏 対 機動隊のお兄さん】


「口だけじゃなかったんですね。嬉しいですよ、残ってて」


 にっこりと笑ってみせる奏。とてもリラックスしていてこれから試合だという空気を感じさせない。


機動隊のお兄さん

「言っただろ。執事室には負けない。絶対にだ」


「そうですか。でも耀脩さんとあなただけですよね?あんなにいっぱい居たのに」


機動隊のお兄さん

「俺が勝てればいいんだよ。お前も、速攻さえ防げれば勝てる」


「へぇ?」


 奏はここまでの試合全部を目にも止まらぬ速さで決めて進んで来た。しかし、全員に同じ手を使っていたのでこのお兄さんは目が慣れていた。勝てる。そう信じて疑わなかった。だが、始まってみれば奏は動かなかった。こちらから攻撃せざるを得なくなり、一発で投げ飛ばしてやろうと掴みかかる手を、奏はまるで舞でも舞うかのようにゆったりとした動作でかわす。逆に手を掴み返して投げる動作に入るが奏は投げなかった。


「…まずは一本」


機動隊のお兄さん

「!?」


 そう囁かれた。どれだけ手を変えて攻撃しようと奏は軽くいなし、決め手の技を返すが途中でやめて決めないで勝ち点を数えた。遊ばれている。そう思って頭に血が上り、だんだんと動きが緩慢になっていく。カッとなった頭に勝ち点を数える奏の冷たい声が響いて背筋がゾッとする。勝ち点が20を超えた頃、やっと奏は動いた。焦って隙の大きくなったお兄さんを投げ飛ばし、捩じ伏せた。苦しそうに息をするお兄さんの顔に顔を寄せて低く囁く。


「この格好で負けるのが一番クるよね。悔しい?弱過ぎるあんたが悪いんだよ。この短い時間で何回勝ったかな?…執事舐めるなよ」クスッ


機動隊のお兄さん

「…っ」


 それだけ言うと奏は少し乱暴に手を離して深優の元へと向かった。


深優

「…すごいね。本当に優勝しそう」


「約束だからね?」ニッコリ


深優

「わかってるよ」


佑真

「奏さんやっぱりすごいですね!でもなんであんなに長引かせたんです?」


「え?そうかな?相手が強かったから」


佑真

「はぐらかさないでくださいよ。わざと決めないでいたじゃないですか。俺にはわかりますよ?」


「いやいや、ホントに強かったんだってw」


佑真

「ホントですかぁ???」


「ホントホント。信用無いなぁw」アハハッ


渚斗

「奏にーちゃーん!次のカード出たよ!賢児にーちゃんとだって!」


「次は賢児さんとか!頑張ろう!」


 「よぉーし!」と気合いを入れる動作をして次の試合に向かう奏。武芸会も終盤に差し掛かり、より応援をする声が大きくなる。ここからは1試合ずつ行われる。先に試合うのは八雲と耀脩だ。


耀脩

「体育祭のリベンジだ」


八雲

「まだ、賢児君から一本も取れていないと聞いてますよ。大丈夫ですか?」


耀脩

「う…取れてないけど、いいの!やっちゃんから一本取れればいいの!」


八雲

「では、始めましょうか」


 審判の合図で試合が始まる。先に手を出したのは耀脩。ここしばらく賢児と組み合ってた事もあってか体育祭の時よりも動きが良くなっていた。


八雲

(賢児君と組み合ってから変わりましたね。そんなに私から一本取りたかったんですね)


 凄い勢いで繰り出される攻撃。そのひとつひとつを丁寧に処理していく八雲。そして隙を窺って一気にやり返す。耀脩はまたしても呆気なく倒された。


八雲

「体育祭の時よりは良い動きでしたよ」


耀脩

「あ"ーっ!!また負けた!!ちくしょう!!」


 悔しそうに畳を殴る耀脩。その姿に機動隊員達から残念な声があちらこちらから漏れた。次は奏と賢児だ。


賢児

「お前さっき遊んでただろう。やめろよそういうの」


「そんなことしてないですよ。賢児さんまでそんなこと言うんですか」


賢児

「俺にはあんな事してくれるなよ?」


「しませんてw まじめにやりますよ。優勝するって約束してるんで」


賢児

「!」


奏の雰囲気が変わった?


審判

「では、始め!」


 合図と共に真っ直ぐ賢児へと向かう奏。普段の面影は無い、妖しく嗤うその姿にゾッとする。速攻を仕掛けて来たと思いきやゆったりとした動きをしてみたり、攻撃と防御のリズムがめちゃくちゃで、でもどこかしっかりまとまってるような動き。とてもやりづらかった。何より隙が無い。視野も広いらしい。どこから仕掛けても上手くかわされてしまう。


賢児

(なんだよ。まじめにやれば強いんだな。普段は手を抜いてるのか)


 そんな事を考えてる内に隙が出来てしまった。しまったと思った瞬間にはもう決められてしまっていた。脚を払われくるんとひと回転。


賢児

「…やられた。こんなに強かったんだな、奏」


「今回は絶対に負けられないですから」


賢児

「そうか。頑張れよ」


「もちろんです」


 最後は八雲と奏。これで優勝が決まる。向かい合うふたり。いよいよ始まる最終決戦。


審判

「最終戦を行います。…始め!」


 先手を打つ奏。それを丁寧に処理する八雲。何度も何度も向かって来る奏の姿に八雲はかつての奏の姿を重ねていた。喧嘩に明け暮れていた小学校高学年から中学生時代。薄く嗤うその姿はどこか戦う事を楽しんでいるようだった。八雲はそんな危うい奏を守りたくて稽古を重ねてきた。機動隊長を倒す程に。もう奏にはそんなものは必要無いとわかっても稽古はやめなかった。八雲が攻撃をかわして次の動作に入るほんの一瞬を突いて捩じ伏せる。


八雲

「ふふ。また、負けてしまいましたね」


「やっちゃん手ぇ抜いてない?」


八雲

「もちろんです。奏が強いんですよ。ね、赤鬼さん」クスクス


「∑あー!やめてよねー!もう!」(๑˘・з・˘)ブ-


大鷹佐

「優勝は奏か!執事室はいつの間にこんなに腕を上げたんだか。機動隊は気を引き締めるように。じゃあ閉会式を始めようか」


 そう言って組員を整列させて閉会式を行い武芸会は終わった。全員で手分けをして片付けをする。応援に来ていた蝶子達は客間へと移動した。しばらくして片付けを終えた彼氏達が合流して、まったり労ったり感想言ったりしながら時間を過ごし夕食を食べて解散になった。



◈◈◈



 武芸会から数日、執事室の3人の元には稽古をつけて欲しいと大勢の機動隊員が押し寄せた。3人は通常の業務があるからと次から次へと断り続ける。


「…結局、組み手を数こなすのが一番の近道だよ」


「奏、相手しろ」


「今は厨房の手伝いがあるから、ごめん」


「いったいいつになったらお前の手は空くんだよ…今すぐ相手しろ」


「だからダメだってばw」


「いつまで待ってもダメじゃん」


「機動隊員と組み手して待っててよ。時間作るから」


「絶対だぞ?」


「厨房の手伝い終わったら手が空くから。ちょっと待ってて」


「じゃあ道場で待ってるからな」


「うん。仕事終わったらすぐ行くから」


 満足そうに先に道場に向かう優を見送って、屋敷の仕事を片付けに向かう。



◈◈◈



【道場】


機動隊のお兄さん

「神崎ばっかりズルいよ!俺も葵に相手してもらいたい!」


「あはは…ごめんなさい」


「今日の分の基礎トレはちゃんと終わったんですか?」


機動隊のお兄さん

「ちゃんとやりましたよ」


「じゃあ今日は俺が相手をします。俺や昴さんから一本取れるまでは執事室とは稽古させません」


機動隊のお兄さん

「えぇ…そんなの無理ですよぉ…」( ߹꒳​߹ )


「ラクして強くなろうなんて甘いです」


機動隊のお兄さん

「ちぇ…。じゃあ神崎副隊長、相手お願いします!」


「じゃあ始めましょうか」


機動隊のお兄さん

「はい!」


 組み手を始めた優を横から眺める。不思議だった。何で皆そんなに強くなりたいんだろうか。奏はなんて言うか、自分の安心出来る瞬間というのが喧嘩をしている時だった。毎日誰かしらに呼び出されて殴っていた気がする。相手を捩じ伏せるのは楽しいと思ったけど、特に強くなりたいとかは思った事が無かった。


(優の相手もしたし、宿題やりに戻るかな)


渚斗

「∑あ!!奏にーちゃん居る!!稽古つけてよぉ〜!!」


「ありゃ。見つかったか。ごめんねぇ。俺、これから宿題やらないと」


渚斗

「え〜。もう、全然相手してくれないじゃん〜!賢児にーちゃんも八雲にーちゃんも相手してくれないし!オレつまんないよ〜!」(o`⤙´ o)プゥ


「昴さんは?頼めば相手してくれるんじゃない?」


渚斗

「昴にーちゃんも頼んだけどダメだった。なんか耀脩にーちゃんと稽古するんだって」


「そっかぁ。じゃあ今度時間作ってあげる!それでいい?」


渚斗

「ホントー!?やったー!!ありがとー!!絶対約束だからね!!///」


機動隊のお兄さん

「あー!!ナギズルいぞ!!」


「集中しろ」


機動隊のお兄さん

「∑うわぁ!?」


―ドッターンッ!!!!


「あはは!やられちゃいましたね。じゃあ俺、宿題やりに行くから。頑張って」


 部屋に戻りながらポケットに突っ込んでいたフリスケを取り出して大量に口に放り込むとかじる奏。ボリボリ音を立てながらため息をこぼす。


(煙草吸いてぇな…)


 屋敷に居てどうしようもなく煙草が吸いたくなった時はフリスケで誤魔化す事にしている。そんなこんなで武芸会も無事に終わり。慌ただしい毎日も少しずつ落ち着きを取り戻していった。ちなみに奏は武芸会優勝で大鷹から賞金として5万円授与された。深優にどんな服を買おうか今から楽しみである。



◈◈◈

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