第11話 見つけてもらう朝──“Good night, not goodbye”が灯る日

1|午前6時23分、ゼロが動く


 目が覚めた瞬間、胸の奥が少しだけ早く打っていた。

 ケトルのコト、加湿器の白い息、まだ灰色の窓。

 今日はMV公開の翌朝。

 私はスマホを顔の前に持ち上げて、YouTube Studioを開く。

 数字は夜のうちに勝手に呼吸しているはずだ。


 最初に見えたのは、再生回数 0 のときと同じ画面構成。

 だけど、グラフの右端が、夜の波とは違う高さでにゅっと立っている。

 指の腹で拡大すると、数字が桁ごとに増えて見えた。


再生回数:182,903

高評価:64,201

コメント:8,213(英語・日本語・韓国語・スペイン語・他)

チャンネル登録者:2,000 → 51,287(+49,287)


「……え」


 声が勝手に漏れた。

 桁がひとつ増えると、ゼロが優しい数字に見える。

 “空っぽのゼロ”じゃなくて“席としてのゼロ”。

 誰かが座ってくれるための椅子。


 もう一度画面を見直す。間違い探しみたいに慎重に。

 間違いじゃないらしい。

 呼吸が、数字の上でゆっくりになった。


(見つけてもらえた)


 言葉にすると、胸の中のランプが明るくなる。



2|MVの朝──置いたものが拾われる


 キッチンに行って、お湯を沸かす。

 蜂蜜を小さじ一杯だけ。

 MVのコメントを、音読に近い速さで追っていく。

 早口にすると、気持ちが置いていかれるから、ゆっくり。


JP:「最初の“ことり”で泣いた。カップ置く音、生活の音なの反則」

EN:「She doesn’t sing ‘at’ me, she sings ‘near’ me.」

KR:「밤이 무섭지 않게 되었어요. 고마워요.」

ES:「La manera de respirar… como si el aire fuera compartido.」

医療従事者:「病棟の消灯後に流しました。ありがとう。」

学生:「朝までレポート、ねむの ‘Good night’で締めた」

古参:「“置いていく”がこんな形で返るの、泣くしかない」


 MVの映像はイラストMV。

 灯台、ベンチ、波。

 画面の右下には小さく**「Good night, not goodbye.」**

 自分の声が固定じゃなくて、“置いて待ってる”感じに混ざるミックス。

 昨日、あの部屋で録った声が、今日ここまで届いている。

 蜂蜜の重みが、スプーンから完全に落ちるまでの時間、私はただ“ありがとう”を胸の内側で何回も言った。



3|午前9時4分、通知の海


 Twitter(X)を開く。#GoodNightNotGoodbye が国内トレンド7位、#ねむちゃんの声で眠れた が13位。

 タグは朝の光みたいな速度で増え続ける。

 “寝落ち報告”と“聞き終わった朝の気温”と“朝食の写真”が同じタイムラインに並ぶの、平和で泣きそう。


 DMの通知が山になって、レンの連絡が一番上に固定される。


水城レン:「朝確認。登録5万超え。MVは12時間で20万再生到達見込み。

公式への問い合わせ増。取材は厳選する。

13時から短い感謝配信だけ入れよう。台本不要。素で」


白露ねむ:「うん、素で。ありがとう」


 スタンプで小さなランプを送る。

 レンは“了解”の短い既読で返す人。それで十分、伝わる。



4|昼前、同期が騒がしい(優しい騒ぎ)


 Discord。

 雑談_ねむ部屋がピロンピロン鳴っている。

 ルナ、カイ、シン、レオ、ミナト、ミオ、コウ、ユリ――

 いつものメンバーが全員、アイコンに緑の丸を付けている。


天音ルナ:「5万おめでとう。朝から泣いた。水飲んだ」

天ヶ瀬カイ:「波形、良かった。低域の管理神」

霧原シン:「Bridgeの息、置いてあった。正解」

凪野レオ:「“近くで歌う”って、こういうの」

春名ミナト:「先輩がすごすぎてネジ回すしかできない」

黒瀬ミオ:「切り抜きサムネは灯台+ベンチ。**『見つけた夜』**で行く」

星野コウ:「ENタグ固定 #LeaveItThere #LeftForYou」

花咲ユリ:「韓国語翻訳のボランティア2名合流。規約整えます」

水城レン:「13:00 “感謝だけ配信”。ねむちゃん、台本なしで良い。口癖の“うん”が全部武器」


 みんなが勝手に動いてくれてる。

 私は、言葉の芯を一本だけ持っていればいい。

 “ありがとう”と“置いていく”。

 それだけで、今日は十分。



5|12時11分、メディアの影


 メールがいくつか。

 ネットメディアからの取材、ラジオ番組のゲスト依頼、海外Podcastからのオファー。

 レンに転送すると、すぐ返事が来る。


水城レン:「今は歌を守るタイミング。

正式インタビューは2件だけに絞る。

その代わり、“声の置き方”の短いエッセイをねむちゃんのnoteに載せよう。

1000~1500字。ねむちゃんのペースで」


白露ねむ:「うん。書く。置いておく文章にする」


 文章も、声と同じように置ける。

 拾う側の呼吸が整ったとき、見つけてもらえればいい。



6|13時、感謝だけの配信


白露ねむ:「こんにちは。白露ねむです。

見つけてくれて、ありがとう。

それだけ言いに来ました」


同接:7.8万 → 12.3万

コメント:おめでとう/見つけた/置いてくれてありがとう

EN:We found it / Thanks for leaving your voice


「数字を見るの、ちょっと怖い時もあります。

 でも今日は、“人の形”に見えました。

 ゼロは席で、座ってくれた人が多かった。

 だから、ありがとう」


コメント:席=名比喩/座ったよ

EN:Zero as a seat… that’s beautiful


「可愛いお金の話も、少しだけ。

 スパチャ、無理はしないで。毛布をかぶるのも支援です。

 今日のスパチャは、字幕チームと病棟への無償配布に使わせてください」


コメント:賛成/字幕増やそ/病棟に届け

EN:Subtitles + hospitals, yes


SuperChat:¥10,000 灯台「字幕に」

SuperChat:$100 EN_Sea「For subtitles & hospitals」

SuperChat:₩50,000 KR_night「病棟へありがとう」


「ありがとう。置いて使います。

 “置いたお金”も、可愛いね」


コメント:置いたお金=可愛いw/語彙がやさしい

EN:Cute money strikes again


「配信、切ります。

 ……あ、ちゃんと押す」


 タップ。

 赤いランプが消えて、スタジオの空気が軽くなる。

 立ち上がった瞬間、膝が少し笑って、私は笑い返す。



7|午後、世界の方角


 YouTubeの地域別アナリティクスを見る。

 日本 54%、北米 18%、韓国 9%、台湾 6%、スペイン語圏 5%、その他。

 “その他”に、無数の夜が含まれている。

 地図が淡い色で塗られるたびに、灯台の光が広がるように見えた。


 Twitterでは、有名Vの人たちが黙ってリツイートしてくれている。

 コメントを付けない**“ただの矢印”**。

 それがいちばん好きだ。

 矢印は、向きだけ残すから。

 (Museの氷室リアは “Found it. Not goodbye.” とだけ書いてくれた。短くて、強い)



8|夕方、切り抜きと二次創作


 ミオが手を入れた切り抜きが上がる。

 サムネは灯台とベンチ、タイトルは**『見つけた夜』。

 再生はグイグイ伸びて、コメント欄が翻訳でカラフル**になっていく。


EN翻訳:「She says: ‘Zero is a seat. Thank you for sitting.’」

ES翻訳:「Deja su voz y espera. Eso es amor tranquilo.」

KR翻訳:「‘자리에 앉아줘서 고마워.’」


 pixivには早速イラストが並び始めた。

 “灯台の下で同じ方向を見る人たち”というタイトル。

 私は保存フォルダにそっと入れる。

 置いていくって、こんなふうに重なっていくことなんだ。

 知らない誰かが、知らない誰かの夜を守る絵。



9|夕方の電話──母からの留守電


 スマホに留守電。

 母の声は相変わらずやわらかい風みたいだ。


「ニュースで見たよ。よくわからないけど、いっぱいの“ありがとう”を集めて偉い。

晩ごはん食べた? 無理しないで寝ること。おやすみは、ちゃんと言うこと」


 私は再生を止めて、ただ「うん」と言った。

 聞かれてない返事でも、言うと心が定位置に戻る。

 “母の声”って、生活の原音だと思う。



10|夜、ラジオからの招待


 ラジオ局の担当から、夜の短いコメント出演の依頼。

 レンが「生歌はしない、声の置き方だけ話すならOK」と整えてくれて、

 私は電話口で「おやすみを言う小さな儀式」の話をした。


ラジオ:「白露ねむさん。“Good night, not goodbye”の意味を一言で」

白露ねむ:「さよならの手前にある、“見張り”だと思います。

返事はいらないけど、見つけてくれたら嬉しい」


 パーソナリティが少し黙ってから、「見張り、いい言葉ですね」と言った。

 音の向こうで頷かれた気配がした。



11|21時、短い生配信(MV同時視聴)


白露ねむ:「こんばんは。白露ねむです。

今日の最後、同時視聴を少しだけ。

1回だけ、みんなと一緒に見ます。

その後は、各自、好きに置いてください」


同接:14.9万 → 21.2万

コメント:はじまる/同時視聴助かる/ティッシュ準備

EN:watching together / tissues ready


 再生ボタン。

 MVが始まる。

 “夜の端っこ 息が丸くなる”。

 自分の声が近くで歌う。

 チャットが波みたいに速くなって、でも荒れない。

 みんなが同じ方向を見ているから。


 最後の“Good night, not goodbye”の語尾で、私は息を置く。

 画面の向こうでも、たぶん何万人かが同じタイミングで息を置いた。

 言葉がいらない瞬間が、配信でいちばん好きだ。


SuperChat:¥50,000 灯り「字幕チームへ。ありがとう」

SuperChat:$200 EN_Bedside「For hospital playlist」

SuperChat:₩100,000 KR_Moon「Not goodbye」


「ありがとう。置いて使います。

 今日は、ここで切ります。ちゃんと、押す。

 おやすみ、ちゃんと言ってね?」


 タップ。

 ランプが消えて、胸の中のランプがすこし明るくなる。

 矛盾してるけど、いつもそう。



12|23時、事務所Discord(数字は光)


水城レン:登録10万人到達。(2,000→100,214/48h) 銀の盾の手配。

黒瀬ミオ:切り抜き1本で100万再生見込み。

星野コウ:英訳・韓訳固定チーム化。ボランティアには謝金出せる枠、レン承認。

天音ルナ:明日の打ち上げ、プリンタワーで。

天ヶ瀬カイ:MVの低域管理、今日が一番良かった。

霧原シン:生歌配信は来週以降。今は置く施策に集中。

凪野レオ:この空気のまま、焦らない。

春名ミナト:ネジ回す練習、結局今日もやった(報告不要)。

水城レン:メディア取材は2件のみ確定。ねむちゃんのnote、明日公開。


 “登録10万”。

 数字はただの数字。

 でも今日は、光に見えた。

 灯台の周りに人が増えて、寒さが薄くなるときの光。



13|夜遅く、Museから


氷室リア(DM):「あなたの ‘息の置き方’ を真似しようとして、3回失敗した。

でも失敗の跡がきれいだった。ありがとう。Not goodbye.」

白露ねむ:「失敗の跡、好き。そこに“いま”がいるから。

Good night, not goodbye.」


 透明な嫉妬も、失敗の跡も、全部“生きてる証拠”。

 私はスマホを伏せて、水をひと口飲む。

 喉の奥で水が小さく鳴る。

 今日の音は、全部、生きてる。



14|ノート(長め)──見つけてもらう日の記録


「MV公開翌朝。

再生 18万→夜40万。登録 2,000→100,214。

コメント 8,000→夜 17,000。言語:JP/EN/KR/ES/ほか。

“ゼロは席”。座ってくれた人が増えた。

置いた声=固定じゃない声。待ってる声。

可愛いお金=字幕と病棟へ“置く”。

同時視聴=同じ方向を見る儀式。

ルナ=黙る勇気。レン=信用の音。

チーム:翻訳の謝金化。ボランティアを“仲間”にする。

失敗の跡=“いま”。好き。

取材=2件のみ。言葉を整える日を作る。

note:『声を置くということ(1000字)』明日。」


 少し考えて、さらに書く。


「数字は数字。でも今日は光に見えた。

光に寄って来た虫みたいに、心がわちゃわちゃしないように、

呼吸を置く。4で吸って、1止めて、6で吐く。

灯台=見張り。

‘Good night, not goodbye’ は、歌のタイトルで、暮らしのやり方。

返事はいらない。見つけてくれたら、それで十分。」


 ペン先が止まる。

 机の上の小さなランプが点いたり消えたりしている。

 配信じゃないほうのランプ。

 私は毛布を肩まで引き上げて、目を閉じる。

 遠くの道路の音、冷蔵庫のコト、誰かの笑い声。

 全部、生きてる音。


(おやすみ)


 口の形だけで言う。

 返事はない。

 でも、今日は世界が少し静かに感じた。

 灯台の光が、まぶたの裏でゆっくり輪になって広がっていく。


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