3 運転しちゃダメな人(出会いの日)
フェリーが着岸したのは昼過ぎだった。
夏季休暇に入って、とりあえず、髪を紫のメッシュに染めたった。正体不明の反抗心というか、今しか無え、的な気分に突き動かされて。フィールドワークの件は指導教官に言うと、―お、いいんじゃない? 当事者研究やるなら支援活動やってるNPO法人さんに話聞いてみる?俺の学生時代やってたボランティアサークルの同期が運営関わってるから紹介するよ―みたいな感じで、窓口担当さんへのメールから宿舎の手配から何から、すべてが整然としたステップ踏んであっさりと手筈が整っていて、なんだ結局、学生の考えることなんて教員の掌中じゃん、
みたいなことを思い出していると、潮風に伴ってペンキとグリスの匂いが意識にのぼり、見渡すと南洋の植生が港湾施設の赤瓦のそこかしこに、にゅるにゅると溢れ出していて、ああ、ここでは人為はもとより、あらゆる動物を圧倒せんとする植物の逞しさ、むせかえる緑に恍惚とした感情を覚える、などと南洋の従軍体験を綴った作家の手記の一節をぼんやり思い出したりする。
が、いかんせん暑い。バチクソ暑い。しぬ。
フェリーを下りると、40代くらいの女性がこちらに手を振っている。それが未知さんだった。本人いわく、まだ人は殺してないからセーフ、という危なっかしい運転の軽トラ(手動運転が認可されている最終世代の車だ)で施設へ向かう道中、離島に不釣り合いなほどすみずみにまで行き届いた代替アスファルト舗装のグレー色、開け放した窓から入り込む潮風は、慣れない染色で傷んだ守江の髪の毛を揺らし、流れ去る残像はさとうきび畑、ラッキョウ畑、タコノキ、時折ひょうきんな声で鳴くアカショウビンの声、時折挿入される、未知さんの、あ、やば、しぬ、という声、急ブレーキの音。
施設に到着して、宿舎棟に荷物を置いて畳んだままの布団にもたれ掛かり、クーラーの冷気にあたっていると(マジで生きてて良かった)、未知さんが入るねーと声を掛けてきて、暑かったよねーサイダーのむ? お土産ありがとね月の塔のクッキー美味しいよねー最近は本土のものがなかなか入らないから、あ、いまは本土じゃないか、入国審査面倒くさかったでしょ、学生さんでも当時は色々ねー、
未知さんはそこまで一気に話して、雫の浮いたコップを3つお盆から丸テーブルに並べて、そこで柱の裏からちらちらと覗く視線に気づいて、未知さんは、
「紹介するねー、恵宇羅ちゃん」
植物のような、というのが第一印象。眼鏡のレンズの向こうで、ドングリのような茶色の目がくりくりと動く。ひょろりとした小柄な体を、ショートパンツ・Tシャツ・パーカーに包んで、携帯ゲーム機を片手に、少女は、ひょこひょことこちらに歩いてくる。
「またゲームしてたんだねー」
クッションにちょこんと座り、ちゅうちゅうとストローでサイダーを吸っている。なんか、チョウチョが花の蜜すするときってこんな感じだっけ? むかし子供向けの教育番組でみた気がするな。
「えうら!です!」
やぶからぼうに、少女が大きな声で挨拶してくれた。微妙に滑舌が悪くて、たぶん人と話すの慣れてなさそうで、実際、恵宇羅はそれだけ言うと、さて義務は果たしたでしょ後は好きにさせてもらうからねーと言わんばかりに、またゲーム機に戻っていく。細い指が、忙しそうに十字キーやABボタンをカチャカチャと繰っている、画面に吸い込まれそうなくらいに顔を近づけて、時々ふうと息をつくと、にゅるっと首を突き出してサイダーをすすり、またゲームに戻っていく。その首筋は、瘦せていて、手首の注射痕に、事情を察する。予めメールでざっくりとは伺っていたけれど。
「えっちゃん、お姉ちゃんがクッキー持ってきてくれたってー。食べない?」
「んー」
おう。微妙な反応。未知さん、申し訳なさげにこちらを見て苦笑い。さては辛党か? じゃあ…
「これ食べる?」
守江は、リュックサックから、道中食べるつもりで手つかずだった、ポテトチップス関西だししょうゆ(天然コンブ&カツオブシ※新規化合物不使用!)をくりだした。
「んまそう」
こうかはばつぐんだ。パーティ開けして、丸テーブルに広げる。恵宇羅は手をベタベタにしながら、ひょいぱくと口に運び、もっしゃもっしゃと噛んでは呑み込む。
「えっちゃーん、ゲーム機こわれちゃうよー、おしぼりもってこようね」
そう笑って未知さんはパタパタと台所に駆けていった。二人きりになって、凪タイム。旧式家屋の室内、鶴と亀と梅の木が描かれた襖、壁にかかったなんかの絵画、窓越しには、グァバの木、バナナの木、ハイビスカスの赤い花が揺れている。
「それ、めちゃレトロゲーだね」
「えうらの、うまれる前からあったって」
「うん、てかあたしも生まれる前じゃん、バチクソ古いよ」
そこで恵宇羅はちょっと手を止めて、
「どゆこと?」
「あー、ええと、めっちゃ古い、みたいな意味」
「へー」
「ねえねえ、それってさ、」
1990年代前半に販売された、CPUは8ビットの携帯ゲーム機。旧式電池で動くやつだけれど、海外のレトロゲームファン界隈が汎用給電デバイスをDIYしたやつがネット通販で入手できる。権利にうるさい製造元の法務部門もお目こぼし。で、恵宇羅がプレイしているのは、その看板タイトルで、その続編の続編の続編の…続編は、最新タイトルがちょうど先月発売された、フィールドでモンスターをゲットして育てるアレだ。しかし、初代タイトルか。描画の粗い白黒のドット絵だし、ゲームバランス調整には正直のところ穴もたくさんあるけど、マニアの間では、隠しパラメータの駆使やバグ技といった、やりこみ要素において根強い人気がある。そうだよね。
「おねーちゃん、くわしいね」
そういって、恵宇羅は初めて笑った。ニパっと開いた口元に、ポテチのかけらをくつっけている。
「おねーちゃんなんていうの?」
「守江だよ」
「じゃあ、もり姉!」
「恵宇羅ちゃん、よろしくね」
「えうらで、いいよ! ふたりプレーもしよー、ばちくそたのしみ!」
あらあら、と未知さんがホカホカのおしぼりをもって戻ってきて、恵宇羅の口元と指先をふき取ってやる。おねーちゃんと一緒に遊べるのよかったねー、そう言ってこちらを、少し困ったように微笑みながら見やる。
◆
件名 フィールドワークのご相談
初めてご連絡させていただきます。**大**ゼミで環境社会学を専攻しております。**守江と申します。**先生のご紹介でご連絡先を伺いました。
このたび、A島で当事者研究を計画しております。期間は夏季休暇の8月から9月にかけて、(途中、多少の間をあけますが)泊りこみのフィールドワークにご協力をいただきたく存じます。
具体的な内容などは、貴法人やご当事者様方のご事情に応じてご相談させていただければ幸いです。
何卒、よろしくお願いいたします。
件名 Re:フィールドワークのご相談
初めまして。特定非営利活動法人**社の**未知です。
**先生からご事情伺っております。弊法人の活動にご関心を寄せていただき、御礼申し上げます。A島の問題は、広く認知されているとは言えません。いえ、皆さんきっと知っているけど、なかなか自分自身が関わるのはハードルが高いのだと思います。なので、一歩踏み出してくれて、ありがとうね。
さて、フィールドワークの件、歓迎です。
**先生から既にお聞きかも知れませんが、弊所ではphaseの進行した
最近、私の遠縁の親戚の子なのですが、身寄りのない進行例の患者さんをお預かりしています。あまり同世代との交流がない子ですし、仲良くしてくれると嬉しいな。
きっとショッキングかも知れないけど、あまり気を遣わないであげてほしいです。
あのね、かわいそうな子、ていうのは、ぜったい違うと思うんだ。
守江さんは、構造的問題とか、現状肯定の欺瞞とか、代理闘争とか、そういう言葉聞いたことはあるよね、きっと。近頃はそうしたテーマを扱う学問分野自体、かなり下火になってしまったけれど…
でもね、彼女は、じぶんのせかいをちゃんと守っていて、うまく言えないけど、ことばをもった、ひとりのいきものとして、この世界に立っている、そんな子なんです。きっと、守江さんも、分かると思うな。
日程詳細は**先生からご提案いただいた通りで万事オッケーです。
では、お待ちしていますね。
◆
結局、もう1台のゲーム機を未知さんが持ち出してきて、端末を2台ケーブルでつないで通信対戦、モンスター交換と一通りやった。先ほど守江が語ったレトロゲームの知識の由来は、ゲーム廃人のKがいつぞや垂れ流していたうんちくで、ゴリ押しでプレイを勧められるのには相当ゲンナリしたが、かじってみたら割とハマって、それが功を奏した格好だ。恵宇羅いわく、普段は未知さんが時々相手してくれるとのことだが、ゲーム音痴というかメカ一般に疎い未知さんとの対戦は、ばちくそおもんない! ほしひとつ! と手厳しい評価。
夕方になり、さすがに恵宇羅の目がショボショボとしてスモモのように赤みを帯びてきたので、未知さんがやめやめーと割って入り、ちょっとお庭とか散歩してきたら?守江お姉ちゃんにも案内してあげて、と促したら、恵宇羅は素直にしたがった。
一緒に外に出てみると、外はまだ明るいが、少し日も陰って暑さも和らぎ、海風が吹き込む。守江はデニムにTシャツ、スニーカーといういで立ち。恵宇羅を見やると、目を細めてTシャツを掴んでパタパタと揺らして、風をあつめている。それを真似して、2人してお腹を出してパタパタとやっていると、未知さんのつくるカレーの匂いがしてきて、あ、手伝えばよかった、でもゲーム楽しそうだったしな、いやあたしも楽しんでたけど、とか思いながら、すたすたと先を歩く恵宇羅の後をついていく。
―バナナまだ青いねー、でも熟れるときは一気にだから。余らせちゃうのなー、あ、これが
恵宇羅は、ぱかっと2つに割った実をこちらに手渡す。口に含むと、さほどの甘みもなく拍子抜けするようだったが、ついさっきまで電子音とドット絵の世界にどっぷり漬かっていた脳みそに、ほのかに南洋の風や赤土の匂いがしみ込んできて、ああ、これは小さいころ、グランマと一緒に食べたんだっけと、守江は思い出すのだった。
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