不死の観測者

かねこまさよし

第1話

― 地方紙『南信日日報』 昭和四十六年六月二日付 ―


「山の怪我した鹿、老夫婦が手当て」

南信地方の山中で農家の老夫婦(八十代)が傷ついた鹿を保護し、回復するまで自宅で世話を続けていたことが分かった。

鹿は足が折れた状態で発見され、体の一部が焼け焦げたような状態だったが、数日で歩けるまでに回復。

夫婦は「まるで人間みたいにこちらの言葉を理解していた」「見つめられると心が温かくなった」と話していたという。


鹿は回復後、夜明け前に姿を消した。

老夫婦は「また山へ帰ったのだろう」と笑っていた。


一週間後に二人とも自宅で倒れているのを近所の者が発見した。死因は老衰。

近隣の人々は「最近まで二人とも元気で、若々しかった」と口を揃える。






― 大学研究機関報告書(非公開) ―

件名:南信山系における未知動物体液の生理作用について

日付:昭和四十六年六月十八日

記録者:██医科大学・動物病理学研究室


経緯:

地元警察より,老夫婦宅に残された血液反応試料の解析を依頼される.

現場の痕跡から鹿と思われる生体が寝具上に滞在していた可能性.

血液サンプルを採取・分析.


観察結果:

サンプル中に既知動物のDNA配列が検出されず.

未知のタンパク構造を含む.生理食塩水との反応で強い発光.

分析中,担当助手がめまい・悪寒・発語障害を訴え検査を中断.


仮説:

未知の物質(仮称:延命性因子)が生体組織に影響し,代謝を一時的に活性化させる可能性.

これが老夫婦の急激な健康回復に関与したと考えられる.


補記(主任研究員 記)

「この物質には『死を抑制する作用』が見られるが長期的影響は不明。

 老衰という診断は間違いで、むしろ寿命を終えさせられたように見える」






― 研究員の手記(後日発見) ―


6月19日 午後1時

サンプルが消えた.

保管庫の封印が自然に解けていた.

代わりに試験机の上に鹿の足跡が残っていた.


午後2時

助手の様子がおかしくなった.

自分の首筋を掻き毟りながら「生きてる、生きてる」と叫んでいた.

皮膚の下を何かが這っていた.


午後3時

もう一人の研究員が心停止.

解剖結果:臓器が異常に膨張し,表面に未知の紋様.


午後4時

自分の手の甲に黒い斑点.思考が霧のように薄れていく.


(ここで記述が乱れる)


血が喋っている.不死の肉






― 機密追記:政府研究所/昭和四十六年七月 ―

本件に関わった研究者七名のうち,生存者ゼロ.

老夫婦の遺体は異常なし.

動物体液サンプルの入手経路を調査した結果,戦中の「第三野戦病院」記録に類似項目を確認.

該当物質の発現原点は不明.被験者Eの血液構造と一致率68.4%.


なお,被験者Eは1945年「内地送還」後の所在不明.


結論:

本件は戦時研究の延長線上にある可能性.

物質の拡散は限定的.

文書は封印,関係者名はすべて抹消.

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