私のお父さん
うしき
大学ノート
私は引き出しを開けると、古い大学ノートを取り出した。私は何度も読み返したこのノートを、また手に取っていた。9月にしては妙に熱い、今日の天気があの頃を思い出させたからかもしれない。
表紙をめくれば、見慣れた文字が、父の几帳面で角ばった文字が書き込まれている。
その最初のページに書かれた日付。今からずいぶんと昔の日付だ。あの頃のことはよく覚えていない。ただ、母の葬儀の時、大勢の黒い服を着た大人達から隠れるように、父にしがみついていたのだけは覚えている。母が亡くなったなんて実感は全くなかった。
ぼんやりとその頃を思い出す。私が最初に書かれた父の文字へと目を移すと、開け放たれた窓から入った優しい風が、私の頬を撫でた。ページの淵がささやくように揺れた。
――妻が死んだ。先生にも勧められたが、これから起こることを残す為にも、今日から日記をつけようと思う。夫婦で事故にあい、私が生死をさまよっている間に妻、サツキは逝ってしまった。これから娘、マナを守っていくためにも、私が、がんばらなければいけない。
2035年
11月1日
今日、退院した。マナを預かってくれていたサツキの実家へと寄る。マナは久しぶりの再会を喜んでくれたが、私はサツキの両親にかける言葉が浮かばなかった。
自宅へと帰って来たマナは嬉しそうにいろいろな事を話してくれた。サツキの事を聞くマナに、私は本当のことを話せなかった。
夕飯がコンビニのおにぎりでごめんな、少し料理も覚えよう。
11月2日
葬儀の打ち合わせ。私が退院するまでに両親がある程度打合せをすませてくれていて助かった。
晩御飯はカレーを作ってみたが、量が多すぎた。うまくいかない。
11月5日
サツキの葬儀を済ませた。マナは一日中私から離れなかった。私がこの子を守る。
11月6日
夜中になってマナが泣いた。あの子なりに、気を張っていたのだろう。お母さんがいない、と泣きじゃくるマナに私は何も言ってあげられなかった。情けない。
11月7日
気分転換にマナを連れて出かけた。天気も良く、近くの公園に行っただけだがずいぶん喜んでくれた。一緒になって走ると、こちらの方がへばってしまう。
11月8日
今日からマナが学校に通い始めた。学校の準備は今までサツキがしていてくれた。これからは私がしなければ。
マナは家に帰ってくると学校であった事を笑顔で話してくれた。久しぶりにお友達に会えて嬉しかったらしい。
11月9日
私の職場復帰は当分先となりそうだ。その分マナと過ごせる時間は増える。
二人きりの食事は寂しくなりがちだ。せめてテーブルの上だけでも賑やかにしてあげたい。
11月10日
諸々の事も片付きはじめ、少し時間もとれるようになった。毎日の掃除洗濯も慣れてきた。だが、マナが学校に行き、一人きりで過ごす家はどこかガランとして居心地が悪い。
11月11日
今朝は冷え込んだ。マナが学校に着ていく服が欲しいと言うので冬服を買いに行った。女の子の流行りはわからない。私が勧めた物を見てマナはセンス無い、と一蹴した。サツキが見ていたら笑っただろうか。
11月12日
マナと一緒に夕飯を作った。自信作のパスタだったが、お母さんの方がおいしいと言われてしまった。パスタはお母さんの得意料理だよ、量は多いけどね、マナはそう言いながら、泣いていたと思う。もっと料理を上手に作れるようになろう。
11月13日
調子に乗って食材を買い過ぎた。さすがにパスタの麺だけで五種類、それに加えて材料や調味料を買い込んだのはやりすぎだったと思う。しばらくパスタの日が続きそうだ。
今日はナポリタンを作った、マナはピーマンを残した。明日は何を作ろうか。
11月14日
マナの学校から呼び出しがかかる。クラスの友達と喧嘩になったらしい。相手に悪気はなかったのだろうが、母親の事を言われたのが原因らしい。サツキならあの子にどんな言葉をかけてあげただろうか。
今日ペペロンチーノにしたが、唐辛子を入れ過ぎてマナからは不評だった。
11月15日
マナは昨日の友達と仲直りできたらしい。安心した。
今日はミート―ソースを作った。あらびきの挽肉はマナからの評判が良かった。おいしいと言って、残さず食べてくれた。毎日ミートソースでも良いよと言ったが、さすがにそれは私も困る。
私は、サツキの分までマナと接していられているだろうか。父として、ふるまえているだろうか。
11月16日
家から見える山の頂上が白く染まった。今年も冬がやってきた。
今日はナポリタンでリベンジ。ピーマンは細く刻み、マナのすきなウィンナーは多めに、そして甘目の味付けにしてみた。マナはまたパスタ、とうんざりした顔をしていたが、一口食べると今日のもおいしい、と喜んで食べてくれた。
お父さんも料理上手なんだね、と口の周りにソースをつけて、私に微笑んでくれた。
11月17日
連日パスタが続いたので、今日は鍋にしてみた。急に寒さが厳しくなったので、暖かい料理をマナは喜んでくれた。
街はすっかりクリスマスムードに包まれている。今日、お菓子屋さんでクリスマスケーキの予約をしてきた。
夕食後、マナにサンタさんからのプレゼントは何が良いか聞いた。予想外のリクエストに、私は思わず目頭が熱くなった。あの子に気付かれなかったか心配だ。可愛いのを選んでこなければ。サンタさんは大変だ。
――この頃の事は何となく覚えている。私が学校から帰ってくると、父は決まってパスタを作って待っていた。毎日パスタでさすがに文句も言いたかったが、私がおいしいと言うたびに笑う父を見ると、そんな感情も吹き飛んだ。
母が亡くなって、静まりかえっていた我が家に、笑顔が戻ってきたのもこの頃だったように思う。クリスマスも、大晦日も、そして迎えた新年も、父は、母の分まで精一杯に私に愛情を注いでくれていたのだと、今はわかる。
あの年、クリスマスにサンタさんがくれた物を私は覚えている。小さなフライパンと子供用の包丁。お母さんの代わりに、私がお料理をする。欲しい物を聞かれた私がそう答えた時、きっとサンタさんは泣いていた。
少し気恥ずかしような感情を抱きながら、私はページをめくった。
ページをめくっていくと、私たちの暮らしは春へと進んだ。父にしては珍しく、感情のこもった文字が躍る行がある。これは良く覚えている。私も本当に楽しかった。桜が満開に咲く中を父は私を遊園地に連れて行ってくれた。
2036年
4月2日
少し体調が悪い。体では無いのかもしれないが。春休みで家にいるマナにあまり心配はかけたくない。これは正常な過程なのだ。
眠るマナの額に手を当てて、頬撫でた。本当に愛おしい、本当に。
4月3日
いろいろと考えたが、日記の内容をもっと詳細に書こうと思う。いつまで続くのかわからないが。
付き合い始めたころに、サツキに言われた事を急に思い出した。顔に似合わず飽き性なんだね、あの時は余計なお世話だと強がったが、その言葉は今の私に響く。サツキに笑われないようにがんばろう。
そろそろ新学年の準備も本格的に始めなければいけない。
私の復職は夏頃になりそうだ。その頃にはあの事故から一年経つ。私たちは、どうなっているのだろう。
明日遊園地に行こうとマナに言った。目を見開いて驚いていたが、すぐに大声をあげて喜んでくれた。
こじんまりとした遊園地だが、小さな動物園も併設されている。明日が楽しみだ。
4月4日
はしゃぎ過ぎたマナが寝るのは早かった。思った以上に遊園地を楽しんでくれた。身長が足りずにジェットコースターに乗れなかった時は、泣きそうになりながら不満をもらしていた。私が乗らずに済んで良かったと、内心思っていたのはあの子には内緒だ。
また来ようね、とマナは笑顔で言っていた。喜んでくれて、とても嬉しかった。
遊園地は桜の花が満開だった。ふと、サツキと桜の花の下を歩いたことを思い出した。最近、サツキとのやり取りを思い出すことが多い。思い出のなかのサツキはいつも笑顔だ。だが、その顔に薄いベールがかかったように見える。こうして、変わっていってしまうのだろうか。
4月5日
マナをひどく叱ってしまった。とても後悔している。
原因は新学期の準備を行わないことに対してだったが、不服そうな顔に私が腹を立ててしまったのだ。もっと、冷静であるべきだったと思う。あの子は泣きながら新学期の準備をしていた。
素直に、強く言い過ぎたと謝れたらどんなに良いだろう。
お詫びと言う訳では無いが、夕飯はマナのリクエストにこたえた。
久しぶりにナポリタンを作った。おいしいと喜んでくれるマナを見ていると、こちらも笑顔になる。相変わらず口の周りはケチャップだらけだったが。
マナの寝顔を見ている内に、思わず抱きしめたい衝動にかられた。マナを起こす訳にもいかないので、我慢する。だが、自然と涙があふれてきた。これは嬉しさからだろうか、寂しさからだろうか。私は、次第に変わっているのだろう。
二人の生活にも慣れた頃、父は良く笑うようになった。それを見る私も、明るくなった。だが、時折父が私を抱きしめて泣いたのもこの頃だった。普段は泣かない父の涙に、戸惑いを覚えたのを思い出す。
ここまで読んで、私は次のページをめくる指を止めた。この先のページには、私たち親子にとって一番記憶に残ることが記されているのを知っているからだ。そして、この日記がもう残り少ないことも。
ページをめくり、あの日に思いを馳せる。私があの川に行こうと父にせがんだのは良く覚えている。
6月1日
わたしの役目がおわる日が近いようだ。これから先をたくす為に、これまでの記録を残す。私は、幸せだった。本当に、本当に。
6月2日
マナがいってきますと言う。わたしは、いってらっしゃいと言う。
マナがただいまと言う。わたしは、おかえりと言う。
6月3日
マナが行きたいと言うので川遊びへと行った。私の失敗だ。連れていくべきでは無かった。
岩の陰の淀みにマナは気付かず、足を滑らせて溺れてしまった。助けを求めるマナに、手を伸ばしたが、体が自分の物でないようにうまく動かない。どうやって助けたのかも思い出せない。気づいたときにはマナを抱きかかえていた。
この腕は私の物だったのだろうか。私は、自分の腕でマナを救えたのだろうか。
ただただ、震えるマナを抱きしめることしかできなかった。私は、父親になれたのだろうか。
私は、私の生きた意味を、証を、失うところだった。
マナがぶじでいてくれて、ほんとうにうれしい。
わたしは、まだマナのちちでいられる。
6月5日
おそらく、これがさいごのにっきになる。マナへ。ありがとう。
そこまで読み終わると、私は一通の封筒を開けた。すっかり古くなり、角もすれて色も変わっている。だが、私はその封筒をずっと大事にしてきた。
そして丁寧に折り畳まれた手紙を開く。何度も読んだ、父の直筆の手紙を。
マナへ
さびしい思いをさせてごめんね。お父さんも、お母さんも、マナといっしょに住めるようにがんばっているよ。
お母さんも、声はだせないけれど、きっとマナを見まもってくれているよ。
お父さんは少しの間、お休みしないといけないみたいなんだ。でもだいじょうぶ。お父さんの心が休んでいる間、お父さんの体にはお空から来たもう一人のお父さんが入って、マナを守ってくれるよ。
そして、お父さんの心が元気になったら、きっともどるからね。
いつもマナを見ているよ。
お父さんより。
それを私が臨床試験中であったAIによる患者の補助だと理解したのは、ずいぶん後になってからの事だった。父の場合は重篤な状態にあった脳の回復を優先する為、その負担を減らす為に使われていた。
最初は患者の人格を模したAIが、本人の体を使い、まるで本人かのように振る舞う。その後、病状が好転するにつれてAIの活動比率が下げられ、やがては完全に患者本人の思考が戻る。父の時と全く同じでは無いが、今では似たような治療法が確立されている。回復とともに患者の意識の比率が上がることで、復帰した際に浦島太郎のようになることが無いという。
だが、やがて消えていくあの人の意識はどこへといくのだろう。
あの時、私を抱いてくれた腕は、あの腕は、間違いなく父の物だった。
父にその時の事を聞くと、朧気ながら、必死だった覚えはあると答える。
だけど、きっと、きっとあの腕は、あの父の腕は、あなたの物だったのだと思います。
私は先程まで読んでいた日記の最後のページをもう一度開く。そこに書かれた文字は、手紙の文字と少し違っている。その角ばった文字を見るたびに、私は何故か少し微笑む。そこにあの日の父を見る気がするから。
そして、下から三番目の行。大人になった私が、書き加えた文字。その文字をそっと指でなぞる。
2048年
9月23日
あなたはきっと、私のお父さんでした。ありがとう。
マナより。
私は日記をそっと引き出しにしまう。もう秋だというのに、外ではセミ達がうるさい程の声で鳴いている。青く澄み渡る空を、小さな雲が通り過ぎる。
私のお父さん うしき @usikey
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