誰かに盗られるくらいなら(杏海’s Story)

第7話

絢がクラスメイトたちから無視をされるようになってしまう前夜の話。


翌日から絢のことを無視しなければならなくなってしまうことなんてまだ知る由もない杏海は普段度通り放課後の個人練習を進めていた。


すでに日が暮れて暗くなった時間に、近所の公園にある大きな池の周りを走っていた。


街灯くらいしか照らしてくれるものの無い見通しの悪い場所では、見慣れた景色はただの情報としてしか景色として認識されない。ただ、目標の5キロを走り切るまで、走り慣れたルートをほとんど音を立てずに静かに走る。息を荒げることもなく、淡々と。


池を5周半ほど走ったところで、ペースを緩めた。

「かなり順調なんじゃないかな」

これだけ走ってもまだ余力がある。随分体力がついてきたのは朗報だ。


最後まで相手よりも有利な状況で戦うための持久力は必要である。一番の課題だったスタミナ面を改善できれば、次の試合も勝てるはず。勝負は時の運とは言うけれど、運を呼び込むための準備はしておくべきである。


今日のノルマを走り終えてから、杏海はゆっくりとペースを落としてから、息を整えながら歩く。頬を伝う汗が地面に落ちていた。歩いてきた道しるべみたいになっていて恥ずかしいので、慌ててタオルで額や頬を拭く。


「あと1勝だから」

目標は県大会優勝なんかじゃない。全国で勝つことでもない。ただ、全国大会に出ること。それさえ達成できれば、もうどうでもいい。


当日のことを考えると不安になってきたから、もう少し走ろうかとも思ったけれど、オーバーワークは怪我の元。今日は帰ってまた明日の朝練に備えよう。杏海は家に帰ろうとした。


「あ、その前に」

杏海はスマホの待ち受けを確認した。時刻は21時30分を回ったところ。


まあ、見たかったのは、時間じゃなくて絢と一緒に撮った待ち受け画像だけど。本当は私の姿なんてなくても、絢だけの画像で良いのだけれど、それだと怒られてしまうから。


疲れた身体に絢を補充しておきたい。相変わらずの目鼻立ちのくっきりとしたよく整った顔をしていた。


画面いっぱいに映る絢とか、こっそり撮った寝顔とか、体育の後の汗だくの絢とか、ダル着の絢とか、浴衣の絢とか、怒ってる絢とか、幸せそうにパフェを食べる絢とか、待ち受けにしたい画像はスマホの中にたくさん眠っている。


それでも、自制心を保って、仲の良い友達の先にいかないでいるのは、ひとえに絢の側にいたいという感情から。大好きな子とそばに居続けるためには、自分の欲を表に出さないこと。それが、杏海にとっての常識だった。


今のところは。


だから、自分の感情を何年も押さえつけておくことにだって、耐えられた。


小学生の頃から毎日のようにそばにいて、変わらない感情のまま接していた気がするのに、ふと気づいた時に、自分の絢への好意が、間違いなく恋であることに気づいてしまったのだ。


絢の横で一番仲良くしているだけでは満足できない。


絢のことを自分だけのものにしたい。誰にも絢を共有したくない。彼女が他の友達と話しているだけで、胸の中から得体の知れない痛みがやってきた。


吐きそう。わたしの絢と親しくしないで。


気持ち悪いくらいの感情を持ってしまっている自覚はある。


けれど、絢はそんなわたしにも優しかった。人見知りだから、あまり新しい友達と一緒にいるのは苦手なの。そう伝えると、絢はわたしと2人だけでいる時間を増やしてくれた。


2人でいる時間を大切にしてくれている絢にこれ以上何かを望むのはいけないことだという自覚もある。今以上に絢に何かを求めるのは身勝手なことなんだって、わかってる。


自分と絢では釣り合わない。ううん、そもそも絢に釣り合う人間なんてこの世界にはそもそもいないと思う。


絢はとっても綺麗だから、誰も彼女のそばには相応しくない


何時間でも見続けられるような、美術品みたいに綺麗な横顔を、すぐ真横でずっと見続けてきた。それだけで、十分ではないだろうか。これ以上を望んでしまうのは、罪である。


今の関係を壊したくない。絢に相応しい人物なんてこの世界にはいないのだから、おこがましくも、自分が絢と恋人関係になって良いわけがない。


それでも、バドミントンで全国大会に出ることができたら、少しでも絢みたいな完璧な人間に近づけるのではないだろうか。そう思った。恋人になる権利は得られなくても、告白をしてフラれる権利くらいは得られるのではないだろうか、と。


フラれるために、毎日毎日努力して、告白まであと一歩のところまで来た。


フラれたら、泣きながらお願いするの。これからも、今まで通り友達でいてって。関係を崩さないでって。


大丈夫。きっと優しい絢は、何事もなかったように仲良くしてくれるから。それは今まで一番そばで彼女を見てきたからわかってる。


杏海はぼんやりと、雲のかかった月を見ながら考えていた。


「絢のそばにいても良いのはわたしだけ」

フッと言葉が漏れた。誰も、絢の横には立たせない。その場所は、わたしがずっと守る。これまでも、これからも。


それなのに、時々図々しくも、絢の隣を狙ってくる愚か者がいる。


この間も絢は部活の先輩の元カレから告白をされていた。元カレ、というのはその告白を機に、怒った先輩が、浮気で身の程知らずな男のことをふったから。


絢の恋人なんて、わたしは認めない。許さない。


思い出しただけで気分が悪くなる。


少しずつ家に帰っていく際に踏みしめる脚の力が強くなる。まるで地面に八つ当たりでもしてるみたい。


結局、先輩の元カレの告白は成功もしなかったし、絢にまともに扱われることもなかったのだから、気にすることなんて無い。


それなのに、生意気にも絢に告白した男のことを考えると、とても気分が悪くなってしまう。その事実だけで激しい苛立ちに襲われる。


ムカつくなぁ……


自分のことをおこがましくも絢と対等になれるのではないだろうかと勘違いして、当然のようにフラれてしまった無様な先輩に何度も何度も苛立たされてしまう。


「ほんと、鬱陶しい」

自分の感情を確認するみたいに、ゆっくりと口に出して吐き出した。


せっかく流した心地よい汗がドロドロになっていく気分だ。


わたしの絢を誰かに盗られるくらいなら、先にわたしが――

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