第五話:盗難フラグと推しの涙
翌朝。
俺はD組の教室で、ルナリアの登校を待っていた。 隣の席のルナリアはまだ来ていない。
俺の背後には、昨日ルナリアが座っていた窓際の席。 原作のシナリオが動き出すのは、この席だ。
「(今日だ。ルナリアの『持ち物盗難事件』が起こるのは)」
原作では、ルナリアが席を外している間に、彼女が大切にしているペンダントが盗まれる。 犯人は、彼女の魔力を恐れるクラスメイト。彼らは「聖女の娘は高慢だ」と決めつけ、盗んだペンダントを他の生徒のロッカーに隠し、ルナリアに冤罪を着せようとする。 結果、ルナリアはさらに周囲から孤立し、他者への信頼を失っていく。
「(このフラグは絶対に折る。そのためには、ルナリアが教室を離れる”隙”を作らせない)」
俺は昨日、ルナリアに「無理するなよ」と声をかけた。 彼女の反応は驚くほど良かったが、まだ、たった一言で完全に俺を信頼しているわけではないだろう。
俺は、ルナリアの席を警戒しつつ、教室の様子を観察した。 生徒たちが少しずつ登校してくる。彼らの間には、昨日の中庭での「噴水暴走事件」の話題が飛び交っていた。
「まさか、噴水が勝手に暴走するなんて」 「やっぱり、学園はどこか魔力が強いのか?」 「貴族街の噴水はあれで修理代がいくらかかるんだろうな」
彼らは、事件の原因がルナリアの魔力暴走であったことなど、微塵も疑っていない。俺の知識チートによる「シナリオ変更」は、完璧に成功していた。
「おはよう、カイト」
穏やかな声に振り返ると、そこにルナリアが立っていた。 彼女は俺の制服姿を見て、昨日の言葉を思い出したように、少し頬を赤らめる。
「昨日は……ありがとう存じます。その、席が隣になると聞いて」
「ああ、おはよう。よろしくな」
俺は努めてカジュアルに答える。貴族らしい硬い言葉遣いは、彼女の心の壁を高くするだけだ。 彼女は昨日より、少しだけ顔色が明るいように見えた。
ルナリアが自分の席に着く。 彼女は、いつも持っている小さな革袋を、机の上に静かに置いた。 中には、彼女の亡き母の形見である「聖霊石のペンダント」が入っている。これが、今日盗まれるターゲットだ。
俺は自分の席に着き、彼女に話しかけた。
「ルナリアは、どうしてD組を選んだんだ? 君の魔力は、この学園でもトップクラスだろう」
ルナリアは驚いたように目を見開いた。 「わ、わたくしの魔力など……」 そして、すぐに俯いてしまう。
「魔力暴走を恐れているんだろう? でも、俺は昨日、見てたぞ。君の魔力は綺麗だ。ただ、波長が強すぎて、周囲の環境魔力を吸い上げやすいだけだ」
この言葉は、ただの励ましではない。 「君の力は危険ではない」「君の魔力を理解している」という、絶対の信頼を示すための、原作知識に基づいた論理的な分析だ。
ルナリアは顔を上げ、青い瞳で俺をじっと見つめた。 「貴方が……なぜ、それを……」
「なんとなく、わかるんだ。まあ、気にしないでくれ。それより、今日の授業の予習は完璧か? 難しいぞ、今日の古代魔術史は」
俺は話題を逸らし、彼女の警戒心を和らげる。 ルナリアは少し考えた後、ふっと笑った。
「カイトさんは、面白い方ですね。……はい、予習はしました。ご心配ありがとう存じます」
原作では彼女の周囲に誰も寄り付かなかったため、彼女は常に完璧な予習と復習で孤立を紛らわせていた。その癖は、今も残っている。
「(完璧だ。これで彼女は授業まで席を立たない。盗難フラグは回避……)」
俺がそう確信した、その時。
ガラッと、教室のドアが開いた。 入ってきたのは、D組の女子生徒、アメリアと、その取り巻き数人。
アメリアは原作でルナリアのペンダントを盗む、主犯格の少女だ。 彼女はルナリアの美しさや才能に嫉妬し、魔族の誘惑を受ける前に、ルナリアの心を徹底的に破壊しようとする。
アメリアはルナリアの席の前に立ち、腕を組んだ。 「ねぇ、ルナリア・ヴァルシュタイン。教務主任が呼んでるわよ。昨日の中庭の件で、話があるって」
ルナリアは不安そうに立ち上がる。 「わたくしが、ですか?」
「ええ。噴水が暴走した原因は、貴方の魔力じゃないかと疑われているの。早く行かないと、退学処分になるかもね」
――フラグ、再構築!
俺は舌打ちした。 原作では、この時、ルナリアの孤立はすでに決定的なものになっていたため、彼女は素直に教務主任に呼ばれたと思い、教室を出て行ってしまう。 その隙に、アメリアが盗難を実行するのだ。
「(クソッ! 噴水事件を回避しても、別の形でアメリアが隙を作ろうとしてくる!)」
俺は即座に立ち上がった。
「待て、ルナリア」
俺はアメリアを睨みつけた。
「アメリア。教務主任は俺がさっき会ってきた。彼が呼んでいたのはルナリアじゃなくて、ルナリアと一番仲の良かった生徒だったぞ?」
アメリアの顔が一瞬、歪んだ。
「な、何を言っているのよ。私は教務主任から直接……」
「嘘をつけ。ルナリアに一番近かったのは、昨日、彼女を庇ってくれた俺だ。教務主任は俺に『昨日噴水で暴れたのは誰か』と尋ねていた」
俺は剣術のレベルアップで得た「鋭い目つき」でアメリアを射抜く。
「ルナリアを呼び出して、その間に何を盗むつもりだ? ……その手に持っている、ハンカチで何を包むつもりだ?」
アメリアの手は空だった。しかし、俺のこの言葉は、彼女の「盗む」という心理を強く揺さぶったはずだ。
「な、何よ、カイト・アークライト! 落ちこぼれのくせに、私に逆らうなんて!」
「落ちこぼれで結構。だが、俺は昨日の噴水事件の真相を知っている。そして、これ以上ルナリアを陥れようとするなら……」
俺は、一歩アメリアに近づいた。 俺のステータスは、筋力や耐久が上がり、堂々としている。
「俺が学園の全てを巻き込んで、お前がルナリアにしたことを暴露する」
俺の言葉は、ただの脅しではない。 俺は知っている。アメリアが、過去に王室絡みの小さな不正に手を染めていたことを。原作ではルナリアを陥れた後で、ルークに利用され、その不正を暴かれ退学させられるのだ。
その知識を、俺は今、彼女の目の前に突きつけた。
アメリアの顔は真っ青になった。 彼女は、俺が何を言っているのか正確には理解できなかったかもしれないが、「このモブは、私が絶対に知られたくない弱点を知っている」と本能的に感じたのだろう。
アメリアは、手に持っていた教科書を床に叩きつけ、何も言わずに教室を飛び出していった。 取り巻きの生徒たちも、慌てて後を追う。
教室に残された生徒たちは、騒然としていた。 「カイト様が、アメリアを……?」 「落ちこぼれって言われてたのに、なんだあの迫力は」
俺は、周囲の視線など気にせず、ルナリアの方を向いた。
「大丈夫か、ルナリア。あんな奴らの嘘に付き合う必要はない」
ルナリアは、立ち尽くしたまま、声を出せずにいた。 彼女の顔は蒼白だ。
そして、彼女の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
「な、なんで……ルナリア!?」
俺は焦った。事件は回避したはずだ。なぜ泣いている?
ルナリアは、床に落ちたままの自分の革袋を拾い上げ、両手で抱きしめた。 その小さな革袋の中に、盗まれそうになったペンダントが入っている。
「わたくしは……わたくしは知っていました」
嗚咽交じりに、ルナリアは口を開いた。
「……また、誰かに、自分の大切なものを奪われるのだと。わたくしが恐れられ、遠ざけられ、いつか、このペンダントさえも、汚されてしまうのだと……」
彼女は、ただのアメリアの嘘に騙されたのではない。 彼女の人生は、常に「大切なものを奪われる」という恐怖に支配されていたのだ。 昨日の噴水事件が回避されても、彼女の心に巣食う孤独は消えていなかった。
「……でも」
ルナリアは、顔を上げ、涙で濡れた瞳で俺を見つめた。
「貴方は、わたくしが言われる前に、気づいて、助けてくれました」
「昨日の噴水も、きっと貴方が……。そうでしょう? わたくしには、貴方の魔力の波長が、あの時、一瞬だけ聞こえた気がしたのです」
俺は、言葉を失った。 詠唱破棄を使った魔力だったのに、ルナリアは「波長」で気づいたというのか。 やはり、彼女の聖魔力の才能は、俺の知識チートを凌駕するほど規格外だ。
ルナリアは、抱きしめた革袋を、今度は俺の胸に押しつけてきた。
「ありがとうございます。カイトさん。貴方だけが……わたくしを『危険』ではないと言ってくれた。そして、わたくしが独りではないと教えてくれました」
「……俺は」
「貴方を、信じます」
ルナリアの言葉は、決して大声ではなかったが、教室内で一番重い響きを持っていた。 俺の『推し』が、初めて、俺というモブに、心からの信頼を寄せてくれた瞬間だった。
(ゲーム知識でフラグを折っただけなのに、推しからの信頼度が一気にカンストした……!)
俺は、涙を流すルナリアの姿に、胸が熱くなるのを感じた。
「ああ、もちろんだ。俺は、君の味方だ」
俺は優しく、ルナリアの頭に手を置いた。
その時、教室の扉が開き、一人の教師が慌てた様子で入ってきた。 「カイト・フォン・アークライトはいるか! お前を呼んでいる者がいるぞ!」
「誰がですか?」
教師は、緊張した面持ちで答えた。
「――騎士団だ。王都最強の騎士団『銀の翼』の副団長が、お前を連れてくるよう、直々に命じられた!」
騎士団? なぜ俺が? 俺の脳裏に、一つの情報が閃いた。
銀の翼騎士団。それは、原作主人公が所属する騎士団だ。 そして、その副団長は……兄、ルークの親友。
ルークの監視は、すぐに本格的な「介入」へと変わったようだ。 推しとの信頼関係を築いた直後に、俺のRTAに新たな、そして最も厄介な障害が立ちはだかった。
「(ちくしょう、兄貴め……!)」
俺は立ち上がり、ルナリアに向かって、力強く言った。
「すぐ戻る。俺の席と、君の大切なものは、誰にも触らせない」
俺は騎士団の待つ場所へ向かうため、教室を後にした。
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