第48話 Nem’s Night、勝手に広がる物語たち
朝、スマホのバイブ音が、夢の底からねむを引き上げた。
まぶたの裏にまだ Nem’s Night のイントロが残っている。
昨夜、ミックス音源をリピート再生しすぎたせいだ。
「……んん……」
手探りでスマホを掴んで画面を覗き込む。
【通知:X(旧Twitter)×99+】
【通知:YouTube Studio×34】
【Discord×21】
(……あ、そうだ)
昨日の同時視聴配信。
灯台10話での ED 初オンエア。
「世界でいちばん最初の夜」。
全部、夢じゃなかった。
ねむは布団の中で丸くなったまま、Xを開く。
◆
【X/タイムライン 09:02】
いきなり、タグの海だった。
・#灯台ED
・#NemsNight
・#ねむちゃんの夜
・#おやすみ返し
上から順番に、ファンアート、歌詞考察、切り抜き、海外勢の長文英語ポストが流れていく。
(こわ……いや、ありがたいんだけど……こわ)
指先でスクロールするのが、少し怖い。
でも、止まれない。
「Nem’s Night、本当に“眠れない夜に手を伸ばしてくる曲”だった。
“おやすみ”って言葉がここまで重いなんて思わなかった」 #NemsNight
「EDで灯台の光が消えてから、Nem’s Night が“新しい灯り”になる構図、天才では? #灯台ED」
「“君を聞くたび息ができる”って歌詞、
わたしの中では『夜勤中の看護師さん視点』で刺さった……」
(……受け取り方、ぜんぶ違う)
同じ曲なのに。
同じ歌詞なのに。
そこに乗せられる物語は、それぞれの夜の数だけある。
ロシア語の部分を、ロシア語話者が解説しているスレッドもあった。
「発音、かなり綺麗。
少しだけアクセントが“日本語話者っぽい”のが逆に良い。
“あなたの光”“あなたが呼吸させてくれる”というニュアンス、ちゃんと伝わってる」 #NemsNight
(ロシアの人、聴いてたんだ……)
胸の奥が、じわっと熱くなる。
その下には、ラフなファンアートがいくつも並んでいた。
毛布にくるまってイヤホンで何かを聴いている女の子。
暗い部屋で、スマホの光だけが顔を照らすシルエット。
灯台と配信画面がくっついたような、不思議なイラスト。
「……すご」
声に出した瞬間、現実感が少し戻る。
通知欄の一番上には、ルミエール公式のポストがあった。
Lumière_Official:
【拡散御礼】
「Nem’s Night」(歌:白露ねむ)、たくさんの感想ありがとうございます。
“眠れない夜”を抱えているすべての人に届きますように。
#NemsNight #ねむちゃんの夜
(こっちも、ちゃんと仕事してる……)
ねむは配信者用の裏アカを開いて、そっと“いいね”を押した。
◆
【YouTube Studio/チャンネル統計】
アプリを切り替えると、見慣れないグラフが表示された。
【登録者:512,483(+21,342)/24時間】
【Nem’s Night 配信アーカイブ:再生回数 32万】
【同時接続ピーク:26,421】
「に、にじゅう……?」
声が裏返る。
(昨日、2万6千人……?)
自分の配信部屋の椅子に座っている感覚と、桁の大きさが噛み合わない。
収益タブを開くのは怖くて、指が途中で止まった。
(……あとでにしよ)
画面を閉じて、ベッドの上で一回転する。
「いったん、落ち着こ」
スマホを胸に乗せたまま、天井を見つめる。
(Nem’s Night、本当に“箱の曲”になっちゃったんだな……)
灯台ファンと、ねむファンと、ルミエール箱と――
全部の境界線の上に乗って、夜の海を浮かんでいる曲。
自分のものでもあって、自分だけのものじゃない。
◆
【ルミエール/Nem’s Night プロジェクトDiscord】
お昼前、レンから呼び出しが来た。
水城レン:14時から、Nem’s Night 定例。ねむちゃんも参加よろしく〜
朝比奈湊:入ります
鷺沼:宣伝も
上原監督:アニメ側も顔出します
(定例になってる……)
ねむは眠気を追い払うように顔を洗って、シンプルなワンピースに着替えた。
◆
【ルミエール会議室/14:05】
会議室のホワイトボードには、でかでかと書かれている。
「Nem’s Night / ここから先のロードマップ」
レンがマーカーを片手に立っていた。
「じゃ、軽く現状確認から」
スクリーンには、さっきねむが見たのとよく似たグラフが表示されている。
「灯台10話のEDオンエアから一夜明けて、Nem’s Night 関連のタグは合計で約15万ポスト。海外比率が3割超え。YouTubeのアーカイブは30万再生突破。サブスク系配信の事前予約も、数字いい感じです」
「……あの」
ねむがおそるおそる手を挙げる。
「“いい感じ”って、どのくらいなんですか……?」
「灯台クラスの深夜アニメのEDとしては、“想定の一段階上”」
鷺沼が、少し鼻高々に答える。
「アニメファンだけじゃなくて、“不眠”“夜勤”“勉強垢”あたりのクラスタがけっこう拾ってくれてる。切り忘れエピソード経由で、曲だけ知った人も多い」
(夜勤の人たち……)
ねむの頭に、救急外来の看護師や、タクシードライバーや、コンビニ店員の姿がよぎる。
(みんな、どこかでこの曲、聴いてるのかな)
「で、ここから何をするかだけど」
レンがホワイトボードに三本の矢印を書いた。
① 配信プラットフォーム正式リリース
② MV(アニメ版 or オリジナル版)
③ ねむチャンネルでの“歌詞と物語”特番
「①は、灯台12話のタイミングに合わせて。②はアニメ版 MV を先に出して、後から“Nem’s Night −配信者視点Ver.”みたいなリリックMVをねむちゃんのチャンネルで作るのも面白い」
「リリック……MV……」
ねむは、ホワイトボードに書かれた“歌詞と物語”の文字に目を留める。
「③について詳しく聞いてもいいですか?」
「うん。これは俺からの提案なんだけど」
レンが、ねむを真正面から見た。
「Nem’s Night の歌詞に込めたものを、ねむちゃん自身の言葉で、どこかでちゃんと話す場を作りたい」
「ちゃんと……」
「もちろん、全部は話さなくていい。“誰を思って書いたか”とか、“どこまで実体験か”とか、気まずいところはぼかしてOK」
「器用にぼかせる気がしないんですけど……」
「不器用なままでいいよ」
レンは軽く笑った。
「『何を話さないか』を決めるだけでも、“Nem’s Night の物語”は立ち上がるから」
(話さないこと……)
ねむの胸の奥で、昨夜の湊とのメッセージがふっと浮かんだ。
《君の“夜”を任せてくれて、ありがとうございます》
(……そこは、言わない)
「特番のタイトル案は、仮だけど——『Nem’s Night が生まれるまで』とか、『あの夜の続きの話』とか、そのあたり」
「重くないですか、ちょっと……」
「重いけど、曲がもうそういう顔してるからね」
レンの言葉に、会議室の隅で湊が小さく咳払いをした。
「曲の顔とか言われると、責任を感じますね……」
「感じてください」
「感じてます」
淡々としたやり取りに、ねむは思わず笑ってしまう。
◆
会議の終盤、話題は“受け取り方”の話になった。
「歌詞考察、すごいですよね」
鷺沼がタブレットをめくりながら言う。
「“Nem’s Night は失恋ソングだ”“いや、片想い継続ソングだ”“家族への歌だ”“推しへのラブレターだ”って、みんな勝手に物語つけてくれてる」
「失恋ソング……?」
ねむが目を丸くする。
「そんなつもりでは……」
「でも読んでると、意外と説得力あるよ」
レンが片方の眉を上げる。
「“朝になっても眠れない夜”って、“何かを失った後の放心状態”にも見えるからね。恋でも、仕事でも、家族でも」
(……たしかに)
Nem’s Night の歌詞は、“具体的な単語”をギリギリまで外した。
だからこそ、何かを失った誰かの胸にも、そのままはまってしまうのかもしれない。
「“正解”って、あるんですか?」
ねむがぽつりと言うと、全員の視線が自然と湊に向いた。
作曲者は、少しだけ考えてから口を開く。
「“白露さんの中”にはあると思います」
「う」
真正面から返されて、ねむは目を泳がせる。
「でも、聴いた人たちがそれぞれつけてる物語は、どれも“その人にとっての Nem’s Night”なので、僕が口出しすることじゃないかなと」
「作曲者がそう言うなら、そうなんだろうな……」
レンが苦笑する。
「ねむちゃんは?」
「わたし、ですか?」
「うん。“正解”って、あると思う?」
ねむは、少しだけ俯いて考えた。
(本当は、一番最初に思い浮かべた人とか、情景とか、あるけど……)
「“最初の種”みたいなものは、たぶん、わたしの中にだけあると思います」
ゆっくり、言葉を選びながら喋る。
「でも、水やりしてくれたのは配信で“おやすみ”って言ってくれた人たちで、陽に当ててくれたのは灯台のスタッフさんたちで……」
ねむは、顔を上げた。
「今はもう、わたしがひとりで持てるサイズじゃないから、“正解はこれです”って箱に入れちゃうの、もったいないなって思います」
会議室が、一瞬静かになった。
レンが、ゆっくりと笑う。
「そういうことさらっと言えるの、ずるいな、ねむちゃん」
「えっ、いまの、そんなにいいこと言いました?」
「言ってる」
ミオが腕を組んで頷く。
「Nem’s Night の特番、そのまま今の話すればいいんじゃないの?」
「じゃあ録音しとけばよかったですね……」
鷺沼が冗談めかして溜息をついた。
「今のまんま書き起こして、パンフに載せたいくらい」
(パンフ……?)
ねむの頭に、新たなワードが刺さっていった。
Nem’s Night は、まだ広がるつもりらしい。
◆
【会議後/ルミエール屋上】
空は、薄く霞んだような青をしていた。
ビルの谷間を縫う風が、少しだけ肌寒い。
屋上のベンチに腰かけて、ねむはペットボトルの麦茶を飲んだ。
視界の端に、人の気配。
「ここにいると思った」
湊が、紙コップのホットコーヒーを二つ持って立っていた。
「……エスパーですか?」
「感覚」
「またそれだ」
ねむは半分笑いながら、コーヒーを受け取る。
「さっきの、“正解を箱に入れない”って話」
「はい」
「あれ、本気で言ってた?」
「本気です」
ねむは、紙コップのフタを少し回しながら言った。
「最初は、“この人に届いたらいいな”って思って書いた部分もありますけど……」
(それは、目の前にいる人に向かって言える言葉ではないので)
「でも、今はもう、それだけじゃ足りないくらい、いろんな人の夜に広がっちゃってるから」
「うん」
「だったら、“それぞれの Nem’s Night を正解にしていいよ”って言えたほうが、曲の顔も楽かなって」
「曲の顔を気遣う歌い手、はじめて見たかもしれない」
湊が小さく笑う。
「でも、作る側としては、ありがたい考え方だよ」
「ですかね……?」
「うん。こっちも、“自分だけのものじゃなくなった瞬間”に、少し寂しくなることがあるから」
ねむは、コーヒーを一口飲んだ。
熱さが喉を通っていく感覚と一緒に、質問が浮かぶ。
「朝比奈さんは?」
「ん?」
「Nem’s Night、今はもう、“自分の曲じゃなくなった”って感じますか?」
「――半分くらいは」
湊は、空を見上げたまま答えた。
「もう半分は?」
「……半分は、まだ“白露さんと自分の夜”のままかもしれません」
心臓が、盛大にひっくり返った。
「な、な、なにいってるんですか」
「え、変なこと言いました?」
「変なことしか言ってないですよ!?」
ねむは、思わず声を上ずらせた。
湊はちょっとだけ首を傾げる。
「“曲の半分”くらい、自分のものにしてもいいかなって話です」
「半分がでかいんですよ!」
「じゃ、三分の一で」
「いやそういう問題じゃなくてですね……!」
屋上に、風と笑い声が混ざる。
(……この人、ほんとずるい)
冗談みたいな言い方で、本気のことをさらっと言う。
本気みたいな目で、冗談も言う。
「じゃあ、こうしましょう」
湊が、紙コップのフタをつまんで回しながら言った。
「“Nem’s Night の特番”のとき、“白露さんにとっての正解”は、僕も初めて聞く、ってことにする」
「えっ」
「今日、会議で話してた“最初の種”の話。もし話せそうだったら、そのときに初めて教えてください」
「……ライブで初解禁みたいな」
「そう」
湊は、ねむの方を見た。
「リスナーと同じタイミングで聴けるなら、その方がいいなと思って」
(同じ、タイミング……)
胸の奥で、何かがふわっと浮く。
「……考えます」
ねむは、小さく頷いた。
「そのときまでに、“自分の Nem’s Night の正解”をもう一回ちゃんと言葉にできるように」
「うん」
湊の横顔は、相変わらず読みづらかったけれど。
そこに乗っている期待だけは、妙にはっきり分かった。
◆
【夜/ねむ自宅】
配信部屋のライトを落として、モニターだけをつける。
YouTube Studio の画面では、Nem’s Night 配信アーカイブの再生数が、じわじわと数字を伸ばしていた。
(このまま放っておいても、きっと曲は勝手に広がっていくんだろうな)
自分が寝ている間にも。
配信していない間にも。
どこかの国の、誰かの夜に。
「でも——」
ねむは、マイクの位置を少しだけ直した。
自分の声で、ちゃんと見送ってあげたい。
世界に出ていく Nem’s Night を。
勝手に広がっていく物語たちを。
自分の気持ちも、置いてきぼりにしないように。
◆
【X/ねむ公式】
白露ねむ:
「Nem’s Night」、たくさん聴いてくれてありがとうございます。
“あの夜”にくれた「おやすみ」の続きとして、この曲が誰かの夜に届いていたらうれしいです。
近いうちに、配信でちょっとだけ“この曲の話”をしようと思います。
#NemsNight #ねむちゃんの夜
ポストして、スマホを机の上に置く。
心臓の鼓動が、ほんの少しだけ速い。
(――配信、まだ切れてませんよ?)
心の中で、そっとそのフレーズをなぞる。
Nem’s Night の物語は、たぶんこれから先もずっと続いていく。
ねむ自身の夜も、その途中にあるまま。
モニターの隅で光る、赤くないランプを見つめながら。
白露ねむは、次の“夜”の準備に、そっと息を整えた。
次の更新予定
配信、まだ……切れてませんよ? 桃神かぐら @Kaguramomokami
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。配信、まだ……切れてませんよ?の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます