10 台風の夜に

 9月中旬になって、大型台風がやってきた。リソース集約の流れで、この一帯のインフラ補修は後回しだ。旧式の電柱は、風が吹けばすぐ停電するし、タチが悪いことに、そもそも推奨地域外に居住しているのが悪いというのが政府見解なので、復旧は極めて遅い。いちおう予備電源はあるが、長丁場の籠城に備え、使用制限がかかっている。というわけで、ゲームができない。

 恵宇羅は最初こそ守江の宿舎でジタバタして、ぶんむくれていたが、ふと思案顔になり、そのあと意を決したように部屋にひっこみ、しばらくすると守江とKを呼び出した。

 恵宇羅の部屋は、台所横の階段を上がって二階、未知さんたちの執務室の隣にある。ふだん、恵宇羅は居間にゲーム機を持ち込んで守江やKと一緒に遊ぶことが多いので、居室に上がるのはこれが初めて。


 そこは、恵宇羅の箱庭だった。


 薄暗い部屋の中に、レゴブロックで再現された**モンや、3Dアクションゲームの世界。所狭しと積み上げられた本。児童文学、図鑑、マンガなどだが、中でも多いのは、古いゲームの設定資料集や攻略本の類。それから、壁一面のホワイトボードには、連想ゲームのように言葉が連ねられ、蜘蛛の巣のように、いろいろな概念が、結節点ノードを介して複線的に結ばれている。それを見たKが、言説雲海ワードクラウド、とこぼす。


 殴り書きが、守江の目に飛び込んでくる。


 ―円環ぐるぐるの中で、眠るようにいなくなるのだバイバイするのんなー幸福な円環でなくてよいのだしあわせはヤバいのんな、この玩具おもちゃが気に入れば、取り上げられたときに泣き叫ぶ羽目になるだろうピーピー泣くのんな安寧が至福でありふわーっとしてればいいよ充足した今が円環の始発点であり終着点いましかないんよでありつづける。過剰なほどに充溢した今今ここ感の中で、思考の物質性に圧倒されおうちにかえりたい。


 「もり姉。かーくん。ありがとね」


 恵宇羅が遠くなっていく。風雨の音がいよいよ強まっていく。熱いものがこみあげてきて、視界が滲む。視界の中でもはや外形をとどめない、枯れた植物のような身体を抱く。薬の匂いがする。あたたかい。Kは後ろでうつむいて、震えている。

 

 以下は、恵宇羅がそのとき語った、物語の創作である。



 空に浮かぶ群島世界アエルノス。この世界には、突如として現れる竜巻テンペストが空と地を引き裂き、人々の命と集落を容赦なく奪ってゆく。それはただの気象現象ではなく、“死”や“運命”そのものとさえ言われる災厄である。


 竜巻退治人テンペスト・ハンターの少女ライカは、気象工学を応用した旧世代の飛行機で空を飛び、ヨウ化銀をまいて竜巻の発生を抑制する日々を送っていた。だが竜巻は根治しない。それは、何度倒しても現れ、ライカはひとつの問いに囚われていた──「なぜ私は、これを止められないのか?」


 そんなある日、ライカは任務の途中で墜落し、雲下に隠された浮島アグロネアの辺境村にたどり着く。そこに暮らしていたのは、人々から“天使の血を引く忌み子”と迫害されていた少女ルコナと、彼女を必死に守る母。


 ルコナには不思議な力があった。竜巻が来る“前”に、それが起こる場所と時間を“夢”で見るのだ。だがその力ゆえに、「不幸を招く者」として村から排斥されていた。


 やがて二人の少女は出会い、共に空を飛び、竜巻を退けていく中で、互いに家族のような絆を築いてゆく。ライカはルコナを守るために戦い、ルコナはライカに「この世界に希望が残っているかもしれない」と初めて信じ始める。


 だが、すべての根幹に関わる存在が現れる。クレーブン博士はかつて、この世界の「運命=死」の正体を探求しすぎ、神と科学と法の境界を越えた男。今では「法学神学士」として国家の法と信仰に強い影響力を持ち、「希望は愚か」という教義で世界を支配しつつある。


 クレーブン博士は、ルコナの力を「他次元ベクトル空間にアクセスする機械的知性(AI)の痕跡」だと語る。古代文明が残したロストテクノロジー、それは今や誰も制御できず、“神”と呼ばれるブラックボックスとなって存在している。クレーブンはこの力を危険視し、ルコナを処分すべきだと主張する。


 竜巻は“根治”しない。それは、運命そのものだから。

 でも、何度でも立ち向かうことはできる。

 希望とは愚かか?否、希望とは《選ぶこと》だ。

 ルコナとライカは、選び取る。互いに。世界に。未来に。


 そしてついに二人は、竜巻の発生源とされる「空の裂け目」へ向かう。そこに待っていたのは、あらゆる因果律と記録が交差する《黒の空間》。

 全ての“意味”が消えるその場所で、少女たちはただ手を取り合っていた──。

 


 翌朝、恵宇羅の容体が急変した。恵宇羅はドクターヘリで本島の総合病院に搬送された。台風は過ぎていたけれど、港内の波はまだ高くフェリーは欠航、守江は未知さん、Kと一緒に、高速船をチャーターして病院へ向かった。

 病室に到着すると、柔和そうな若い男性の主治医が待っていた。未知さんと二言三言交わして、未知さんは小さな声で、でもはっきりと、痛くないように、苦しくないようにお願いします、と伝えた。

 そこから、連日、泊まり込みだった。恵宇羅の容体は、今度こそダメだという場面が何度もあって、その後少しだけ盛り返して、を幾度も繰り返した。守江は、未知さん、Kと代わりばんこで枕元に立って、髪を撫でたり、ゲーム機からテーマ音楽を流したりした。体中に管をたくさんつけた恵宇羅は、ときどきうっすらと目を開けて、口を微かに動かしかけて、また眠りに落ちていった。そのたびに、未知さんは、えっちゃん、ありがとうっていったね、いま、ありがとうっていったよね。と、自分に言い聞かせるように、何度も繰り返した。

 

 9/25

 脳幹への転移をみとめる。腫瘍径10mm×3、8mm×4、他多数。エピジェネγ静注100ml投与。昏睡。


 9/26

11:24永眠。享年11。


 恵宇羅が最期に見つめていたかもしれない、病室の窓の向こうでは、半分まで黄色く熟れたバナナを南国の鳥たちがついばんでいた。

 

 まともなお別れなど、できなかった。

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