彼方の恵宇羅【近未来SF中編】

伊垣 幹志(いがき みきし)

1 だらだら(とある一日)

鎮痛剤フェンタ効かんくなって、もー昨日はバチク最悪だったんなー」

 恵宇羅えうらは、ゲームコントローラーをガチャガチャ言わせながら、いつものアッケラカンとした口調で爆弾発言をブチ込んでくる。時々、サ行の発音がthになるのが癖。

「薬種変更申請したらッコー上位互換の新薬キタよん。今朝さっそくキメたら効きすぎて草なー」

 守江もりえは、え…まじか、と低くつぶやいたっきり、フリーズしてしまうが、それを横目にジトっと見て、恵宇羅は

「いやいや、もり姉、手え止まってるのなー。ここ夜になったらカラス湧いて、突かれたら武器ロストしてからの死亡必定ルートで、ゲームバランス終わってるんでリスポーンしてから適正火力のアイテム入手すんのにバカ時間かかるクソ仕様なのお忘れなく? はい動くー」

「…いやてか、なんでまたクソゲー認定のカビ生えたみたいなレトロゲーに手え出したし?」

「ビジュが好み!」

「まじか、いやこのカクカクカクカク3Dポリゴンの粗々粗々粗々解像度よ。あたしの親世代が小学生んとき流行った産業遺産のどこが良いのん」

「もり姉、分かっとらんな。抽象度や! 想像で補完する余地があるのがええんや!」

「哲学的だあ」

 1990年代に発売された、CPUは64ビットの家庭用ゲーム端末。看板タイトルとなる3Dアクションゲームとしては、配管工とか、毎回微妙に設定の変わる伝説の勇者とかの主人公が有名。で、二人が目下格闘中のゲームタイトルは、2人協力プレイ可能な点が訴求ポイントで、かつ、恵宇羅が言う通り、コアなレトロゲーのファンの間では、「ゲームシステムはクソだが世界観が良い」との定評。

 ―それにしても。と守江は思う。2049年、大学2回生の自分の目にも、そのレトロゲーの画質は、いかにも旧時代、つーか化石レベルである。

 ましてや、小学5年生の恵宇羅は、家庭用3Dプロジェクション技術のネイティブ世代だから、ハプティクス・デバイスが提供する共感覚体験(オプション価格3,000アジア元)込みで、かのトールキンも真っ青な魔獣が跋扈して耳元で火を噴く異界への扉をこじ開けたり、中東の化学プラントを占拠したテロリスト相手に軍事作戦に従事したり、本来はそういったVR体験が当たり前のはずだというのに。

 わざわざゲームアーカイブでソフトウェアデータ落としただけでは恵宇羅は飽き足らなかった。互換機ではエモさが足らんと言うので、本体端末に基盤にコントローラにとCADデータ落として、それを3Dプリンタにぶち込んで、てのは工学研究科のかーくんに頼み込んでヤツのラボでやってもらった。あいつ脚フェチだからショートパンツ履いていって正解だったわ。ふだんディープフェイクばっか見てんだろ、生身を間近で拝ませてやったんだからバチクソ感謝しろよー。てか、目がヤバかった。

「や、えうらもな、phase3→4、舐めてたのなー。こんな早よ痛み来るとは思ってなかったぬぬぬ、しっかしエピジェネン社の糖衣錠なー! 新薬!最近リールでレコメンド増えてる。良いよー、最初ちょっとポーっとするけど、慣れ慣れ~」

 ―いやだから、唐突にそういうのブチ込まれると返答に困って

「あ、もり姉、だーかーら手え止まってるよん。現況わかってる?」

 守江は、息をふうっと吐いて、レトロゲーム端末のコントローラーを握り直す。モニターの中では、少年の姿に擬人化された犬のキャラクターが、3Dポリゴンの草原を、ぴょんぴょんと駆け回る。ラブラドールが恵宇羅の操作キャラで、柴犬が守江。やたらと角ばったキャラ造形。連星の恒星に照らされて揺れる、草木のオブジェクト描画のたびに処理落ち。やっぱり、古びて可笑しさの印象すら与えるゲーム。でも確かに、世界観がエモいわ。

「残基1やからな」

 守江は、右手親指でBボタンを連打しながら、ようやく言葉を発する。恵宇羅よりも10歳年上にあたる守江の声質は、むしろ恵宇羅よりも幼い。

「てかさ、ほんと一晩中やばくて。寝れんかった。エピジェネきたの今朝だから、飲んだら午前中は爆寝ルートなー」

 痩せた小さな手がボタンを押下するのに合わせて、恵宇羅のラブラが、わふわふと場違いな程に快闊な声を上げる。

「痛いときは早く終われしか思えんのよなー」

 わふわふ

「幸せ状態はヤバいから注意な、あ、もり姉、また手が止まってるやん! クソゲーよ、これ。最悪リカバリーできんくて詰んでやり直すのバチクソめんどいんよ」

「…うん、知ってる」

 守江の柴は信号未入力状態が続いたので、欠伸のモーションをした後にもっふもっふと身体を揺らす。守江は再びジョイスティックに左手の親指、右手はAボタン連打、わふーわふー

「痛くさえなきゃ、死ぬのはこわくないんな」

 わっふー

「痛くない時は生きてもいいかなって思えるけど」

 わわわわっふー

「期待しちゃうのはイヤ、あっカラス湧いた処理してしてー」

 柴はA+Bボタンでカラスにジャンプキックを見舞う。情けない声をあげて墜落するカラス。

「あたしさ、恵宇羅と同い年くらいの時ね。グランマの家があるのがこの島で、夏休みの間ずっと居てね、帰る時にいつも泣いてた」

「愛着湧いちゃった?」

「かな。恵宇羅も、そういうのがいやなのかな」

うかも」

「愛着てか、執着なのかな」

「子供っておもちゃ取り上げられたらピーピー泣くじゃん、ああいう感じで、嫌なんな」

「ああ、恵宇羅さんよか私のがよっぽどクソガキだな」

「チャッピー?」

 恵宇羅の呼びかけに応じて、足元で、対話型エージェントのスマートスピーカー起動音。恵宇羅は、ゲーム用モニターを一時停止して、言葉を続ける。

「苦しいのがデフォで、鎮痛剤気持ちよくて、悲しいけど世界きれいだなー的な。そういう気分を、ことばにできる?」 

 立体プロジェクションで、眼前に文字列が映し出されていく。

 >>はい、お答えします。#推論モデル選択中…カテゴリは文学・カルチャー…戦後日本文学の最高の専門家としてお答えします。#労働と酩酊。僕は麦酒ビールのもたらす、宏大こうだいな共生感を信ずるのであった。それは、観念的な革命の企てよりも、一層生活に根ざしている!あるいは、疎外された痛みにおいて連帯するようである青年たちの集団が、女性の身体をめぐる感想について猥雑な笑いを響かせるような。猥雑な悲惨は溢れている!そこらじゅうにだ、しかし…

「チャッピーやめて。トップ! えーなんこれ、ビミョーにきしょい! とりあえず、えうらは、お酒のまんけどー」

 >>申し訳ありません。推論中…ユーザ:恵宇羅様は小学5年生であり、飲酒のもたらす高揚に共感できない可能性が高いです。飲酒経験に類比できる経験としては、チョコレイト等の駄菓子の喫食がもたらす愉しみが挙げられ…

「むー。チャッピーもういいよー、てかもり姉的には今のアリ? バイトして、お酒も飲めるようになったら、共感できるん?」

 麦酒。そのフレーズから、守江は、ゼミ発表の帰り、学部生研究室でなされた会話を思い出す。



 その日の守江の発表内容は、このようなものだった。今般、低侵襲の新型ピルが市販薬として許認可される運びとなり、物議を醸している。希望すれば誰でも月経を任意のタイミングで完全停止できる世の中になるだろう。自己決定権拡大の基盤に技術革新が位置づけられているのだ。一方、国際潮流に後押しされて規制緩和がなし崩し的になされたこと、とりわけ、それが製薬企業のロビイ活動に端を発することは批判的に論じられるべきだと考える。また、ピルの薬効成分が、感染症薬として不発に終わったとある化合物の用途転換であったことや、販売元の企業が近年業績不振に苦しんでいた事情を鑑みると、安全性について適正な判断がなされたかどうか、外形的にも疑義があるのは事実。とはいえ、テクノロジー・ハイプ誇大宣伝の狂奔がもたらす倫理的問題として批判論を展開する筋の見解の中には、伝統的国家秩序という観念が潜んでいる場合もあって、注意深い検討がなされねばならない…。

「あのさ、バチクソしんどいんだって。まじで」

 この口調が、やがて守江から恵宇羅に伝染するわけだが、ともかくその日、夕方の研究室で、ラップトップ端末を片付けながら、守江は抗議するように話を続けたのだった。その日、聴講に来ていた、かーくんことKに向けて。

 抑鬱症状を来すほど酷い生理痛を抱えている身としては、身体的な制約から解放され、選択の自由や、様々な機会がもたらされることは素直に嬉しい。服薬を自分本位な快楽主義と断ずるような言説をSNSのタイムラインで見かけるときは、陰鬱な気分になる。斜め上のコメントもあった。自然が与え給うた痛みから解放されたのだから、有益な事に時間を割かねばならぬ。いや知らんわほっとけっつーの!

 守江の口調は、あらゆる仮想論敵のネガティブ・イメージをまるごと濃縮還元して、Kに投影した、とでもいう具合だった。



 選択自由の帰結として、こうして賃金労働に従事するのではなく、――いや、一応は研究、フィールドワークの一環ではあるわけだが――守江は、進行性の公害病を患った少女とレトロゲームに興じているわけだ。仮想論敵どもに言わせれば、共生感とやらに浸る資格を有さないのかも知れない、と守江は思う。

 しかし、守江の身体、あるいは生活状況の中に何かしら通底する痛み・哀しさが浸潤しており、それを上塗るようにレトロゲームに興じるのは、また一つの、ある種<真正>な酩酊でありえるのではないか、とも思われた。それは消極的快楽であり、鎮痛剤であり、守江と恵宇羅の間に共生感をもたらしている、と守江は考えた。それがなものかどうかは、分からない。私たちは、革命思想にも、軍国主義にも染まったことの無い、戦後日本の子供なのだ…。

「劣化版オーケンって感じ、かな」

「それ、もり姉がこないだ言ってたバンドの人?」

「違うよー、文学のレジェンドだよ。ノーベル賞もとったんだよ?」

「さっすが、もり姉、コテン文学くわしいのなー」

「もうその専攻は変えたけどね」

「ちょ、もり姉、カラスカラスカラス、逃げて逃げて逃げて、囲まれたあっ」

 ―残基0。



 

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