第40話 邂逅


 ひるさがり、莫州中心部にある市場の食堂はどこも賑やかに繁盛していた。ようやく空いた席を見つけて三人で座ると、さっそくポーリャが羊の窯焼きとパンを注文した。ところがチャイを飲みはじめたとたんにロフシャンがあらわれ、鉄戈の助けを請うた。

「兄さんちょいと来てくれ、馬車の車輪がはずれちまってよ、直すの手伝ってほしいんだ」

「いまヒツジを頼んだとこなのに」

 口をとがらすポーリャに、

「おまえはここで食ってろ、和子を頼む」

「カーチャは?」

「あとで食うから包んでもらってくれ」

 そう言いおいて、鉄戈は馬車に戻っていった。

 それから間もなく三人分のヒツジ肉が卓に並べられたちょうどそのとき、空いた椅子にひとりの男が手をかけた。

「相席よろしいかな? どこも混んでましてな」

 見あげると男は品よく笑みを返して、返事を待たずに腰をおろした。それなりの身なりをしていて、所作も口ぶりもそつがない。隊商のなかにはいないタイプだ。

「母子ふたり旅ですかな? いや姉弟かな?」

 ふたりを交互に見て問う男に、ポーリャは楽しそうに返した。

「うふふ。内緒よ」

 ポーリャにつられて笑った男は阿怜の顔をのぞきこみ、

「おや、坊ちゃんには漢人の血が入ってますな」と声かけた。

 ヒツジの骨をつかんでいた阿怜はちらっと目を上げた、それからすぐまた視線を手もとに落として返事をせずにあばら肉にかぶりついた。代わりにポーリャが、

「そう言うあんたは純血の漢人のようね。この町の人? それとも東から旅してきたのかしら」と話を接いだ。

「旅ですな。たいせつな用件で」

「たいせつな用件ってなあに?」

「はは、内緒ですな」

 ポーリャに倣って笑いながら男は言った。仕立てのよい服からかすかに香の匂いが立った。

「あらケチんぼね、いいわよ当ててみせるから」

「では互いに内緒の秘密を当てあいするとしましょうかな」

 のんきに笑いあうふたりに、ちょうど骨の肉をだいたい齧りおえた阿怜が口を挟んだ。

「王宮から派遣されて来た役人だろう」

 男とポーリャがそろってこちらを見るのに自分はまっすぐ前を向いたまま、表情を変えずに阿怜がつづけた。

「身分はかなり高いな。どんな格好をしていても、為政者のもつ匂いは消せぬものだ。わざわざ身分をかくすとは、なにか目論見があるのだろう? 拐かされた太子でも追っているとか?」

 さいごのヒツジ肉をまだ口のなかで嚙みながら、冷淡な声で言う阿怜に男は呆気にとられた顔を浮かべたが、すぐにかしこまって姿勢を正した。

「恐れ入りましてございます、さすがは太子殿下」

 そして声を一段低めて、だが力強くつづけた。

「いかにもわたくしはこの地の軍事警察の大権を託された巡察使、名は范雍と申します。お迎えに参りました」

 予想もしていなかった展開に、ポーリャは言葉が出ない。手にしたヒツジ肉を口にはこぶことさえ忘れているようだ。

「余を見つけだしたことは褒めてやる。忠義ご苦労だが、余は都に帰るつもりはない。それに――」

 と言いかけたところで阿怜は范雍の顔をのぞいた。この者は四氏族派のたくらみをどこまで知っているのだろうか。だがたとえこの者が敵であったとしても、運命を鉄戈がともに背負ってくれる限りなにも恐れはしない。

「――王宮の者どもも余を生きて帰すつもりはない」

 阿怜は幼い顔のどこにそんなものがかくれているのかという辛辣な笑みを浮かべて言った。

「存じております。鉄戈に拐わかされたわけでないことも」

「ならば放っておくのだな。お互い破滅に向かうばかりだ」

「しかし」

 ここぞとばかりに范雍は阿怜の手を押しいただいた。

「天下を正しい道に戻すのです、殿下。臣は太子を戴いて都に入り、王宮から逆賊どもを一掃する所存でございます。太子がひとたび起たれたならば、尚書しょうしょ耶律やりつの志を受け継ぐ者たちはこぞって馳せ参じ、天下の臣民みな太子の御威光にひれ伏さぬ者なく、天は逆賊を誅して必ずや太子に王道をお開きになるでしょう」

 范雍の言葉はしだいに熱を帯び、表情には志士の気概が浮かび、阿怜の手を握る力も自然と強くなったが、しかし阿怜は冷ややかに応じた。

「余がもし帝位につけば、こんどは弟たちが殺されるのであろう? つまらぬことだ。この町の者たちを見るがよい……たとえ王宮でクーデターがあろうとも、逆賊が国を統べようとも、かれらは平和に暮らしているではないか。だれが皇帝になろうとかまわぬ」

「そもそもあんたが和子をその逆賊に引きわたさないって保証はあるの?」

 さっきから話を聞くばかりだったポーリャがぽつりと口を挟んだ。いっしゅん范雍が口をつぐんだのを好機しおに阿怜は立ちあがり、

「余に忠でありたいなら、なにも見なかったことにして帰ることだ」

 そう言うと、卓に范雍を残して立ち去った。

 残された范雍は肩をすくめて、親爺に料理をたのんだ。料理を待つあいだ、いまの会話を反芻してみた。想像をはるかに超える早熟ぶりだ。寅照いんしょうより鉄戈の凄腕のほどを聞いていたため力押しでの捕縛は避けたいと思っていたが、からめ手も容易ではないらしい。

 やれやれ、とため息を吐いて、やがてやってきた名物のヒツジ肉を片手につぎの策を練りはじめた。


 市場の雑踏のなかを阿怜は足早に歩いて、大人たちのあいだをすりぬけながら馬車のほうへ向かった。ポーリャは食べ残したヒツジ肉とパンをかかえて、いそいで追った。まだ子供の阿怜はかんたんに人ごみのなかにかくれてしまうから、あとを追うのもたいへんだ。

「待ってよ和子」

 やっと追いついたポーリャが顔をのぞきこむと、阿怜は歩みをゆるめないで、思いつめたように口を結んでいる。

「どうしたの、こわい顔しちゃって」

 阿怜は真っすぐ前を見すえたまま言った。

「あの男、あれで引き下がるとは思えぬ。敵になるなら厄介だ。巡察使ならばふんだんに部下を使うこともできよう。それに頭も切れそうだ」

 ひとり言のようなつぶやき声だ。ポーリャが聞きとるかどうかは気にしていないようだが、ポーリャは聞きとった。

「じゃあもうすこしご機嫌とっといたほうがよかった?」

 ポーリャの言葉にはっとして、阿怜は立ち止まった。すこし考えてから言った声は決然としていた。

「そうだな、そうすべきだった。つぎまみえるときがあればそうしよう」

 范雍の考えしだいで阿怜の運命が変わるかもしれないのだ。太子という身にあるため人の機嫌をとるなどついぞなかったが、これからは必要とされることもあるだろう。悟り顔で范雍を言い負かしている場合ではなかった。

「ポーリャに教えられたな」

 阿怜がポーリャを見あげて言った。どこまで考えを改めたのだか、これだって十一歳の少年が大人の女性にかける言葉でも表情でもない。ポーリャは気にせず鼻唄で応えた。



 ふたりが戻って、ほどなく動きだした隊商につれてロフシャンの馬車もそろそろと進みだした。修理はうまくいったようだ。鉄戈が馬に乗っているのは、先日騎乗での闘いが思うようにいかなかったことに懲りて、馬に慣れようとしているらしい。

 ここから道は大きく北へ折れ、西方に立ちふさがる広大な死の沙漠を避けながら、北方に点在するオアシスを目指す。避けるとはいっても沙漠の東端を縦断する道だ。はたを流れる河のほかは見わたすかぎり砂と礫の海を行くようで、千年のあいだ旅人たちが踏みかためた道を一歩はずれれば車輪はすぐ砂に埋まるだろう。

「和子、なにか心配ごとか?」

 だまりこんだ阿怜の様子に、鉄戈が馬上から声をかけた。阿怜は聞こえなかったのか、答えない。代わりにポーリャが言った。

「さっき巡察使ってのが話しかけてきたのよ。和子の正体もばれちゃったわ」

「なに?」

 鉄戈は気色ばんだが、阿怜は考えにしずんだままだ。ポーリャはまたのんきな声でつづけた。

「それが和子ったらすごいのよ、相手も相当切れる感じだったけど、すっかり小僧あつかいでやりこめちゃうんだもの。ほんとにこの子十一歳なの?」

 ふたりの会話を聞いているのか聞いていないのか、阿怜はだれに言うともなくつぶやいた。

「見つかった以上、この隊商は見張られているだろう。今もどこかで余を見ているはずだ」

 阿怜が言うのに反応して、鉄戈は目で周囲を見まわした。注意ぶかく、顔に出さずに。微かながら敵意が体に刺さる感触があったのだ。それが気のせいでなかったと、阿怜の言葉で納得した。

 陽が天の高きより大地を灼いていた。前方の沙漠はまばゆくかがやき後方のオアシスはますます緑をあざやかにしていた。町を行き交う人びとは生命力にあふれ、そのなかから敵意の主を見つけ出すのは、さすがの鉄戈も手に余る。


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