閉ざさない門
河村 恵
七度目の隣人
「こんにちは。隣に越してきた蛭川(ひるかわ)です」
「はい」
ドアを開けると、30前後の女性が立っていた。
白いシャツに水色のカーディガン、黒のパンツスタイル。セミロングの黒髪でおとなしそうな印象だった。
「蛭川アサミです。先週越してきました。ご挨拶が遅くなりましたが、どうぞよろしくお願いします」
そう言って、菓子折りを渡された。駅前の信号正面の和洋折衷の菓子屋の包み紙を見て、少し機嫌を直した。
「あのう」
「あ、早坂といいます。すみません、表札出してなくて。貸家なんです、ここ」
アサミは3階建ての俺の家を見上げた。
「立派ですね。左右対称の屋根」
「はあ?」
「この辺り、北側斜線が多いので」
「ごめんなさい、ちょっとそういう難しいこと俺はよくわからなくて」
「こちらこそごめんなさい」アサミはハッとしたような表情をしたかと思うと口元に手を当てて笑った。「私、この先の住宅展示場で案内をしているので、つい」
「そうなんですか」
改めてアサミの顔を見ると、常に口元が微笑んでいた。
一瞬あの話をしようかと迷ったが、アサミが一歩後ずさったのを見て飲み込んだ。
「わざわざご挨拶に来てくださってありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」
もうこのやりとりを何度しただろうか。
隣の家はしばらく住む人がいなくて庭木が蔓延り荒屋のようだった。
彼女が引っ越してくるたびに少しずつ手入れがなされて綺麗になってきた。
家はというと、大きな門で遮られ直接見ることはできない。
裏通りからは瓦屋根が見えるので、昔からある平屋の屋敷のような想像をしていた。
彼女は1週間もたたないうちに引っ越して行った。
理由は身内に不幸が、ということが多く、彼女がいなくなると木の枝がしだれかかり、夜は薄気味悪かった。
犬のケンを散歩すると必ずとなりの家の前で吠えた。
七度目だろうか。彼女がまた引っ越してきた
「前にもお会いしたことありませんか?」
俺はアサミに真実を話す決意をした。無論、彼女に好意を持っていたことは否定できない。駅前のカフェで彼女を待った。
彼女は時間きっかりに現れた。
「信じられないことかもしれないけれど、」
アサミのクリクリとした目を間近で見て心拍数が上がった。
「蛭川アサミさん、あなたはループしています。何度もあの家に引っ越してきているのです」
アサミはふっと小さな息をついた。
「早坂さんは記憶のリセットが効いていなかったようですね。では、仕方ないです。正直にお話しします。実は、呼ばれているのです」
「……呼ばれてる?」
「私、あの家と契約してるのです」
アサミは穏やかな声でそう言った。笑っているのに、目が笑っていない。
その瞬間、カフェの中のざわめきが一瞬だけ遠のいたような気がした。
「繰り返せば、彼が生き返る、そういう条件で」
「彼?」
アサミの言葉の足りなさと、話の内容に頭の中が混乱していた。
「ええ。彼とは幼馴染でした。中学から付き合い始めて、婚約もしていたのです。あの人が、半年前に亡くなったのです。そして、あの家に、ずっと眠っているの」
「あの家で、亡くなったのですか」
アサミは俺の声が聞こえないようにカップの縁を指でなぞりながら、まるで自分に言い聞かせるように続けた。
「一度目は、ただの偶然だったのかもしれません。二度目は、はっきり声が聞こえた。“戻ってきて”って。三度目には、もう……断れなかった」
俺は喉の奥がひゅっと鳴るのを感じた。
「そんなこと、あるはず――」
「あるの」アサミが遮った。「あの門を誰かが閉じるまで終わらない。私は選ばれたの。彼を戻すために、何度でも引っ越してくる。何度でも、同じ日々をやり直すの」
彼女の声は、もはや現実のものではないように冷たかった。
笑顔は張りついた仮面のようで、奥の奥に――壊れそうな哀しみがあった。
門が閉まる音は、驚くほど静かだった。
夜風が止まり、庭の木々のざわめきもぴたりとやむ。
アサミはその場に崩れ落ち、長いループはようやく終わった……。
朝になり、庭の奥に積もっていた落ち葉が消えていた。
隣家の瓦屋根からは、長年の澱のような黒ずみも消え失せ、まるで最初から何もなかったかのように――空っぽだった。
数日後、不動産屋の車が門の前に停まった。
「この家、いいですね。しっかりしてるし、日当たりもいい」
軽口を叩く営業マンの声が、やけに明るく響く。
俺は、閉じられたはずの門を見つめた。
あの夜の感触がまだ掌に残っている。
確かに、終わったはずだった。
「こんにちは。隣に越してきた蛭川です」
インターホン越しに聞こえたその声に、血の気が引いた。
ドアを開けると、水色のカーディガンの女が立っていた。
――まったく、同じ笑顔で。
閉ざさない門 河村 恵 @megumi-kawamura
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