第5話

目が覚めたとき、私は小さな診療所のベッドにいた。

それ以前の記憶はなかった。


ぼんやりと天井を見上げていると、看護師と目が合った。

彼女はひどく驚いたように口元を押さえた。


「どれくらい眠っていたのですか」と尋ねた。

返ってきた言葉は、「かなり長い間よ」

それ以上は教えてもらえなかった。


◻︎◻︎◻︎


診断の結果、私はがんに近い症状があったらしい。

最初は死ぬと思われていたが、数日後に奇跡的に回復した。

医師は首を傾げていたが、治癒が進むにつれ「運が良かった」とだけ言った。


長い間眠っていた私は、行く場所も家もなく、親戚もいないということだった。

先生は、「しばらくここにいてもいい」と言ってくれた。

それから私は診療所で手伝いをしながら暮らすようになった。


医療の知識は、なぜかあった。

器具の扱い方も、注射の角度も、身体が覚えていた。

次第に採血や予防接種なども任されるようになった。


それからしばらくして、自分がかなり特殊な体質であることに気づいた。

小さな切り傷も、火傷も、翌日には治ってしまう。血の止まりも異様に早かった。


それを見た先生や看護師たちは、

「医療で説明できないこともあるんだよ」と言ってくれた。

その言葉の響きはやさしかったけれど、どこかに微かな恐れが混じっていた。


◻︎◻︎◻︎


自分の体質を知るほどに、なぜか体調は悪くなっていった。

知れば知るほど、悪化しているように感じた。

息切れ、発熱、吐き気。原因はわからなかった。


先生や看護師は「また休んでもいい」と言ってくれた。

けれど本能が「解明しなければならない」と言っていた。

それは焦りではなく、強迫のような感覚だった。


◻︎◻︎◻︎


あのときから、私は研究者になることを決めた。

この体の仕組みを知りたいと思った。

そしてもし可能ならば、この体を治したいと思った。


私はがんの治療法を中心に学び、研究を始めた。

細胞の異常増殖を止める技術は、もしかすると私自身を理解する鍵になる気がしていたから。


やがて研究者になり、研究は順調だった。

けれど、自分の体質に関してはあまり答えが得られなかった。

理由のわからない再生能力。

どんな検査をしても異常は見つからず、むしろ解析が不可能な箇所ばかりだった。


◻︎◻︎◻︎


ある日、資料検索のシステムで「自分の名前」を入力した。


「蝦草ヤエコ」


そのとき、心あたりのない資料がヒットした。


「第三野戦病院 診療記録」


開こうとしたが、アクセス権限が足りないと表示された。

研究機関の権限を使っても、閲覧は拒否された。

開けるのに一日かかった。


何を試してもダメだったが、指紋照合を行うと、なぜか一発でロックが解除された。

理由はわからなかった。ただ、背中に冷たいものが走った。


その日は、開かずに帰ることにした。


◻︎◻︎◻︎


翌日、同僚の佐々木くんが妙に落ち着かない様子だった。

いつもは真面目な彼が、作業中に独り言を繰り返していた。

後でわかったが、彼は私の個人フォルダを覗いていたらしい。


彼を真面目だと思っていた分悲しかったが、今はそれどころではなかった。

彼は何かに怯えるように言葉を繰り返していた。


……意味がわからなかった。

あの資料の何を見て、彼はああなってしまったのだろうか。


数日後、佐々木くんが亡くなった。

最近はまともに作業もできていなくて、医務室に通っていた。

死因は自傷による失血。事故として処理された。


◻︎◻︎◻︎


あの資料は削除された。

事前にコピーを取っていて本当に良かった。


夜、自宅でファイルを開く。

そこには戦時中の診療記録が残されていた。

焼けた紙をそのままスキャンしたような画像。ぼやけた文字。


被験者E、衛生兵の女性。

外傷部位、自己再生。

肋骨陥没部位、48時間で復元。


そしてそこには名前が書かれていた。


「蝦草ヤエコ」


頭が痛くなった。

息ができないほどの吐き気がして、洗面所に駆け込んだ。

胃液を吐き、鏡に顔を上げる。見たことのない人間が映っていた。


自分の顔なのに、他人にしか見えなかった。

瞳の奥で、光がちらついていた。


◻︎◻︎◻︎


その夜から断片的な記憶が蘇り始めた。

血の匂い、爆音、燃える空。

そして誰かの声。


「後悔するなよ」


誰の声かは思い出せなかった。

けれど、私は確かに誰かと約束をした。

それが何だったのか思い出せない。


◻︎◻︎◻︎


その日から、資料を集めるようになった。

不老不死に関する記録や延命実験、E-Extractについて。

それらを読み進めるうちに、すべてが自分に繋がっていると気づいた。


山で見つかった動物の話。

不死の遺伝子を植物に組み込んだ実験。

若返りのサプリメントによる事件。


どれも、私の血が関わっていた。


私から始まったのだ。


もし私の血を正しく使えば、多くの人を救うことができるかもしれない。


けれど同時に、触れた人は死ぬかもしれない。

祝福と呪いは紙一重だった。


私はこれから死ねるのだろうか。

それとも、永遠に死ねないのだろうか。

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