『もったいない』で始める異世界再建計画

月読二兎

第一章 黎明のアストリア

第1話 詰んでる国家にようこそ

 意識が急速に浮上する。

 まるで深い水の底から無理やり引き揚げられるような、不快な浮遊感。瞼の裏で火花が散り、次に目を開けた時、俺――相馬 拓也そうま たくやは、見知らぬ場所に立っていた。


「……は?」


 そこは薄暗い石造りの広間だった。天井は高く、壁にはいくつかの松明が掲げられている。床には複雑な魔法陣のようなものが淡い光を放っていたが、それも徐々に消えていく。

 そして、俺の目の前には信じられない光景が広がっていた。

 豪華な衣装をまとった、いかにも「王様」といった風情の中年男性。その隣には大臣たちが並び、そして、王様の少し後ろには、十代半ばほどの少年と少女が不安げな顔でこちらを見ている。全員が俺に向かって深々と頭を下げていた。いや、土下座に近い。


「おお……!成功したのか……!」

「救世主様が、我らの祈りに応えてくださった……!」


 ざわめきが広がる中、王様と思しき人物がゆっくりと顔を上げた。整えられた髭に、苦労を刻んだ深い皺。その瞳には、安堵と、それ以上に強い罪悪感の色が浮かんでいた。


「申し訳ございません、救世主様!」


 第一声が、謝罪だった。

 王様は再び深く頭を下げ、それに倣うように周囲の重臣たちも一斉に頭を地面にこすりつける。


「な、なんですか、これ……。ドッキリか何か?」


 俺の呟きは、誰の耳にも届かなかったらしい。王様は顔を上げると、切々とした声で語り始めた。


「アストリア王国の国王、アルフォンスと申します。この度の無礼、万死に値するとは存じております。我々は、古文書に記された禁術『救世主召喚』を行使し、あなた様をこの世界へとお呼び立ていたしました」


 異世界召喚。

 アニメやラノベでさんざん見てきた、あの単語。まさか自分の身に起きるとは。普通ならここでテンションが上がるところだろう。だが、目の前の男たちのあまりに悲痛な表情が、そんな浮かれた気分を許してはくれなかった。


「文献に残されてはおりましたが、成功する確証は何もない、いわばダメ元での儀式でした。それが、こうして成功してしまった……。あなた様のご都合も考えず、一方的に召喚してしまったこと、重ねてお詫び申し上げます」


 アルフォンス王の言葉は続く。

 この「救世主召喚」は、教会や周辺国家が厳しく禁じている大罪であること。もし知られれば、それを口実に国が滅ぼされること。そして何より、呼び出す方法は記されていても、元の世界へ帰す方法はどこにも書かれていなかったこと。


「我々の勝手な都合で、あなた様の人生を奪ってしまった。本当に、申し訳ない……」


 三度目の謝罪。その声は震えていた。

 正直、頭の中はぐちゃぐちゃだ。怒りも湧く。ふざけるな、と叫びたい。助けてほしいのは俺のほうだ、と。

 だが、できなかった。

 目の前の王も、大臣たちも、誰一人として悪人の顔をしていなかったからだ。彼らの瞳にあるのは、国民を憂う苦悩と、俺に対する純粋な罪悪感だけ。これがもし、ふんぞり返った横柄な王侯貴族だったら、どんなによかっただろう。従うフリをして、隙を見て逃げ出すという選択肢も取れたかもしれないのに。

 こんな真摯に謝られてしまっては、怒りのぶつけようがない。


「どうか……どうか、我々に知恵をお貸しいただけないでしょうか。この国を、民を救うために、あなた様のお力が必要なのです」


 懇願する王の目には、涙さえ浮かんでいた。

 俺は、こわばった顔で、小さく頷くことしかできなかった。ちらりと視線を向けると、王の後ろにいた少年――おそらくは王子だろう――は、俺を値踏みするような、冷めた目でじっと見つめていた。その隣の少女――王女だろうか――は、ただただ怯えたように唇を噛んでいる。この国の絶望は、子供たちの表情にまで色濃く刻まれているようだった。


 ◆


 アストリア王国の城での生活が始まって、三日が過ぎた。

 俺は「救世主」というにはあまりに物々しいので、「アドバイザー」という肩書をもらい、生活の保障をしてもらう代わりに、この国の問題解決に協力することになった。召喚に対する賠償の話も出たが、「そんな余裕はなさそうだ」と直感し、保留にしてもらっている。


 最初の三日間は、この世界の常識を叩き込むための集中講義だった。

 講師役の若い文官は、分厚い本を片手に丁寧に教えてくれた。その講義には、ソフィアと名乗った王女殿下も同席した。彼女は「異世界のお話、わたくしにも聞かせてくださいませ!」と目を輝かせており、時折、俺のいた世界の学校や食べ物について無邪気な質問を投げかけてきては、文官に窘められていた。彼女の存在は、重苦しい勉強の日々における、唯一の癒やしだった。


 午後は騎士団長による護身術の訓練。筋骨隆々の団長は「救世主様といえど、自分の身は自分で守れなければ話にならん!」と木剣を握らせてくれたが、運動不足の現代人である俺に扱えるはずもなく、開始五分で筋肉痛になった。

 そして、宮廷魔術師の老人からは、魔道具についての説明を受けた。

 この世界には、電気やガスの代わりに魔道具がある。灯りをともすランプ、水を温めるポットなど、便利なものが揃っている。ただし、燃料となる「魔石」が非常に高価で、王城ですら使用は最低限に制限されているらしかった。


 数日暮らして、俺はこの世界の現実を肌で感じ始めていた。

 何よりもつらいのが、衛生観念の低さだ。21世紀の日本でウォシュレットと毎日のシャワーに慣れきった身には、拷問に近い。

 そして、食事がつらい。朝昼晩、ほぼ毎回食卓に並ぶのは、芋と豆を煮込んだだけの薄い塩味のスープ。たまに一切れの固いパンや、指先ほどのベーコンが付けば、それはもうご馳走扱いだ。


「元の世界に帰りたい……」


 豪華とは言い難い客室のベッドに倒れ込み、俺は何度目かのため息をついた。

 異世界召喚といえば、チート能力だ。俺にも何かあるはずだ。そう信じて、部屋で一人、様々なポーズを試してみた。


「ステータスオープン!」


 しーん。


「アイテムボックス!」


 しーん。


 どうやら、ゲームのような都合のいい能力は、俺には与えられなかったらしい。魔法の才能もないようだった。

 俺は、この国の置かれた状況をより深く知ることになった。四方を険しい山脈に囲まれた小国。平地が少なく、農作には向かない。かつての鉱山も掘り尽くされて久しい。

 弱さしか見せないことで、大国からの侵略をかろうじて免れてきた。それがこの国の歪な外交戦略だった。

 そして今、隣国ガルニア帝国の大飢饉により、そのか細い命綱も切れかかっていた。


「……詰んでる」


 俺の口から、率直すぎる感想が漏れた。

 国王たちが、藁にもすがる思いで禁術に手を出した理由が、痛いほどわかった。

 それでも、何かできることはないか。俺は乏しい知識を総動員して、いくつか提案をしてみたが、どれも前提知識の共有から必要で、話が全く進まない。平凡なサラリーマンだった俺に、専門的な説明などできるはずもなかった。

 知識チートなんて夢物語だ。俺は早々に前世の知識を活かすことを諦め、まずはこの世界の常識に自分を合わせることにした。

 チート能力も特別な知識もない、ただの平凡な日本人が、この「詰んでる」国家で何ができるのか。

 俺の本当の異世界生活は、この絶望的な問いかけから始まったのだった。

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