人魚は恋に溺れる

悠凪ゆき

プロローグ


 もう立っていられなかった。


 その場にペタンと崩れた。掴まれた右腕だけが同じところに留まっていて、視界の端にぼやけて映り込んでいる。


 両足が酷く痛む。


 腫れ上がっているのかも知れないし、裸足で走ったから小石か何かで切ってしまったのかもしれない。脈打つように痛む気もするから、流血しているのかもしれない。だが。


 確かめるために視線を落とす、それだけのことが、――どうしてもできなかった。


 目は振り返った時のまま。自分を引き留めた、知っているはずの顔を映して、そのまま。一ミリとて離せない。


 そこにあるのは、確かに知っているはずの男の顔だった。


 だが、こいつは――誰だ?


 どうしてだか、息が上手くできない。


 助けを呼ばなければ、と思うのに叫ぶことが出来ず、自分を無表情で見下ろしている男を見ていることしか出来なかった。


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