第五話 初めての裏切り

 その週の金曜日の夜、私達は最初の約束を違えて原宿駅で待ち合わせることになった。 髙橋さんの知人が原宿の小さな画廊を借りてグループ展をやっており『観に来い』と葉書を送って来ていたからだった。


「ゴメンね〜、付き合わせちゃって」

「いいえ、そんな」

「でも、安心して、彫刻じゃなくて『絵』の展覧会だから」

「きっと面白いから気に入ると思うよ」

「そう? 楽しみね」


 仲睦まじく話しながら駅から歩いていると、やがて、それらしき建物が視界にはいって来た。


「あれだよ」


 そこには、コンクリート造りのいかにも若い人の活動するための、ごちゃごちゃした内装が見え隠れする雑居ビルみたいな、四角い二階建ての建物があった。 案内された部屋は思ったよりも狭く、展示室と言うよりは雑貨屋さんみたいな感じで、そこにはいかにも売れればナンボみたいな商品の様な小さい飾りみたいな『絵』がひしめき合っていた。 私は正直な感想を言うと、そういった作品は好きではないのだが、


「素敵な作品ですね」


と、社交辞令を述べた。


 「いらっしゃいませ」


と突然女性の声がした。 ビックリして辺りを見渡すと、ひしめき合う作品に埋もれる様に、40代はじめくらいのショートヘアの女性が椅子に座って私と髙橋さんを見上げていた。 すると髙橋さんは何か思い出したようにその女性に近づき、


「以前、この会場で絵を一緒に展示した者です」

「覚えていらっしゃいますか?」


 すると、その女性は無表情で、


「知りません」







 結局、髙橋さんは知人に会うことはできなかった。 タイミングが悪く、当番の時間が終わったから帰った、という事だった……。


「あ〜あ、残念だったな」

「今日来るっていうから会えると思ってたのに」


 原宿駅へと歩きながら私は尋ねてみた。


「さっきの女の人は?」

「あゝ、あの人はね」

「昔の絵描き仲間さ、もう十年以上前からの付き合いだったんだけど、しばらく会わなかったから忘れちゃったのかなぁ??」

「そうなんだ~」


 私はそれ以上追求しなかった。 追求しなくても髙橋さんが彼女の隙をついて機会をうかがっていたのが十分分かったからだ。 原宿駅に着いた私達は再び電車に乗り、今度こそ予定通りに『渋谷駅』に着いた。

 私達は、何かつまみたいねという事で、餃子専門店に入り、それぞれロックを3杯ずつ呑みながら餃子を肴におしゃべりに興じた。


「ところで、髙橋さん、今日出てくる時、奥さんは大丈夫だった?」


 髙橋さんはロックを口に流し込むと、


「俺の知っているバンドのライブパーティーがあるから仕事の後に寄ってくるって嘘付いた」


と言ってカラカラと笑った。


「遠藤さんは?」

「私は一人暮らしだから……」

「あゝ、そうだった」

「じゃあ出かける時は結構自由だね?」

「……え?」

「うん」


 髙橋さんは両肘をついて手を組み、そこへ自分の顎を乗せた。


「遠藤さん、どうしてボクが遠藤さんに手を出そうとしたか解る?」

「え?」


 私のグラスを持つ手の動きが止まった。 そのまま髙橋さんの眼を凝視する。


「ボク、遠藤さんみたいな身体好きなんだ」

「そ、そうなんだ?」

「それに、遠藤さんはボクのカミさんの若い頃にとても良く似ている」

「そっくりなんだよ!」

「……」


 考えてみたこともなかった。 このおじさんはただの変態だと思い込んでいた。 相手は必ずしも誰でも良いわけではないのか。


「だけれども、ボクのカミさんは年齢などのいろいろな事情もあって相手をしてくれない」

「それに、俺の『駄目息子』も一枚噛んでいる」


 私は怪訝な顔をして、


「なんで?」


と聞いてみた。私は当時、彼の息子が病気なのを知らなかった。


「……俺の息子は発達障害だ」

「つまりその……障害者だ」


私はその場に固まった。 よくは分からないが彼の息子は何かの難病らしい。 私は彼に、


「その病気は、治らないの?」

「いや、一生の付き合いなんでね」

「治らないさ」

「お陰で、その障害のせいで近隣住民の方たちや、学校でいつも、対人トラブルさ」

「こっちとしては肩身が狭いよ」

「目立たない様にひっそりと過ごさなくてはならないんだ」


 髙橋さんは身を退けて脚を組み、その組んだ脚の膝の上に両手を組んだ。


「おまけに今のカミさんは昔とは違って、息子に掛かりきりで『鬼嫁』だ」


 そして、少し身を乗り出して、


「君なら違うだろうと思うけれども……」

「どうかなぁ?……ボクのこと好き??」


 私は薄笑いを浮かべて唇に手を当てると、ふふっと笑い、


「……好きです」


 彼はニヤリと笑うと、


「本当?」

「……ほんとにほんとに本当??」


 今度は私が身を乗り出し、やはり薄気味悪く笑うと、


「試してみる??」






 食事の後、私達は渋谷駅近辺のラブホテルにチェックインした。 そして地下の部屋に案内され髙橋さんがドアーを施錠すると私の前まで歩み寄り、肩を抱き、そっと唇を重ねる。唇を離すと、今度は、ボソリ……


「こんなオジサンで、ゴメンね……」

「遠藤さん、カワイイよ……」




 






 私達はその後少し休憩してからシャワーを浴びた……。

 夜も更けて終電の時間が近づいてくると、そろそろ身支度を整えて二人でラブホテルを出た。玄関扉を出るとガラの悪い二人の若者たちに冷やかされたが、髙橋さんが彼らを睨みつけると足早に去っていった。 渋谷駅に着いて、別れ際に彼が語った事は、


「結婚して以来、カミさん以外の女のコとデートしたのは初めてだ」

「今日は楽しかった」

「ありがとうね?」

「こちらこそ、ありがと♡」


 私達はもう一度、口づけを交わす。


「じゃ、また……」

「えぇ」


 私達はそれぞれの電車に乗り、闇世の中に消えて行った……。










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