月の守護者と希望の太陽

八尋

第1話(前編)「東国の金髪侍」

桜の花びらが舞う夕暮れ、頬を撫でるような柔らかな風が彼女の金色の髪をなびかせていた。水底まで透けて見えそうな蒼い眼光は、一点を見つめている。凛とした佇まいから放たれる刀の軌跡は、美しい三日月を描いていた。


「よくもまあ飽きずにやってるもんだ。」


道場の縁側から声をかけてきた男は、眠そうな目をこすりながら酒を飲んでいた。


「ほどほどにしておけよ。ま、お前がぶっ倒れた姿を見ながら飲むのも一興だがな。」


年甲斐もなくケラケラと笑う男は、酒瓶をまるで恋人のように抱き寄せながら部屋に帰っていった。

男のダル絡みは日常茶飯事であったため、いつしか右から左へ聞き流せるようになっていた。


刀に映る月が、夜の訪れを告げている。


「うむ!今日も良い稽古であった!」


満足そうに刀を鞘に納め、うなじを流れる汗を手ぬぐいで拭き取った。

彼女は小走りで帰宅の途についた。

その背後には満月が微笑んでいるかのように照らしていた。


◆ ◆ ◆


「桜、いつもごめんなさいね。」

「母上、いつも言っているだろう。我らは家族なんだから助け合うのは当然だ。」


母の額に乗った熱のこもった手ぬぐいを取り替え、部屋の襖を開けた。

部屋から見える庭の桜の木は、先祖がこの家に住み始めたときから一家を見守っている。


「母上、今日の風も気持ち良いですね。」

母は返事をしなかったが、その顔には優しい笑みが溢れ、次第にすうすうと寝息を立てた。


守月桜は一通りの家事を片付けると家の裏手にあるお墓へと向かった。

先祖が眠る墓の掃除は彼女にとって大切な日課である。


先祖への感謝と祈りの習慣はこの東国の地でも当然のことのように根付いている。

父が存命であった頃は母と3人で毎日祈りを捧げていた。

母が病に伏してからは桜が一手に引き受けており、墓参りは日課であると同時に家族との思い出に耽る大切な時間でもあった。


そしてもう一つ桜には忘れてはならない日課があった。

彼女は合わせた手を解きながら目線を下にやった。

そこには墓に供えるにはふさわしくない一本の剣が祀られていた。

東国の刀とは明らかに異なる、細く優雅な剣──レイピア。

父が遺した、この家の謎の一つだ。

両刃の刀身は力を入れたら小枝のように折れてしまうのではないかと思うほど細いが、触ってみると大木の幹のような力強さを感じる。

鍔には太陽のような模様が入っており、緻密な細工が施されている。


桜は慣れた手つきで稽古用の日本刀とレイピアの刀身に打ち粉を叩き、丁子油を優しく塗り込んだ。

何百回と繰り返してきた桜にとって、この作業はもはや空気を吸うのと同じだ。


「今日も良い輝きをしておるな。」

一通りの手入れを終えた刀身には桜の満面の笑みが映っている。


「それにしても『月の守護者ルナガルドへ──我が想いと共にあれ』とはどういう意味なのだ?」

桜はふと、レイピアの刀身に刻まれた言葉を呟いた。

「父上は『いつかわかる日が来る』と言っていたが・・・母上も何も教えてくれない。」


桜は鞘に戻したレイピアを、静かに墓前に置き手を合わせた。

「ま、悩みすぎても仕方ないか!よし!今日の日課も終わり!道場に行きますか!」


◆ ◆ ◆


桜は道場への道すがら村人がざわついているのを見かけた。

「おい、聞いたか。何でも西の王国から旅人が来たようだぞ。」

「知ってるよ。さっき広場で見てきたのよ。あれはきっと相当身分が高い人だね。あんなに綺麗な馬車初めて見たよ。」

「そんな人がなんでこんな田舎の村に来てるんだろうね。」


娯楽の少ないこの村の人間にとっては外部からの客人は噂話の対象になる。


(王国の人とはどんな人なんだろうな)

普段から足早な桜であったが、興味に惹かれその足運びが更に軽くなっていた。


通りを抜けた先の広場には毛並みの良い二頭の馬が引いた馬車が止まっていた。

偉い人が乗っているという噂であったが、華美な装飾はなく、洗練された美しさがあった。


村の人々もこの一大イベントを見逃さんと小さな子も引き連れて広場に集まっていた。

視線はすべて馬車に集まり状況の変化を静かに見守っている。


程なくして男性が御者台から降りてきた。

しかしその御者の出で立ちを見るに只者でないと桜はすぐに悟った。

彼は東国の侍が身につけるような甲冑ではなく、金属板の鎧で全身を覆われていた。

それらの無骨さの塊を包み隠すかのように真紅の外套が風に揺れている。


彼が持つ盾は使い込まれた跡が見て取られる。


(あのような手合を打ち崩すにはどのように切り込むべきか・・・)

「・・・右からか、いや、盾の死角を・・・」

あれこれと考えていた桜はぼそっと口に出してしまった。


(ああ、旅人に対してなんてことを考えてしまうのだ私は!)

心まで侍魂が染み付いてしまっているのかと、喜びと悲しみが入り混じった複雑な気持ちで思わず苦笑いをしてしまった。


鎧の男性が扉を開けると、銀髪の老人と可愛らしい女の子が降りてきた。

同じく二人とも東国では見たことがない身なりをしている。


老人のその衣は漆黒の生地で仕立てられ、光沢のある襟が、闇夜にきらめく星のようだ。

何より目を引くのは、背中から優雅に垂れ下がる、ツバメの尾のような長い裾だ。


女の子のその衣は地味な黒い生地の上から、白と黒のパターンで作られた前掛けのような布が足元まで伸びている。布の端々には花びらのような装飾が施されており、彼女の動きに合わせてヒラヒラと揺れている。


桜は彼女が着用している服を自分に当てはめて想像してみた。

(我にはあのような可愛らしい服はいささか似合わないな)

すぐに妄想の中の自分を手で払い除けて霧散させた。


老人と女の子に手を引かれて最後に降りてきたのは鮮やかな桃色の髪をまとった少女であった。


桜は目を凝らした。


年は自分と同じくらいだろうか。

優雅な身のこなし、気品ある表情。

その瞳には、優しさと力強さが宿っている。

まるで天の使いがこの地に降り立ったのではないかと桜は心を奪われた。


広場にいる村人たちに一通り目配せした少女はその口を開いた。

「皆様、初めまして。私はこの地より西にあるソルレグ王国から参りました、第三王女のエスペラと申します。」

「そして彼らは臣下の騎士のウォード、執事のアルフレッド、侍女のリリアでございます。」

「突然のご訪問で驚かせてしまい、大変申し訳ございません。」

エスペラは大衆に聞こえるように声を響かせた。

「私たちはある方を探して旅をしております。どうかしばらくこの村に滞在の許可をいただけないでしょうか。」


エスペラと名乗る少女の声色は優しく敵意がないことを桜は即座に理解した。

しかし、他の村の人々は思いもよらぬ高貴な方の来訪にどのように接してよいのか混乱している。


そこへ一人の小さな男の子が土遊びでもしたのであろう汚れた手で王女の服の裾を掴んだ。


その瞬間──

時が止まったかのように、広場全体が静まり返った。


人混みの中から「坊や!」と悲鳴とも呼べる声が聞こえた。

声を発した彼の両親はひどく恐怖を覚えた顔で固まってしまっていた。


桜もその様子を見た途端、血の気が引いた。

(まずい!)

群衆をかき分けて駆け出した。


(どうする?我々のような下々の民が王女に触れるなど言語道断。一家だけでなくこの村ごと危害が及ぶかもしれない!男の子を連れてこの場から逃げ出すか?)


考えがまとまらない桜が王女の眼前に飛び出した瞬間、

異国の第三王女は一つの汚れも見当たらない服のまま土に膝をつき、両手で男の子の手を握っていた。


「こんにちは。小さな小さな太陽の子。どうしましたか?」

「お姉ちゃんから美味しそうな匂いがする!」

「ふふっ、バレてしまいましたか。私の愛する侍女のリリアが作った美味しいパンがあるのですよ。一緒に食べましょう!」

「なにか食べ物くれるの?やった~!」

「食いしん坊さんですね。アルフレッド、リリアお食事の準備をお願いします。」

「「かしこまりました、お嬢様!」」


予想外の反応に村人たちが固まっている一方でアルフレッドとリリアはそれが当然の行動であるかのように炊き出しの準備を進めていた。


食事ができるまでの間、小さい子にはエスペラからパンが配られた。

子どもたちはエスペラを中心に輪になって座り、喉に詰まりそうな勢いでパンを口に放り込んでいった。

口の周りにパンくずをつけながら笑っている子どもたちを見てエスペラも喜んでいる。


その光景を見た村人たちも緊張の糸がほぐれ、自然と焚き火の準備や食材の提供をして王女一行を迎え入れた。

騎士のウォードには馬の手入れの方法や餌を、執事アルフレッドには異国の調味料を、侍女リリアには調理方法を次々と尋ねる村人たち。


先刻までの態度を考えると、桜はほっと胸を撫で下ろした。

広場の落ち着きを見届けた桜は道場に用があることを思い出し、広場を立ち去った。


◆ ◆ ◆


「珍しいじゃねえの!お前さんが遅れてくるなんて。まあ別に稽古の時刻を決めてるわけじゃないから、遅刻なんてもんはないんだけどな」

「むしろお前さんが遅れた分だけ酒を飲む時間が増えるってこった、はっはっは!」


「師匠・・・それでは稽古後のお酒の時間が減るということです・・・」

「細かいことは気にすんな。旨い酒もまずくなっちまうよ」


小走りで来て呼吸が乱れている桜をよそ目に、師匠と呼ばれるこの男、紅葉影虎はいつものように酒を片手に一人で将棋を指していた。


「それより師匠、先程ソルレグ王国の第三王女一行がこの村にやってきまして」

「へ~珍しい客人だな。めでたい!祝い酒だな!」


「なんでそうお酒につなげるんですか・・・」

「その第三王女なんですが下々の我々と同じ地に立ち、なんと食事まで分け与えてくれたのです!臣下たちはきっと素晴らしい主に仕えることができて最上の喜びを得ているに違いありません!!我もいつかあのような御仁に仕えたいものです!」


「そんなもんかね~」

いつも毅然としている桜がフンフンと興奮気味に鼻を鳴らしているのをよそに、影虎は興味なさそうにさっさと盤面に視線を落とすのであった。


【第1話(前編)終了──後編に続く】

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