22話 隣にいるよ/珠薊瑠璃

「素晴らしいステージでした。それでは次からは課題曲Bの、『うみのけもの』の審査に映ります。選択した皆様は、すぐにパフォーマンスが出来るようステージ袖へと移動し、準備を行って下さい」


 審査員の講評の後、私は座席から腰を浮かせた。


「ほら行こ、小鈴」


 しかし、声をかけても小鈴は俯いたままじっとしていた。


「小鈴? 大丈夫?」


 肩を叩くと、びくりとしてようやく顔を上げる。


「あ、あはは、もちろんです! さあ、気合入れていきましょう!」

「……うん」


 座席間の通路を下りていく小鈴の手を、後を追いながら見る。


 震えていた。


 薄々思っていたことだけど、小鈴はどうにも自分の弱みというか、心を隠してしまいがちな所があるらしい。以前、深淵が小鈴の〝強がる才能〟について話していたことを思い出す。


 優しくて、思いやりがあって、人の為ならどれだけでも努力が出来る。

 でも、そこに危うさがある。


 深淵に少し聞いた話だけど、小鈴は小学生の頃に両親を通り魔に殺されたらしい。それも、怯えて動けなくなってしまった小鈴を庇って二人とも殺されたそうだ。


 それ以来、小鈴は異常なほどに〝自分の気持ちを押し殺す〟ことが増えたらしい。


 喜怒哀楽の全てを胸の内へと沈み込ませ、何があってもにこにこ笑って、平気みたいに振る舞う。その様がむしろ心配で、深淵は一時期、アイドルをしていたのに頻繁に小鈴の様子を見に来ていた程らしい。


 でも、小鈴は普通の女の子なんだ。


 身体能力で言えばむしろ低く、どんくさいところまである。だから日常生活をするだけならともかく、アイドルなんてし始めたら、ぼろが出る。


 あの文化祭のステージで、結局終盤でメッキが剥がれていった様に。


 だからこの二次審査という状況で、上手い受験者をたくさん見て、不安になっているところがあるのかもしれない。


 実際、ステージ脇を通って袖に向かう途中、壇上から降りてきた鬼灯千尋と猫柳琴音とすれ違った時。

 鬼灯千尋からは闘志に溢れた真っ直ぐな眼差しを、猫柳琴音からは勝ち誇ったような威圧的な笑みを向けられ、小鈴はひゅっと音を鳴らして息を吸った。


 そんな彼女を見ていて、思う。

 あの二人は確かに上手かったけど……〝あの程度でそこまでびびることないのに〟。


 二人してステージ袖に入り、他の組がそれぞれ集まってストレッチをしたり、パフォーマンスの最終確認をしている中、指先を震えさせている小鈴に呼びかける。


「ねえ、小鈴。緊張してる?」


 すると、またびくりと震えた後、にこっと可愛らしい笑みを向けてきた。


「いえ、これは武者震いですよ! でもあのお二人は流石でしたね! わたし達も負けていられません!」


 でも、そんな可愛らしい笑みの端に、ぴしりと亀裂が走る。


「だって、わ、わたし達が勝たないと、珠薊さん、向こうに行っちゃいますからね! もしそんなことになったら、菖蒲ちゃんにも迷惑かけちゃいますし!」


 ……ああ、そういうことか。

 そんな余計なことまで考えていたから、こんなにいっぱいいっぱいになってるんだ。


 ステージでは、『うみのけもの』を選択したユニットの一組目のパフォーマンスが始まる。

 会場全体に深蒼のライティングが行われ、海の中にでもいるような、大きな波のうねりのような壮大な演奏がびりびりと大気を震わせる。


「小鈴はさ、何の為に踊るの?」


 不思議と心が凪いでいた。心臓が静かに脈打ち、血がゆっくりと体の中を巡る様が感覚的に理解できる。


 肉体そのものが大きな海原にでもなったみたいだ。

 筋肉も、骨も、内臓も、細胞も、全てが独立して躍動する生命であり、力強く生きているのに、潮騒だけが海の上で凪いでいる。

 まるで、嵐の前の静けさ。


「何の為に……ですか?」

「うん、教えて」

「それは……たくさんの、ものの為です。菖蒲ちゃんと一緒にアイドルをしたり、あのお二人に勝つ為だったり。今後菖蒲ちゃんと組むなら、わたしが足を引っ張るわけにもいきませんし、ここで落ちたら、ユニットも組めませんし。珠薊さんも、盗られたくないし。わたしには負けられない理由が……」

「……誰かの為にそこまで本気になれるなんて、やっぱり小鈴は素敵なアイドルだね。でもさ、そんなに見るところが沢山あったら、目が回っちゃうよ」


 ぽつぽつとした彼女の言葉を遮り、俯いてしまったその顎を摘まんで、顔を上げさせる。


「だからさ、小鈴は私の為だけに踊ってよ。あの文化祭のステージみたいに」

「珠薊さんの為だけに、ですか?」

「うん。他の事なんてどうでもいい。怖いものなんて見なくていい。私だけを見ていて」


 するすると言葉が出て来る。

 私が好きな小鈴蘭丸というアイドルは、普通の女の子で、なんの運命の女神にも微笑まれていないのに、それでも人のために一人で戦ってしまえる強いアイドルだ。無謀で向いていなくても、命を燃やして輝ける女の子だ。


 だからそんな彼女が、ちっぽけな身体を燃やして大きな運命に逆らうと言うなら、私は隣に立っていたい。すぐそばで勇姿を見届け、その肉体を燃やす熱の温度を感じたい。


「私はずっと、小鈴の隣にいるから」


 すると小鈴の強がりばかりだった目に、きらりと潤みを帯びた温もりが浮いてきた。

 私を通して遠い所にある何かを見つめている。


「……いなく、ならない?」

「うん。いなくならないよ」


 言葉を交わす。感情を触り合う。手を握り合うと、柔らかくて繊細な小鈴の体温と私の体温が境目で溶けあう。このまま一つになってしまいそうなくらい、心が、共鳴する。


 小鈴の指先の震えも収まって来た。ゆっくりと話しているうちに、ステージで踊る組が入れ替わる。私達の出番ももうすぐ。


「……わたし、大丈夫かな」


 ぽつりと零れた弱音を、優しく受け止める。


「大丈夫だよ。言ったでしょ、小鈴は素敵なアイドルだから」


 小鈴が私を見上げ続けてくれる。私を頼ってくれる。

 私に、期待を預けてくれる。

 それが何よりも誇らしく、嬉しい。


「確かに小鈴よりも、多少アイドルに向いてる奴とか、それなりにアイドルに向いてる奴は沢山いるかもしれない。でも、向いてるだけで全部が出来れば誰も苦労はしないよ。この世界には色んな壁があって、障害があって、問題があるから。だから、当たり前にできることなんてないんだ。誰しも必ず挑戦しなければいけなくて……そして小鈴には、その勇気があるんだ」


 自分の言葉も、呼吸の音もよく聞こえた。全身の感受性を司るアンテナが一つ一つ、雨上がりの花のように開花していく。

 不思議と、誰にも負ける気がしない。


「だから、大丈夫。もしそんな小鈴をさ、悪戯に、横から虐めようとする運命があるなら、その時は隣にいる私に任せてよ。大体、それなりに才能がある程度の奴らがなんだっていうの?」


 きらきらと、自分の身体が眩い情熱で燃えていく。


「そんなの全部、天才わたしの敵じゃないから」


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