5 ワールド・イズ・マイン

 恵宇羅の言語世界。

 たとえば、恵宇羅は、箱庭系ゲームをやっていると、自分の境界が広がるかんじだという。それは、彼女の部屋にあるもの、島に存在するものや地理が、ゲーム内のアイテムやマップに重ね合わされ、そこに本やマンガで読んだ世界もオーヴァーラップして、記憶が何重もののレイヤー構造になって、円環しているイメージだと思う。

 また、恵宇羅は、画素の粗いポリゴンやドット絵を好む。それは、彼女の記号世界が無際限に膨張を志向しているため、単純な記号ほど却って想像力を刺激する汎用的素材になる、という側面があるのだと思う。身体で感じる世界とリンクして、膨張する言語世界。日に日に衰弱する身体にあって、手元のボタン操作で介入できるゲームの記号世界は、却って恵宇羅にとってはリアリティの手掛かりや感触を提供しているのではないか?

 きっと、恵宇羅の中では、全ての存在がつながっていて、小さな世界の中に、砂粒や葉っぱひとつひとつの細部の中に、永遠性に連なる何かをとらえているのだと思う。それは、与えられた絶対的な時間が短い分、濃度を高めたら勝利だと言わんばかりに。

 また、恵宇羅は、ときどき個物にオリジナルな名前をつける。手羽先むしゃむしゃとか、かわいちゅねーとか。おそらくは守江自身も、幼少期はそういう独自語の名付けをしていた気がするけれど、幼稚園あたりで集団生活を始めるあたりから、やらなくなったなあと思う。

 私的=詩的な言語世界のなかで、全てが類比アナロジーの連関で数珠つなぎになっている、恵宇羅はそんな世界に生きているのだろう、と守江は想像している。


 滞在を始めてから数日経った昼下がり。

 南洋では通り雨が多い。チャッピーが雨雲レーダをディスプレイすると、そこから十数分くらい豪雨が降って、その後また、カラッと晴れる。雨があがると、恵宇羅はゲームの手をとめて、一緒に庭に出ようと急かす。

 雨上がりはなー、オゾンの匂いな! なんか、特別なんな! これ、今しかないから。つーんとするんな。で、光!露の断片きらららで、虫さんとか、葉っぱとか、土とかなー、今ここ感がばちく高まるんな! なんか、あたしなー、ちっさいころ、はっと気づいたらなー、あたしがここにいるのは、偶然たまたまだったって、きょーれつに感じる瞬間があったんな。あんま覚えてないんけど、前のお家ではお墓が近所にあってなー、火葬場?だったらしくて、今はバレーコートなってるんけど。そこで、草むらのなかでなー、雨上がりとかキラキラなんな。でも、犬とか落とし物うんこするん、そういう臭いのとか、あと、かわいちゅねーが死んじゃってたときの匂いとか、そういうんもあるんけど、なんか、全部わーっとなって入ってきて、走ってたらな、そこでまた、いまここは、ひゃくねんまえでもなくて、せんねんごでもなくて、べつのあたしじゃなくて、いまのあたしなんけど、でもきっと同じように感じるとおもうから、あ、もり姉があたしだったかもしれんし―

 全てが今ここに現前しているような、物質的恍惚と、反復される離人症体験。という言語化が守江の脳裏をよぎったが、雨上がりの庭で、むせかえる緑の植生に包まれながら、恵宇羅の髪を撫でると、お腹の辺りに抱き着いてくる痩せぎすの身体から伝わる微かなあたたかさや脈動が、意識下にのぼる一切を置換してゆき、バチクソ高まる今ここ感のなかで、かつて、あるいは遠い未来においても、あたしであり、恵宇羅であるような他の存在もまた、同じことを感じ、思うのだろうか、と守江はぼんやりと考えていた。

 

 一週間ほど経った、別日の夕暮れ。

 守江の宿舎の廊下に出て台所を横切った先に恵宇羅の居室がある。そろそろご飯だから、えっちゃんに声掛けてきてー、と未知さんに頼まれて、薄く明かりが漏れるドアの隙間を覗き、ノックする。んー、と反応があったので、入るねーとドアを開けると、携帯ゲーム機をつけっぱなしで床に放り出し、眼をスモモのように紅く腫らした恵宇羅が、ベッドに横たわっていた。痩せたヘチマナーベラのような腕に徐放性鎮痛剤のパッチを当てている。ゲーム機から電子音。テロップは町人Aのセリフ。  

 

 ここは **タウン はじまり そして おわりの まち


 汗ばんだ身体、頬に涙の痕をつけて、木の洞のような眼差しでこちらを見ている恵宇羅。


 えうら?

 うー、うー、うー

 えうら、

 *んじゃえー

 えうら、

 みんな***だろ、かってなこといって

 えうら、

 *ねー、*ねー、*ねー

 えうら、


 ベッドに近づくにつれて、強くなる薬液の匂い、皮脂とシャンプーの残り香とミルクの混ざったような体臭、髪を撫でると、ぎしぎしと指に絡まる繊維、熱っぽいおでこに、守江の泪が落ちて、


 それな

 もりねえ?

 *んじゃえよな

 もりねえ、ごめんね、

 みんな*ねよな

 恵宇羅の手が、細く編み込んだ紫髪の毛先に触れる。


 もりねえ、ううん、いいんだよ

 まじでみんな、あたしも

 もりねえ、いいの、ありがとね

 みんな*んじゃえばさ、

 しびびびびびー


 恵宇羅はいたずらっぽく笑って、守江の髪の毛を指先で小刻みに弄んだ。

 


 ―このような会見の場で申し上げることは大変恐縮ですが、因果関係を断定することは職責に照らして不誠実なのです。

 おまえも**飲んで**しろ

 —帰無仮説が棄却されませんので。私として、これ以上申し上げることがありません

 **!

 —困難な状況にあられることは理解しております。

 ******!

 —はあ。


 ―主流言説が生じたその歴史過程を剔抉アバキ出すすることにより、その偶然性、成立過程に潜在する権力性を自覚させるんです。

 ―うーん、脱構築とか多元主義とか言うけど、それは結局党派性に堕しているよね?当事者に認知的特権性を付与することに、学としての妥当性があるとでも?

 —主流のフレームワークに則って議論することが、そもそも加害行為に加担しているのですよ。マタイ効果をご存じですか。富める者はより富む。トランプで大富豪やったことありますか。勝者は敗者に、最弱カードを押し付けて最強カードジョーカーを徴収するでしょう。科学的営為はエビデンスの系統だった収集に支えられます。関心が集まらない領域にはエビデンス資本も集まらないのですから。あなた方のおっしゃる言説の科学性は、結局数の暴力に他ならないんですよ。

 —話が長いね。たっく、これだから***は。


 ―きみが本当に優秀な人材なら、こんな**地方に留まっているはずがないからね。出来る人たちはね、国費で**や**に留学するんですよ。知らないと思うけれども。私と関わりのある若い人々は、本当に国のことを考えているし、**に勤務して昼夜問わず働いているよ。 

 —差別? 区別は必要だと思う。

 —話が混乱しているね。ロジカルに思考する訓練を積んでこなかったんだね。ここにいあるみなさんは、幼少期からずっと、たゆまぬ努力をされてきたんだよ?

 —ちゃんと生きてきた人々との、格の違いを知ったらどう?

 

 —あなたは、つまりは**ということなんですよ。客観的に見てね。

 —主流派のストーリーに回収するなと? また暴力性の話(笑)?これだから***は。

 —まあ、それ自体、理想論的で純真な考えだとは言えなくもないけれども。じゃあ言うけどね、あなたもしているんですよ。その主流派とやらにね。それ自覚することなく、やたら噛みついて批判するのはブーメランですよ。面倒くさい人になっていますよ?

 —自己矛盾に気付いて修正するフィードバックが出来ないのは、ちょっとね。キビシイね。

 —また新自由主義ネオリベ批判?その決まり文句クリシェは聞き飽きましたよ。

 —幼稚園児だね。



 夕食後、寝てしまっていた。

 守江の中で、かつて向けられた言葉や見聞した事柄についての記憶が反復し、否定的な感情は、当初は小さなものであった棘やささくれを核としてぶくぶくと増殖していった。このところずっと、壁に頭を打ち続けているような気分で、そうした強迫観念から逃れるように、この島にやってきたのかも知れない。

「しゃわーあがったー。入らん?」

 恵宇羅はタオルを被って、こちらに寄ってくる。

「汗びっしょりじゃん、もり姉」

 顔をあげると、濡れた髪をわしわしとタオルで拭く恵宇羅の顔色は、ずいぶんよくなっていて、変な姿勢で横になっている守江の方にぴょこぴょこと近づき、またがってくる。鼻先に顔を近づけて、

「もり姉、風呂キャン界隈のひと?」

「んー、ときどき」

「わかり! えうらも。でも未知さんうるさいよー、もり姉もばちく言われるよーきっと」

 なんだかひどく疲れていた。汗や分泌物でべた付いた衣類がまとわりついていて、すぐにでも洗い流した方がいいのだけれど。鼻先では恵宇羅のドングリのような目がくりくりと動いている。断続的に投与される鎮痛剤オピオイドによってもたらされる活力、あるいは消極的な快楽。悪癖と無縁な純粋無垢さイノセンスを彼女に投影するのは、身勝手な理想化の類なのだろうか? 

「もり姉、らかー」

「そうなん」

「しかも、なんかえっちい匂いするね」 

「えー」

「事後感?」

「やめろし!」

 気づけば互いの口調が、ミームのように伝染していた。守江にとって、ここ一週間の出来事が幼少期の記憶と混ざり合って、幼馴染と遊んでいるような感覚に時折とらわれる。夕暮れ時の消沈した姿とはうってかわって、言葉を持つ気高き獣のような恵宇羅の姿が、そこにある。

 とりあえず、飲み忘れていたタブレット低侵襲ピルを手元のミネラルウォータで流し込む。

 彼女に、胚珠は宿らないのだろう、と唐突に守江は思った。痩せた植物のような恵宇羅の身体が、機能を一時停止ポーズした自身の腹部にまたがっている。

 いっそ、恵宇羅を宿せたらと、守江は火照った頭で想う。

 

 

 

 


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