第10話
再び目が覚めた時、『私』は聖女になっていた。
「……ん?」
違和感はさほどなかった。
そういえばそうだったなと、過去の記憶を取り戻したような、そんな感覚だった。
つまり、その男との記憶は地続きでありながら、私は私として存在していた。
どう表現するのが的確か。
端的に言うなら、子供に愛を与えたい男と、愛を誰かに与えたい私が混ざり合ってしまった。
それが今の私だった。
リリシアとしての記憶ももちろんあるし、前世を思い出したからと言って不都合があるわけではなかった。
ただ、強いて言うなら前世で抑圧されていた子供への愛が溢れすぎていた。
何せ近寄るだけで泣かれるような容姿だったのだ。
それが今や、誰が見ても美人さんの聖女として生まれ直したのだ。
これで目一杯子供達を愛でることが出来る。
私が前世を思い出したのは、ちょうど十歳。聖女としての教育が始まって少し経った辺りだった。
この国には聖女と呼ばれる女性達がいる。
彼女達はいわば、国営のアイドルだ。
国民達から信仰心という名の集金をして、代わりに様々な施しを行うのが仕事だ。もちろん教会を維持するための事務的な作業も含まれる。
私はそんな仕事を、生まれながらに義務付けられていた。
理由は母が教会内でもかなりの高位に位置する聖女だったためである。第一聖女――つまり聖女の中で一番偉かった。もっと言うなら、現国王に次いで国内で発言力のある人だった。
もっとも、そんなに偉い人だと知ったのはごく最近だったが。
ともかく、そんな高名な聖女の娘とあって、私も聖女としての任を早くから期待されていた。
それに不満はない。
私は人のために役立ちたいと思っていたから。母のように、人々のために聖女として生きていこうと憧れに近い思いを持っていたから。
だから、聖女として生きていく事に躊躇いはなかった。
しかし、一点だけ問題があった。
私は母のように人々を愛する気持ちがわからなかったのだ。
所詮は他人。愛を持って接しても、何かが変わることはない。
母はよく愛がなければ人々には尽くせないと言っていた。
意味が分からない。
そんなものはなくても、聖女として働けるはずだ。
けれど、母はそれがないとダメだと言う。
見習い聖女としての生活が始まっても、それは分からないままだった。
「まずは好きな人のことを考えてみて」
そんな私に手を差し伸べてくれたのは、現第一聖女のマリアだった。
初めて会った時をよく覚えている。母に似て年齢を感じさせない人で、聖母のような笑顔を浮かべていたのだ。私の聖女としての振る舞いはこの人から来ている。
聞くところによると母の後輩に当たる彼女は、母から引き継ぐように第一聖女を担うと、即座に教会中から認められて、あっという間に政権を握ってしまった。
こういうのをカリスマと呼ぶのだろうか。とにかく、マリアは私にとって大先輩も良いところだった。
そんなマリアに目をかけられながら私は聖女としての道を歩み出したが、それでも中々母の言っていることが分からなかった。
そんなある日、私は前世を思い出した。
そして気がつく。
ああ、愛とは子供のためのものか、と。
愛らしい彼らにこの身を捧げることが愛なんだと。
ようやく理解するに至った。
愛が何なのか、理解したのだ。
途端に私の中に愛の嵐が吹き荒れた。
際限なく子供達への愛が膨らんでいく。
全ての子供のために、この身を捧げたいと、身体が疼く。
愛を知りたい私と、愛を与えたい俺。
お互いに欠けたピースを補うかの如く、二つの記憶は存在していた。
だから前世の記憶が混じり合った時、ヤクザの『俺』と、聖女の『私』は、不思議なほど綺麗に混ざり合った。
どちらも自分と認識しながら、自らのなすべきことのために手を取り合ったのだ。
そうして、本当の私が生まれた。
子供達に愛を与える使命を帯びた、聖女リリシアが生まれた。
母からは半分合格くらいにしか言われなかったが、マリアは私の決意を聞くと我が事のように喜んで応援してくれた。それどころか私に第三聖女という大き過ぎる地位を与えて、私のやりたいように聖女としての職務を任せてもらえた。
夢のようだった。
私はがむしゃらに、子供達のために奔走した。
王都の孤児達を救うために、あらゆる施設を建て、人を派遣した。
仕事もなく、食事にありつけない子供達のために、国としての事業を起こして子供達を斡旋した。
マリアと相談しながら、多くの事をした。
時折、これって政治家のやることではと思うこともあったが、マリア曰くこの国では教会が政治を握っているという。であればこれも普通の事なのだろう。
五年近く、私はそうして子供達のために働いた。
幸せだった。
充実した日々だったと思う。
前世での夢が叶ったような、そんな気持ちになった。
直接的に子供と触れ合う機会は少なかったが、何よりも子供達のために働けているという事実が、この身を震わせるほど嬉しかった。
私は、聖女になったのだ。
そして同時に、自身が女性になったことを意識し始めた。
特筆して自分を女性と感じるようなエピソードがあったわけでもない。だって私は元々女性で、前世という男の記憶が入り込んできて、混ざり合っただけだから。
ただ、子供が好きという考えは膨らんでいく。
いつかは私も我が子をこの手に抱いてみたい。
自然とそう思うようになった。
そう、私は自分の子供が欲しくなったのだ。
そんなある日の事。
私は聖女としての本当の仕事を教わる。
「リリシア、呪いは知っている?」
「言葉としては理解出来るけど……?」
首を振るマリア。
分かっていたことではあるが、やはり比喩表現ではないらしい。
分からないと素直に答える。
「呪いとは、人の念よ。怒り、悲しみ、憎しみ。そういった黒い想い」
「……?」
なんの講釈なんだろうか。
すっかり置き去り気分の私を連れて、マリアは教会の地下へと向かった。
王都中心にある大教会。
城と教会が合体したような大きな教会の地下は、入室する事が禁じられている。
例え第三聖女の私であろうとも、全容は知らされていなかった……興味がなかっただけとも言うが。
ともかく、知らなかった。
「なに……これ……」
階段を降りると、かなり大きな広間に出た。
上にある豪奢な教会の内装からは想像も出来ないほど、飾りっ気のないスペースだった。コンクリートのような石柱が、広過ぎる空間をなんとか支えているだけの場所。
その中央に、呪いはあった。
「これが呪い。私達の敵よ」
黒い球体だった。
綺麗な形はしていない。靄のようにふわふわと空中に浮かび、その不定形の球体をウネウネと唸らせている。
黒い鉛筆で渦巻きを描いたような。その描いた渦巻きの上から、何度も何度も繰り返し、芯が無くなるまで繰り返し繰り返し渦を描いたような。
そんな黒が、ぽつんと浮いている。
巨大だった。
少なくとも、私やマリアが見上げてしまうほど大きい。十メートル、二十メートル……いや、そんなにないか……?
分からないがとにかく巨大な球だった。
「聖女は、これ浄化するのが仕事なのです」
「……」
浄化と言われても、何をするんだろうか。中に入って祈りのダンスでもするのかしら。
そう思って見上げていると、その黒い球体から一人の女性が吐き出されるようにして飛び出してきた。
べちゃっと音を立てて地面に激突する。
身体が燃えていた。
黒くて禍々しい炎に、全身を焼かれているではないか。
彼女はしばらく息を荒げていたが、やがてむくりと立ち上がると、何事もないように私達の横を通り過ぎて階段を登って行った。
聖女だった。確かマリアの配下の一人だ。
マリアは挨拶すらせずに上がっていった部下を咎めもせず、静かに呪いを見つめた。
「ここには、国中の呪いが集まっています。国民の負の感情が、初代国王の作り出した術式によって集められているのです」
「……それを、聖女達で浄化する?」
マリアは頷いた。
私は母の言う、人々に身を捧げるという言葉の意味が、ようやく分かってきた。
聖女の本当の仕事は、これに入る事なのだ。
「愛を、愛を強く持ってください。でなければ呪いに飲み込まれる」
「こんなものに入って何が人々のためになるのですか」
「呪いは日々大きくなっていく。それを小さく留めておく必要があるのです」
小さく留めるといっても、具体的にどうするのだろうか。
愛。愛がなんの関係があるのか。
そういう全ての疑問を、マリアは分かったような顔で頷いた。
「――貴方の中に、呪いを取り込むのです。愛があれば生き延び、なければ呪いとなって死ぬ」
なんだか大変な世界だった。
私はようやく、この世界が綺麗なところばかりではないと理解した。
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