土
ヤマ
土
朝の光が山を越えて、庭の畑に差し込む。
土は夜露を含み、まだ柔らかい。指を差し入れると、ひんやりとして気持ちが良い。
ナス、トマト、ネギ、ジャガイモ――どれも順調に育っている。
隣の囲いでは鶏が、のんびりと餌を
「おはよう」
声を掛けると、彼らはこっちを振り向く。人の言葉が分かるわけではないのに、不思議と通じ合っている気がする。
この暮らしに、不満はない。
日が昇れば畑に出て、日が沈めば火を落とす。
仕事を辞め、移り住んだこの田舎での生活は、自分の肌に合っていたらしい。都会の喧騒とは無縁のこの庭の中には、必要なものがすべてある。
最近、町では物騒な事件が相次いでいるらしい。テレビを見ないから詳しくは知らないが、もっとも近場の商店で、店員と客がそう話していた。
「あんたも、夜道には気を付けなよ」
心配そうに、顔馴染みの郵便配達員が言った。
私は、苦笑で返した。
そもそも夜、道に出る理由がないからだ。すぐ裏は森だし、近くに遅くまでやっている店もない。夜になれば、誰も来ない。
それでも、わざわざ忠告してくれるのは、ありがたい、と思った。
この土地は、人の温もりに満ちている。
その日も、畑の草を抜きながら、いつも通りの穏やかな一日を過ごす――そう、思っていた。
昼頃、遠くから、車の音が聞こえた。
珍しい。ここまでやってくるのは、郵便か、役所の人か、物好きくらいだ。
門の前に停まったのは、見慣れない車だった。
降りてきた男は、きっちりとスーツを身に着けているが、額に汗を滲ませていた。
「こんにちは。ちょっとお尋ねしたいのですが」
男は、にこやかにそう言って、警察手帳らしきものを見せた。
「……警察の方が、何か?」
「お忙しいところ、すみませんね。この辺りで、何か変わったことはありませんでしたか?」
「……変わったこと、ですか」
「ええ。怪しい人や、見慣れない人を見たとか」
私は、「あなたくらいですかね」というセリフを飲み込み、首に掛けたタオルで汗を拭きながら、笑って答えた。
「さぁ……、この辺りは静かなものですよ。滅多に人も来ませんし」
「そうですか。……お一人でお住まいなんですか?」
「家畜たちもいますよ。あとは、畑と庭の世話だけですが」
そのとき、鶏が鳴いた。
訪問者は、少しだけ庭を見渡す。
「見事な畑ですね」
「ありがとうございます。土が良いんですよ。何を植えても、よく育ちます」
その男は、しばらく立ち話をした後、礼を言って帰っていった。
車の音が遠ざかると、また静寂が戻ってきた。
私は庭に戻り、スコップを手に取った。
ナスの根元に、少しだけ新しい土を被せる。その土の下には、昨日の夜に埋めた肥料がある。ただの堆肥では出せない、深い甘みが野菜に宿るはずだ。
豚小屋に目を
今日の餌を用意してやらねばならない。
彼らは、よく食べるから、乾いた飼料と一緒に刻んだ肉を少し加えてやろう。
夕暮れ時、風が吹いた。
葉がさざめき、家畜たちが鳴き、土の中で、何かが小さく動く。
私は、静かに目を閉じた。
何もかも、時間を掛けて、土に還る――
この音こそが、生活の証だ。
今日の男は、また来るだろうか。
本当に警察かはわからないが、もし来たら今度は、腕に
あの人も、きっと良い「土」になる。
土 ヤマ @ymhr0926
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