蘇生魔法とサイコ野郎
@MagaiKagari
短編
きぃ、と古びた扉の蝶番が鳴った。
地下室の中央には、魔法陣が描かれている。
黒い墨、乾いた血、刻まれた線。どれも、男がこの一か月で描いたものだ。
書物に記された理論を追い、儀式の手順を何度も確認し、材料をそろえた。
今日がそのすべての終着点――
魔法陣の中央に立ち、呪文を口にした。
瞬間、空気が裂けた。
闇の中で、何かがこちらを見ている気配がした。
(……呼んだのは、おまえか)
声が響く。
人の声ではない。
それでも、男ははっきりと理解した。
――上位存在。
生と死を渡るもの。
男は膝をつき、震える唇で願いを告げた。
「……彼女を、生き返らせてくださいますか」
すると、虚空から問う声がした。
(蘇らせたいものの名を答えよ)
唇の端が震える。だが、その名を出す前に、ふと胸の奥がざわめいた。
「……ひとつ、お尋ね申し上げます」
闇の中に、わずかな灯が戻る。
男の声は思いのほか静かだった。
「“生き返らせる”とは、いかなる御業にございますか」
沈黙。
石壁の滴が落ちる音が、異様に大きく響く。
「肉を再び動かすことですか。魂を呼び戻すことですか。それとも――似た形をお造りあそばすことですか」
すると、音もなく、闇がひび割れた。
黒い霧が裂け、その奥から“それ”が歩み出てくる。
片腕は長く、もう片方は短い。顔の位置も微妙にずれている。
初めて人間を見た誰かが「だいたいこんな感じだろう」と適当に作ったような姿の化物だった。
男は思わず固まる。
闇の底から、再び声がした。
(魂を、肉の器に戻すことだ)
ほぅ、と理解した男はつぶやく。
「……死んで、二ヶ月になるんだ。火葬はしてない。
でも、あれは……もう、原形を留めてない……」
頭の中で“理屈”が動いた。
魂を戻す――つまり、腐敗した肉体が再び動く。
再び“息をする”ということは、つまり、腐った肺が動くということで――
彼は、そこで思考を止めた。
映像が浮かんだのだ。
乾いた皮膚が音を立てて裂け、骨の隙間から声を漏らす彼女の姿が。
「もし……その、魂を戻したら。やっぱり――ゾンビ的な、ものになるのか?」
(ゾンビ? ふむ……)
化け物は腕のない体で、あたかも顎に手を添えるような仕草をして考え込んだ。
沈黙が続く。
男は期待と不安の中で、相手の次の言葉を待つ。
(……正直なところ、わからん)
「……は?」
(生き返らせたことはある。あるが――結果を見届けたことは、ない)
「レビューちゃんとみろやサービス業」
職責がなってない化物を思わず罵倒する。
(依頼者が泣いて喜んでいたのは覚えている。だが、その後どうなったかは……わたしも忙しいし)
淡々と、しかしどこか誇らしげに言う化け物。
男は額を押さえ、深くため息をついた。
目の前の存在が、生死を司るというより、生死をざっくり把握しているだけのように思えてくる。
「……待て」
男は眉を寄せ、思考を整理するように指を折った。
「まず、彼女の肉体を直す。腐敗した部分を修復して……元の姿に戻してから、魂を戻す。」
(ふむ、理にかなっているな)
「で、生き返ったあとは、人間としてちゃんと“生体機能”で動くようにしてほしい。
心臓が動き、息をして、食事をして、眠る……そういう、生きた人間として」
(ああ、いわゆる“自然な蘇生”だな)
「それから、彼女の意識は、生前のままであってほしい。記憶も性格も、声も笑い方も。別人みたいに変わるんじゃ意味がない」
(なるほど)
化け物は静かに繰り返した。
(つまり、おまえの要望はこうだ――
一、肉体の修復。
二、人間としての機能。
三、魂と記憶の完全な一致。
……うむ、三拍子そろって非常に繊細な仕事だ)
(だが、念のため説明しておく。わたしがやっていることは――術者の頭の中にあるイメージに従って、魔法の力で再現するだけのことだ)
化け物の声は、静かで機械的な抑揚を伴っている。
(要求が多ければ、本質である”蘇生”の再現性が薄れる。運が悪ければ、過去の彼女を“呼び出す”だけで終わることもあり得る)
静かな闇の中、化け物の声だけが響く。
男は頭を抱えたまま、目を伏せ、最悪の事態を思い浮かべた。
「――ならば、別の案がある」
男はふと顔を上げ、声を落とした。
「彼女の“魂”を、他の女に入れるというのはどうだろうか。肉体をいちから整えるより、既に生きている肉体――美女の肉体を使えば元より美しくなれるし、彼女も嬉しいだろう」
(わたしを呼び出すのに倫理観を犠牲にでもしたんか!?)
化物の声からは威厳が消え、完全にドン引きしている。
(考える必要がある……どうするか)
化物は奥へ引っ込み、薄暗い影に沈んだ。
その背後から、ぱらりと一枚のページが光を反射した。
男の目にちらりと見えた魔導書――それを捲るものは紛れもなく人間の手であった。
「……おまえ、人間なのか?」
男の声は静かだったが、問いの中には鋭い探究心が含まれていた。
奥の闇から、化物はゆっくりと前進する。
闇の衣が解け、魔導書を持った老人が正体を現す。
「……ああ、人間だ」
その声は静かで、威圧も欺瞞もない。淡々とした事実の告白。
「私は、流星の魔術師。 上位存在などではない。神でも、化物でもない、ただの人間――だが、この力を、善意で使っている」
老人の瞳は、影の中でも理知を帯びて輝いている。
「力を振るう理由は単純だ。死者を救いたい、苦しむ者を救いたい。それだけだ」
手をゆっくり広げ、魔導書を胸元に押し当てる。
男は一歩踏み出し、言葉を慎重に選んだ。
「……つまり、善意の人間が、自分の知識と力の範囲でできることをやっている、と」
老人はうなずき、静かに微笑む。
「そういうことだ。だからこそ、おまえも考えすぎず、任せてくれればよい」
だが、男は首を横に振った。
「いや……もう、この願いはかなえなくていい」
「えっ、なんか無碍にされたんですけど」
老人は思わず口調がギャルっぽくなった。
「できることは協力するって言ってるんだぞ!」
「いや、だから……駄目だ」
男は言葉を切り、肩を強く揺らすように頭を振る。
老人は眉をひそめ、訝しげに首を傾げる。
「おいおい、そんなにかたくなになるか? わしだって善意でやるんだぞ。」
男はさらに決意を固め、声を低くする。
「だから、かなえなくていい。もう、手を出さなくていい」
老人はしばらく黙ったまま、目を細めて男を見つめ、ふと沸いた疑問を口にする。
「おまえが生き返らせたい彼女は、おまえにとって、いったい何者なのだ?」
地下室の空気が一瞬、張り詰める。
男は唇を噛み、目を伏せる。
次の瞬間、彼の隠し持っていたナイフが光を反射する。
突き、突き、突き――
刃が老人の腹を何度も貫いた。
老人は驚きも痛みも見せず、脳以外の動きは静かに止まる。
……火葬されていない遺体。
他人を使ってでも生き返らせようとする執念 。
だが魂を優先していて、過去の彼女にはあまり興味がない……
刃が止まり、地下室に静寂が戻る。
男は息を整え、床に転がる老人を振り返る。
そして、静かに口を開いた。
「彼女は……俺のものだ。監禁し、俺好みに調教していた」
言葉が地下室に吸い込まれる。
「だが、ある日、あいつは自ら命を絶った――だから、生き返らせようとしただけだ」
地下室に、刃の跡と静寂だけが残る。
魔導書も、魔法陣も、善意も、すべてが意味を失ったかのように、冷たい空気の中で静かに沈んでいった。
ゆっくりと背を向け、男はナイフを拭うこともなく、外へと向かった。
外の空気に触れると、冷たい風が顔を撫でる。男は遠くの山影を見やり、目を細めた。
「ならば、次の”彼女”を見つけるまでだ……」
彼女を生き返らせることはかなわなかった。だが、男の欲望は止まらない。
どこかで、理想の“彼女”を見つけ出すために――
――ちなみに、老人は蘇生して生き返りました。
蘇生魔法とサイコ野郎 @MagaiKagari
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