第13話「戦後処理は甘いお茶と」

 アランたちが退けられた後、忘れられた谷には本当の平穏が訪れた。季節外れの雪は止み、暖かな日差しが谷を照らしている。後処理は色々とあったが、そのほとんどは私の父、ヴァレンシュタイン公爵と、なぜか谷に居座り続けるジークハルトが引き受けてくれた。


 エルスリード王国は、王太子不在の混乱の中、ヴァレンシュタイン公爵を中心とする改革派の貴族たちが実権を握り、新たな体制を築きつつあるらしい。私には、除籍されたとはいえ公爵家から正式な謝罪と、忘れられた谷を完全な独立領として認めるという破格の条件が提示された。


「……だ、そうです。どうしますか、領主様?」


 セバスが、王国からの書状を読み上げながら私の意向を伺ってくる。私は執務室の椅子に深くもたれかかりながら、ため息交じりに答えた。


「もちろん、受け入れます。面倒な交渉は全てお父様にお任せしましょう。私たちは、私たちの生活を取り戻すだけです」


『ようやく、スローライフの始まりだ……』


 心の中で、私は安堵のため息をついた。もう、国同士のいざこざに巻き込まれることも、命のやり取りをする必要もない。これからは畑を耕し、新しい特産品を考え、領民たちとのんびり暮らしていくだけだ。


「イザベラ。疲れているのなら、私が膝枕でもしてやろうか?」


 そんな私の感傷を台無しにする声が聞こえた。いつの間にか執務室に入ってきていたジークハルトが、ソファに寝そべってこちらに手招きしている。この男、戦いが終わったというのに、一向に帝国に帰る気配がない。


「結構です。それより陛下、あなたの国はよろしいのですか? 皇帝がこんなに長く不在にしていては、政務が滞るのでは?」


「案ずるな。優秀な影武者と、有能な宰相がいる。それに、最も重要な案件は今ここにあるからな」


 ジークハルトはそう言うと、真剣な眼差しで私を見つめてきた。


「イザベラ。改めて、私と結婚してほしい」


 また、それか。私は本日何度目か分からないため息をついた。この男は、暇さえあれば私に求婚してくる。


「ですから、私は……」


「分かっている。君が、誰かの所有物になることを望まない女だということは。だが、私の言っているのはそういうことではない」


 ジークハルトは、ゆっくりと起き上がると私の前まで歩いてきた。そして、私の手を取り、その前に跪いた。一国の皇帝が、だ。


「私は、君の隣で対等なパートナーとして生きていきたい。君の知恵と力を、私の国をより良くするために貸してほしい。そして、私の力は君とその民を守るために使わせてほしい。これは、皇帝としてではなく、ジークハルトという一人の男としての、偽らざる願いだ」


 その銀色の瞳は、いつになく真摯だった。冷徹な氷の皇帝ではなく、ただ一人の女性を愛する男の顔がそこにあった。


 彼のまっすぐな言葉に、私の心臓がトクンと大きく跳ねた。面倒な男だと思っていた。厄介で、強引で、人の話を聞かない男だと。だが、彼はいつだって私のことを一番に考え、私の力を信じ、私の自由を尊重しようとしてくれた。


 アランのように、私を自分のための道具として見ることなく。カイのように、私を守るべき弱い存在として見ることもなく。ただ、イザベラ・フォン・ヴァレンシュタインという一人の人間を、ありのままに見て、求めてくれた。


『……悪くない、かもしれない』


 彼の隣にいる未来を、ほんの少しだけ想像してみる。きっと面倒なことも多いだろう。窮屈な宮廷作法も、また覚え直さなければならないかもしれない。だが、彼の隣なら退屈することはなさそうだ。それに、この男とならもっと大きな、面白いことができるかもしれない。


「……考えて、おきます」


 私がようやく絞り出した言葉に、ジークハルトは一瞬きょとんとした顔をし、やがて、見たこともないような満面の笑みを浮かべた。


「本当か!?」


「ええ。あくまで、前向きに検討する、というだけですが」


「十分だ! ああ、イザベラ! 愛している!」


 彼は、感極まったように私を抱きしめた。その力強さに、少しだけ息が詰まる。だが、不思議と嫌ではなかった。彼の胸の中から、安心するような温かい匂いがした。


 コンコン、と控えめなノックの音がして、扉が開いた。


「イザベラ様。お茶の用意ができました。……あら、お取り込み中でしたか」


 入ってきたのは、お盆を持ったアンナだった。彼女は、抱き合っている私たちを見て一瞬固まったが、すぐににこやかな笑みを浮かべた。


「どうぞ、お構いなく。私はこれで失礼しますので」


 そう言って、アンナはそそくさと部屋を出て行こうとする。


「待って、アンナ! 違うの、これは……!」


 私が慌ててジークハルトを引き離そうとするが、彼はがっちりと私をホールドしたまま離さない。


「うふふ。お嬢様が本当に幸せそうで、私も嬉しいです」


 アンナは、心底嬉しそうにそう言うと、静かに扉を閉めた。


『誤解だ……! まだ、何も決まってないのに……!』


 私の心の叫びは、誰にも届かない。ジークハルトは、ご機嫌な様子で私の髪にキスを落としている。


 戦いは終わったけれど、どうやら私の平穏なスローライフは、この甘くて迷惑な皇帝陛下によってまだまだ先延ばしにされそうだ。


 まあ、それも悪くないか、と。少しだけ思ってしまった私は、きっともう彼に絆されてしまっているのだろう。

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