第十五話(最終話):一万時間の果てに
意識が浮上する。 最初に感じたのは、嗅ぎ慣れない高級な薬草の匂いと、陽の光の暖かさだった。
「(……俺は、生きてる?)」
重い瞼をこじ開けると、そこは地下聖域の冷たい石畳ではなく、天蓋付きの豪華すぎるベッドの上だった。脇腹の、ヴァルデマールに吹き飛ばされた時の激痛も、アクア・ガーディアンに殴られた傷も、奇妙なほどに和らいでいる。
「(ルーク兄さんの、ハイポーションか……)」
俺はゆっくりと上体を起こす。 ここは王宮の一室か、あるいはアークライト家の別邸で最も良い部屋だろう。俺が転生した時の、あの陰気な「落ちこぼれの三男坊」の部屋とは比べ物にならない。
「(そうだ、ルナリアは!?)」
俺はベッドから転がり落ちそうになりながら、慌てて周囲を見渡した。 彼女はいない。
「ルナリア! ルナリアはどこだ!」
俺が叫ぶと同時に、部屋の扉が静かに開いた。 立っていたのは、いつもの銀鎧ではなく、上質な貴族の正装に身を包んだ、兄ルークだった。その顔には、いつもの傲慢さのかけらもなく、深い安堵と、弟を見る優しい疲労が浮かんでいた。
「目が覚めたか、カイト」
「兄さん! ルナリアは!? 彼女は『生命分与』を……!」
「落ち着け」 ルークは俺を制し、ベッドサイドの椅子に静かに腰掛けた。
「貴様が眠ってから、丸三日が経過した。……ルナリア嬢は、無事だ」
「無事、とはどういう意味だ! あの魔法は生命を削るんだぞ!」
「ああ。だが、貴様が意識を失う直前、俺が割ったポーションは、ただの回復薬ではない。アークライト家に伝わる、生命力そのものを活性化させる『始祖の霊薬』だ。あの場にいた騎士団の治癒魔術師たちが、霊薬の力を使い、ルナリア嬢から貴様に流れすぎた生命力を、彼女の体に戻すことに成功した」
ルークは、まるで遠い日のことを語るように続けた。 「彼女は、今も隣の部屋で眠っている。魔力は完全に枯渇しているが、命に別状はない。王宮筆頭の魔術師が、『これほどの奇跡は見たことがない』と驚嘆していた」
俺は、全身から力が抜けるのを感じた。 よかった。俺の『推し』は、無事だ。 俺のRTAは、最悪のバッドエンドを回避した。
「……そうか。なら、いい」
俺は安堵のため息をつき、ルークに視線を移した。 「それで、王都はどうなった? 騎士団長の裏切りは……」
ルークは、誇らしげに、そして少し照れくさそうに笑った。 「すべて、貴様の『知識』通りだ」
ルークが語った三日間の出来事は、俺の知る原作シナリオとは全く異なる、新しい「世界」の始まりだった。
ルナリアの『真実の投影』により、ヴァルデマールの裏切りは王都全域に知れ渡った。王宮は震撼し、国王陛下は即座にディートハルトを臨時騎士団長代理に任命。ヴァルデマール派の私兵、魔術師ギルドの残党、そして騎士団内部の裏切り者たちは、市民の協力(密告)もあり、わずか半日で全て拘束された。
王都を包囲していたはずの騎士団長の私兵は、自ら武器を捨て投降した。 王都の機能は、ディートハルトと「影の商会」クロウの(奇妙な)連携により、即座に回復した。
そして、アークライト家。 辺境伯家は、騎士団長の裏切りをいち早く察知し、身を挺して聖女ルナリアを守り、王都を救った「救国の英雄」として、王家から最大級の賛辞を受けた。
「父上も、最初は信じられなかったようだ」ルークは言った。「自分の『落ちこぼれの三男坊』が、国を救う賢者だったとはな。……カイト。俺は、貴様に謝らねばならない」
ルークは立ち上がり、俺のベッドの横で、深く頭を下げた。 「俺は貴様を、家の恥だと罵った。だが、真の恥は、才能に驕り、真実を見ていなかった俺の方だ。……ありがとう、カイト。お前は、アークライト家を、そして俺の誇りを救ってくれた」
「兄さん……顔を上げてくれ」 俺は、こんな殊勝な兄の姿を、ゲームでは一度も見たことがなかった。
「もう『兄さん』と呼ぶな」ルークは顔を上げ、悪戯っぽく笑った。「俺は、アークライト家の当主として、辺境の守りに戻る。……だが、王都には『英雄』が必要だ。国王陛下は、貴様に新たな爵位と、騎士団の『特別軍師』の地位を用意して待っておられるぞ」
「軍師、だと? 俺が?」
「ああ。貴様のその、未来を見通す『知識』は、魔族との今後の戦いで必要不可欠だ。……もっとも、貴様が望むなら、の話だが」
俺は、首を横に振った。 爵位も、軍師の地位も、どうでもいい。 俺の目的は、最初から一つだけだ。
「俺は、彼女のそばにいる。それだけでいい」
ルークの肩を借り、俺は隣の部屋へと向かった。 扉を開けると、そこには、白い寝間着姿で、静かに眠るルナリアの姿があった。
彼女の銀色の髪は、聖魔力を使い果たした影響か、以前より少しだけ輝きを失っているように見えた。だが、その寝顔は、俺が初めてこの世界で見た時のような、絶望や孤独に怯えるものではなく、ただ安らかで、穏やかだった。
俺はルークに礼を言い、部屋から出てもらった。 二人きり。
俺は彼女のベッドサイドに座り、その手をそっと握った。 温かい。生きている。
「(長かった……本当に、長かった)」
一万時間。 クソゲーだと罵りながら、それでもコントローラーを離さなかった日々。 バッドエンドを見るたびに絶望し、それでも彼女を救う道を探し続けた、あの孤独な時間。
「(あの時間は、無駄じゃなかった)」
俺が彼女の手を握り返すと、ルナリアの瞼が、ゆっくりと開いた。 彼女の青い瞳が、俺の姿を捉える。
「……カイト、さん?」
そのか細い声に、俺の心臓が締め付けられる。
「ああ。おはよう、ルナリア。よく眠れたか?」
俺がそう言うと、彼女の瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出した。 彼女は、俺の手を握り返し、子供のように泣きじゃくった。
「よかった……! 生きてる……! 夢じゃ、ないんですね!」
「ああ、夢じゃない。俺たちは勝ったんだ。君が、世界を救ったんだ」
「違います!」ルナリアは首を横に振った。「貴方が、わたくしを救ってくれたんです! わたくしは、貴方のために、初めて自分の力を信じることができた……!」
彼女は泣きながら、それでも、満面の笑みを浮かべていた。 俺が、この世界で何よりも見たかった、彼女の『ハッピーエンド』の笑顔だった。
俺は、彼女の涙を拭う。 「ルナリア。俺は、君に騎士の誓いを立てた。君の『守り人』だ。だが、もう騎士団長も魔族もいない。……俺は、もう君のそばにいる資格がないかもしれない」
「いいえ!」
ルナリアは、俺の言葉を強く否定した。 「わたくしは、カイトさんに、そばにいてほしいのです。軍師としてでも、騎士としてでもありません」
彼女は、少し恥ずかしそうに頬を赤らめ、そして、俺がこの世界に来てからずっと聞きたかった言葉を、口にした。
「わたくしは、カイトさんの……あなたの『特別』な人として、これからも、ずっと、一緒にいたいです」
俺は、何も言えなかった。 ただ、彼女の手を強く握り返す。
転生特典? そんなものはなかった。 俺にあったのは、一万時間やり込んだゲームの「知識」だけだ。
いや、違う。
俺にあったのは、一万時間かけて培った、一人のキャラクターへの、どうしようもないほどの「愛」だった。 その愛が、俺をこの世界に導き、最強のRTA走者に変え、そして、バッドエンド確定だった『推し』の運命を、根底から覆させた。
「あの日、君に『無理するな』って言ったのを覚えてるか?」
「はい。忘れません」
「あれからずっと、無理ばかりさせて悪かった。……これからは、俺が君を、世界一幸せにする」
俺は、聖女の手に、そっと口づけを落とした。 俺の知る『レガリア・オブ・フェイト』の物語は、ここで終わった。
だが、落ちこぼれの三男坊と、世界を救った聖女の、誰も知らない新しい物語は――
今、始まったばかりだ。
転生特典? いいえ、1万時間やり込んだ「ゲーム知識」です。〜バッドエンド確定の推しを救うため、俺は誰も知らない攻略法で無双する〜 kuni @trainweek005050
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