わたあめ

西園寺 亜裕太

プロローグ

第1話

「絢って女子から告られたらオッケーするわけ?」


わたしの思考が一瞬止まってしまったのは、学校帰りに一緒に帰っている杏海あみとの会話がちょうど一区切りついたと思った時だった。


静かになったわたしたちの耳元には、電車の走行音が響いていた。


明日の小テストの話とか、今朝コンビニに寄ってたら学校に遅刻しかけた話とか、駅の近くにできたクレープ屋に行きたい話とか、ごちゃまぜになっていた話題の流れが止まったところで、ふいに彼女がとんでもないことを尋ねてきたのだった。


電車はあっという間に去り、後から少し強い風が吹いた。相変わらずの綺麗な真っ黒な杏海の髪の毛が風に揺られている。バドミントン部の活動が終わったばかりの彼女は、今はほんのり汗ばんだ髪を下ろしているから、風によく靡いていた。


「はい……?」


意図を確認するために杏海の顔を横目で少し覗いてみたけれど、彼女はあくまでも前を向いて、こちらを一切見ようとはしていなかった。元々杏海は表情をあまり表に出さないから、心情を読み取るのはとても難しい。


困ったわね……


何かを試されているのなら、わたしはその答えに沿って答えた方が良い気がする。


なんとなく、この質問はとても重要な気がした。答え次第でわたしと杏海の関係が変わってしまうようなそんな大事な質問。


「オッケーする、って言ったら杏海から告られたりするわけ?」

そんなわけないことはわかっていたけれど、一応冗談っぽく伝えた。


「え……」


杏海が一瞬困ったように視線を逸らしてから、慌てて少し早口で返答する。

「そんなわけないじゃん」

「変な間が空いたせいでガチっぽくなっるわよ」

軽く笑いながら冗談っぽく伝えたら、杏海がこちらを睨みつけてきた。


「自意識過剰すぎ。絢ってモテるから自分への好意、全部愛とか恋とか、重いものだと思っちゃうんじゃない?」


そこまではっきりと言われたら恥ずかしくなってしまう。わたしの考えすぎだったみたい。


「じゃあ、何のために聞いてきたのよ?」

「絢っていちいち雑談に理由求めるの?」

杏海が気だるげな声を出してから、続ける。


「これから絢にはテスト勉強したか聞く時も、放課後どこ行きたいか聞く時も、全部理由をつけて尋ねないといけないってこと?」

「めんどくさいこと言わないでよね」


少し喧嘩腰で毒気のある言葉。普段冷静な杏海らしくない。


わたしが呆れたようにため息をついたら、杏海は少し声を小さくして、ボソボソと喋り出す。


「杏海が彼氏いないの謎だったから、ビアンかと思っただけ。(そしたらわたしにも……)」

杏海の言葉がだんだんフェードアウトして、小さくなっていった。


「ビアン?」

って何のことだろう。


「女の子が好きだと思ったってこと」

わたしが尋ねたら、杏海は少し早口で答える。


「そういう杏海だって、彼氏いないわよね?」

「作る必要ないだけ。真横にこんなビジュの良い人間がいるのに、必要性を感じない。絢のせいで、目が肥えたから」


突然ものすごい量の誉め言葉を浴びせられたら、照れくさくて視線を泳がせてしまう。杏海はわたしの方を見てないから、視線を泳がせまくって気持ち悪い挙動をしてしまってもバレることが無いのは幸いだった。


「い、いきなり褒められても困るんだけど」

「褒めてない。事実を列挙しただけ」


真面目なトーンでそんなことを言われたら、余計照れ臭くなってしまう。


杏海の声って基本的に感情が籠っていないから、本気で褒めているのか、揶揄っているのか、もっと他の意味があるのか、分かりづらい。


だから、今の雰囲気から推測する。喧嘩腰だった彼女がいきなりたくさん褒めてくるのは変だし、多分揶揄っているのだろう。うん、そういうことにしておこう。揶揄っているのだとしたら、本気にするのはバカらしい。


「わたしたち、お互い彼氏いない仲間だし、いっそ付き合っちゃったら良いんじゃないかしら」

わたしが言葉を発した直後に、踏切の警告音が聞こえた。今日は杏海が部活終わりで、わたしは補修終わりで遅い時間に帰っているから、よく電車が通るらしい。


できるだけサッと流してしまい冗談を伝えたタイミングで会話を遮るような音が鳴るのは嫌なのだけれど。思わず心の中で苦笑いをしていると、杏海が足を止めた。


そして、今日の帰り道で初めて、杏海がわたしの顔をジッと覗き込んでくる。わたしも女子の中では背は高い方だけど、杏海も同じくらい高いから視線がしっかりと合っていた。


黒目の割合の大きな杏海の瞳には、こちらの心の中をすべて読んでしまえそうな、妖美な魅力がある。正面からしっかりと見つめられてしまうと、緊張してしまう。心臓の鼓動が倍速くらいになるような気がした。


「それ、本気で言ってるの?」

杏海の声は、踏切の音にかき消されてしまいそうな小さな声なのに、心の内側から語り掛けてくるような圧がある。


「え、いや……」

大きな瞳にジッと見つめられてしまう。


「本気で付き合おうとしてるの?」

「いや、それは……」

しどろもどろになってしまう。


なぜだろう。冗談とは言えない空気を出されてしまっている。まるで、時間が止まって、身動きが取れなくなってしまった気分だ。息をするのも許されないみたいな、不思議な圧がかけられている。


電車が走り去ってから、杏海が深いため息をついた。周囲の空気をすべて吹き飛ばしてしまうような、深くて長いため息を吐きだし終えると、また杏海はわたしの方を見るのをやめて歩き出した。


「言葉に責任を持てないのなら、言わないで」

「明らかに冗談ってわかるでしょ……」

なぜか怒られてしまった。


「だいたい、最初に褒めまくって揶揄ってきたの、そっちじゃないのよ」

「揶揄ってない。絢のことをとても綺麗な人って思うのは、本心だから」


本気だったのだとしたら、どうしてそんなに全力で褒めてくるのか不思議ではあった。


「まあ、何でも良いわ。とにかく、わたしが恋人を作らないのは、ただ単にモテないからっていうだけだからね?」

わたしが言うと、杏海は呆れたように笑った。


「よく言うよね。昨日も先輩の男子から告られてふってたくせに」

「昨日もっていうか、昨日が入学してから初めてなんだけど……」


むしろ、告白回数では杏海の方がよっぽど多いんだけど。


「それは絢が高嶺の花だからでしょ。絢に告白できる自信のある人なんて、ほとんどいないから、数が少なくなってるだけ」

「じゃあ昨日告ってきた先輩は自信家ってこと?」

「そりゃ……」

そこまで言って杏海が言葉を止めた。


「何よ?」

尋ねても、杏海は教えてくれようとはしない。


中途半端に言葉を止めたまま、ため息をついた。なぜか、吐き出す吐息の中にほんのりと苛立ちが混ざっているような気がする。


「ほんと、絢って厄介ごとを持ってくるよね」

「持ってくるというか、ただ告白されただけなんだけど」

「そう、絢はただ告白されただけ。でも、よりによって……」


杏海がぼんやりと上を見た。空に広がる赤い夕焼け空は綺麗だけれど、当然綺麗な空を見たくて杏海が上を見ているわけでは無いことくらいは、さすがのわたしにもわかる。


続きを待っても、横からは杏海の静かな呼吸音が聞こえてくるだけだった。

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